« 言葉の移りゆき(310) | トップページ | 言葉の移りゆき(312) »

2019年2月26日 (火)

言葉の移りゆき(311)

辞典には「身元」の意味がきちんと書かれていない

 

 「身元をきちんと調べる」と書くと、そんなことはしてはいけない、差別になる、と反論されるかもしれません。

 就職や結婚に際して、身元をきちんと調べなければイエスというサインは出せない、と言えば、確かに差別につながりかねません。けれども、場合によっては、警察が身元をきちんと調べなければならないことがあるのです。

 「身元」とは何かということを、『三省堂国語辞典・第5版』で確かめてみます。次のように書いてあります。

 

 ①素性。うまれ。そだち。「- 不明」

 ②一身上についてのこと。身の上。「- 引き受け・- 保証人」

 

 他の国語辞典を引用しませんが、他のものを見ても大同小異です。

 この説明では納得できません。つまり、求めている意味が書かれていません。念のため、その説明の中に書かれている言葉を、さらに確かめてみます。

 『三省堂国語辞典・第5版』によれば、「素性」とは、「①その人が生まれた家柄や血筋。②もともとの身分や職業。③今までたどって来た経歴。由緒」です。また、「一身上」とは、「自分の身の上に関することがら」と書いてありますが、要領を得ません。念のため、「身の上」とはどういう意味かと見てみますと、「①〔現在の〕境遇。②一生の運命」と書いてあります。

 ところが、私が求めているのは、「身元」という言葉の、そのような意味ではありません。家柄、血筋、身分、職業、経歴、由緒、境遇、運命などという言葉のどれにも当てはまらない意味なのです。

 よほど特殊な使い方の場合であると思わないでください。「身元」という言葉の、その使い方は、ごくごく当たり前のもので、しかも、毎日のように目にするのです。国語辞典が、みごとに見落としてしまっているのです。辣腕の「ことばハンター」の目にも見えなかったのでしょう。

 では、ごく日常的な新聞記事を引用します。

 

 22日午後11時ごろ、大阪府羽曳野市駒ケ谷の鉄筋2階建ての建物付近から出火、延べ約450平方メートルが全焼した。焼け跡から性別や年齢が不明の2人の遺体が見つかり、羽曳野署が身元を調べている。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年2月23日・夕刊、3版、6ページ)

 

 言いたいことは、もうおわかりでしょう。「身元」というのは、家柄、血筋、身分、職業、経歴、由緒、境遇、運命というような、過去の事柄や歴史を指すものとは限らないのです。そのような勿体ぶったものではありません。火災現場から見つかった人(遺体)の場合は、生前の誰なのかということを調べているのです。亡くなった人の「身元」とは、まぎれもなく、生前の「あの人」だということなのです。生前の家柄・血筋・身分・職業・経歴・由緒・境遇や、この人がたどった運命などとは無関係の事柄なのです。警察は、必死になって、その人の「身元」をきちんと確認しているのです。

 流行語などと違って、「身元」などという言葉の意味は、簡単には変化しません。だから辞典の改訂のときには注目もされないのでしょう。何十年間も同じ説明でよかろうという気のゆるみも生じるのでしょう。国語辞典編纂者は、目新しい言葉を探し続けているのかもしれませんが、そんなことよりも、もっと大事なことがあるということを、この一例からも、認識してほしいと思います。

|

« 言葉の移りゆき(310) | トップページ | 言葉の移りゆき(312) »