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2019年3月31日 (日)

言葉の移りゆき(344)

変容する高等学校国語の授業
 先日のNHKテレビのニュースで、通信課程のNHK学園高等学校の卒業式の様子が報道されていました。
 ところで、驚くような国語の授業に出会いました。ふと深夜にスイッチを入れたら、ちょうどNHKラジオ第2放送で講座が始まりました。
 高等学校の「国語総合」の授業だそうです。高等学校の通信講座というのですから学習指導要領に準拠しているのだろうと思いますが、これまでに体験したことのない授業展開でした。これで単位が修得できるようになっているのかと不思議に感じました。
 教材は、小説家の角田光代さんがタイを旅して体験したことや考えたこと・感じたことを綴ったものですから、高校生にとっては適切なものだろうと思います。
 授業は2人が担当しています。講師はどういう立場の人であるのかわかりません。アシスタント(と言うのでしょうか)はタレントの女性らしいのですが、番組は最初から最後まで、この人が全体を仕切っています。きちんとした朗読もできる人です。話の展開はこの人に任されて、講師という人は時たま少し発言します。高等学校の国語の授業がこのような形で展開するのなら、教員というのは何とラクな仕事であるかと思われるような関わり方です。
 驚くのは、文章の読みとり方です。タイを旅していて、バイク・タクシーというものに乗って、ある地点でバスに乗り継ごうとします。バスがなかなか来ない不安の中で、バイク・タクシーの運転者がそばにいてくれて、バスを待っているときの筆者の心の動きなどが描かれています。
 授業の展開は、まるで旅番組のようです。タイの旅行事情などが説明されて、書かれている文章の表面をなぞるように進められます。アシスタントと講師とが思うことを述べあっています。それはかまわないのですが、書かれた文章を掘り下げて読み取ろうとする姿勢がないように思います。書かれていることのアウトラインをとらえて、あとは意見・感想を言い合うということが、国語の授業なのでしょうか。
 全国の高等学校の教室で、こんな国語の授業が行われているとは思いません。いくら国語の授業が変化・変革されると言っても、こんな方向に進んでよいとは思いません。授業は、文章に書かれた表現を大切にして、その表現を掘り下げて、生徒に考えさせ感じさせてゆくものでしょう。意見・感想を述べることは大切ですが、その前に、文章の的確な理解がなくては、国語の授業とは言えないでしょう。
 放送による、限られた時間の講座であると言っても、国語の授業であるということを忘れてはいけないと思います。放送は大きな影響力を持ちます。こういうものが国語の授業のモデルであると思われるようになっては困ると思います。

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