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2019年3月18日 (月)

言葉の移りゆき(331)

音読に耐えられない文章の横行

 

 私はこの連載で、文章は音読してもよくわかるものでなければならないということを、何度か書いてきました。

 けれども、新聞記者の目には届いていないのでしょう。尻切れトンボの表現が目につきます。例えば、段落の最後をぶった切って、文字数を少なくしようとする方法は、いまだに一部の新聞で横行しています。

 

 羽生教授は「一般の人は『何も起きていない状態』を『平和』とイメージしがちだが、現実的にはいろんな国の思惑や利害関係の政治的駆け引きの中で、平和的均衡を保つことが求められる。一方的な批判を超えた議論の先に、民主主義社会における平和の構築を目指すのが、平和賞の意義では」。 …(中略)

 ノーベル委員会が嫌がるようなものばかりで、前嶋教授は受賞の可能性は低い、とみるが「受賞できなくても『自分を選ばないノーベル委員会が悪い』『フェイク・アワード(うその賞だ)』と決めつけ、アピール材料にできる」。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年2月20日・朝刊、13版、29ページ、「NEWSニュースQ3」、飯島健太・仲村和代)

 

 これは、全体が大きく3つのブロックに分かれている記事の、2番目のブロックと3番目のブロックの末尾を引用したものです。

 主語に対して述語の無い文というのがおかしいことは、小学生でも知っていますが、新聞記者にはわかっていないようです。この文体が、新聞特有の文体であると考えるのは、新聞記者だけの「井の中の蛙」であるに過ぎません。

 たぶん、記者はこんなおかしな文を書いていないでしょう。記事を整理する段階で粗っぽい処理をしているということは目に見えています。こんな不完全な文章を書く新聞を、教材にしてほしいなどというNIEの主張は引っ込めてほしいと思います。

 

 しかし、良心的な記者もいます。言葉は目で見て理解するためのものとは限らないということがわかっている人です。目が不自由な人のために新聞記事を読み上げるという活動に関する記事です。

 

 音で理解する人にとっては、「修飾語が長い」「主語と述語が離れている」など、特に意味が頭に入りにくい文章の特徴がいくつかあるという。文字を目で追うのと違い、分かりにくい点があっても前に戻って読み返すことができないためだ。 …(中略)

 記事が、読む人だけではなく、聴く人にも伝わりやすいか。声に出して確認するよう心がけている。

 (読売新聞・大阪本社発行、2019年3月12日・夕刊、3版〇、8ページ、「キーボード」、行田航)

 

 私は、目の不自由に人のために朗読することだけを言っているのではありません。どんな場合であれ、おかしな日本語表現をなくさなければならないと思っています。そのためには、できあがった文章を音読して、それに耐えられる文章を最終稿とすべきであると思っています。

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