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2019年4月12日 (金)

言葉の移りゆき(356)

「消えゆくムラ」と「消滅可能性都市」


 現に人が住んでいるところを「消えてゆく」などと言ってよいのでしょうか。政治家や学者は遠慮会釈もなくこのような言葉を使いますが、報道機関もその尻馬に乗っています。
 野菜の自然栽培に取り組む28歳の青年を紹介する記事にこんな表現がありました。


 荒れた畑を「宝の山」と言う。
 高齢化で「消えゆくムラ」とされる群馬県南牧村に移り、3年半。耕作放棄地4カ所を復活させ、50種以上の野菜を育てる。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年1月9日・朝刊、13版、2ページ、「ひと」、藤原学思)

 この記事にとっては「消えゆくムラ」と書いた方が効果的だと判断したのでしょうが、そこに住んでいる人にとっては失礼な表現です。「消えゆくムラ」という表現は誰が言い出した言葉なのでしょうか。
 別の記事に、こんな表現がありました。兵庫県神崎郡福崎町に関する記事です。


 将来推計人口で記憶に新しいのは、元総務大臣の増田寛也氏が座長を務める「日本創成会議」の分科会が2014年に公表した「消滅可能性都市」だ。40年までに若年女性(20~39歳)人口が半減する自治体を名指しし、衝撃を与えた。若年女性人口減少率を51・3%と推計された福崎町も、消滅可能性都市に分類された。
 (神戸新聞、2018年12月6日・朝刊、14版、29ページ、「ひと」、井上太郎)

 こちらの言葉は出処が明確に書かれています。いくら根拠のある数字であるとは言え、あまりにも言葉が過ぎます。
 「消えゆく」とか「消滅」とかで表現しなくても、日本語にはいろいろな言葉があるはずです。希望が持てるような表現をしなくてはなりません。弱肉強食につながるような言葉の暴力であり、あるいは差別意識のあらわれでもあるように思います。
 公的な機関や報道機関に対して、気をつけてほしいという思いを強く持ちます。

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