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2019年4月 4日 (木)

言葉の移りゆき(348)

間違った「戴冠」

 私は、「戴冠式」という言葉を小学生の頃におぼえました。イギリスのエリザベス女王の戴冠式があったからです。その時、戴冠という行事がどういうものであるかが、おぼろげにわかりましたから、日本には戴冠式というものが存在しないことも理解できました。主としてヨーロッパの国王や帝王が即位後にはじめて王冠を頭にのせることが「戴冠」です。したがって、日本語の中に「戴冠」という言葉が定着していなくても当然です。日本のことを述べる文章の中に「戴冠」という言葉が現れることはありえないのです。
 さて、話題はがらりと変わります。今年の選抜高校野球は公立校(しかも市立高校)の大活躍が目を引きました。決勝戦の行われた日に配られた夕刊は、試合結果が判明しない時刻に原稿締切がありました。こんな表現がありました。


 習志野は公立勢10年ぶりの戴冠まであと1勝とし、決戦を迎えた。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年4月3日・夕刊、3版、1ページ、金子智彦・竹田龍世)


 この記事は、「戴冠」という言葉を使って、「たいかん」というルビを付けています。そんなにまでして「戴冠」という言葉を使おうとした理由は何なのでしょう。高校野球を天下の一大行事として喧伝しようという姿勢が、こんな言葉を使わせてしまったのでしょうか。
 今さら国語辞典を引用することはしません。この「戴冠」は、あまりにも常識はずれの言葉遣いであると思います。「戴冠」は多くの国語辞典で見出し語にしていますが、『新明解国語辞典・第4版』と『明鏡国語辞典』には「戴冠」の見出し語はなく「戴冠式」が載っています。『現代国語例解辞典』には「戴冠」「戴冠式」ともに載っていません。
 「優勝すること」「トップに立つこと」を「戴冠」と称すると説明している国語辞典があったら紹介してほしいと思います。それにしても、国内の高校野球での勝利を「戴冠」と言うのは大言壮語の極致ではありませんか。
 何度も繰り返して言いますが、新聞の誤用や曲解が、日本語の乱れを助長しているかも知れません。人々は活字を信奉しています。新聞に書いてあったから自分も使おうという気持ちになるでしょう。あるいはこれを契機にして、他の報道機関も使うようになるかも知れません。
 間違いは、取り消す勇気が必要です。「忖度」という言葉を使った国土交通省副大臣が自己の発言を取り消したということには呆れるしかありませんが、新聞は言葉の誤用を潔く訂正するのがよいと思います。黙っていたら、日本語の乱れの張本人が黙認してしまったということになるでしょう。

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