« 【掲載記事の一覧】 | トップページ | 言葉の移りゆき(315) »

2019年3月 1日 (金)

言葉の移りゆき(314)

「一つの時代が終わる」を辞典はどう説明するか

 

 日本文化や精神の根底にあるものを追及してきた哲学者・梅原猛さんが亡くなりました。このような場合に使われる常套的な表現に出会いました。

 

 14日夜、京都市内であった梅原さんの通夜に訪れた小松和彦・国際日本文化研究センター(日文研)所長(71)は「子供がそのまま大人になったような、非常に無邪気な方だったが、どんな論争も辞さないという情熱的な部分もあった。一つの時代が終わったという感じがする」と話した。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年1月15日・朝刊、13版、21ページ)

 

 平成が終わって、新しい元号が始まります。新聞や放送は、その30年間を一つの区切りとするような特集を組んだりしています。政治・経済・文化、その他のさまざまな分野において、この30年間が、一つの特徴を持った区切りになると考えてよいのかどうかわかりませんが、報道機関はそんな区切りが好きなようです。

 「一つの時代が始まった」ということを自信を持って断言することは難しいと思いますが、「一つの時代が終わった」という慣用句は、しばしば目にします。

 その場合の「一つの時代」とは何なのでしょうか。平成の場合は30年ほどの一括りです。けれども梅原さんの死を「一つの時代が終わった」と言うのは、どういう区切りで言っているのでしょうか。また、どのような内容が終焉を迎えたと言っているのでしょうか。 人の死は、残された人にとって、大きな喪失感をもたらします。けれどもそれを「時代」という言葉で表現するのはどういうことでしょうか。人の死によって、一人の人生が完結するだけではなく、何か別の大きなものが完結するような語感も伴っています。一人の死で一つの時代が完結するなどということはありえませんが、この言い方が残り続けるのはなぜなのでしょうか。

 国語辞典は「一つ」や「時代」や「終わる」を説明しても、「一つの時代が終わる」を説明しているでしょうか。「一つの時代」の「一つ」とは何なのでしょうか。個人の時代でしょうか、それとも、専門分野における時代でしょうか、あるいは、社会の歴史を区切るような時代のことでしょうか。

 私たちは、情緒的な言葉遣いから抜け出せていないように思いますが、そういうものを整理するのは、国語辞典の役割のひとつであると思います。

|

« 【掲載記事の一覧】 | トップページ | 言葉の移りゆき(315) »