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2019年4月23日 (火)

言葉の移りゆき(367)

「無職」という肩書き

 私は無職です。新聞に投稿するなら職業を書かなければなりませんから「無職」と書くしかありません。
 こんな文章に出会いました。


 「なぜ新聞はいちいす、高齢者に『無職』とつけるのかね。事件や事故に関わり新聞に名前が出たら、自分も『無職』と書かれるんだろうな」。60代の知人が言いました。早期退職を選び自由になったものの、世間的には「無職」。何かしら「居心地が悪い」とぼやくのです。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年3月27日・朝刊、10版、17ページ、「ことばの広場 校閲センターから」、丹羽のり子)

 「無職」と書くことを肩身が狭いとは思いませんが、宙ぶらりんの感じは否めません。「元〇〇」という書き方もできそうですが、現在の身の上を表した表現ではありません。
 世の中には、退職しても肩書きがある人がいます。大学に長く勤めた人は「〇〇大学名誉教授」という肩書きがもらえます。亡くなるまで、この肩書きは有効です。けれども、短期間の勤務をした人には与えられませんから、「元〇〇」と言うしかありません。
 会社を退職して、その会社の「顧問」になって、そんな名刺を作ってもらったという人のことも知っています。報酬はゼロであっても、肩書きは長く続くのでしょう。けれども、そうでない大多数の人は、やっぱり「元〇〇」です。
 自分で肩書きを作ろうとすれば、いくらでも作れます。「地域文化研究家」とか、「草野球愛好家」とか、「切手収集者」とか、その種類は限りなくあります。けれども、名刺を作ってそんな言葉を書き込むことはできないという気持ちもあるでしょう。
 いやいや、もう名刺などは必要ではありません。せめて「無職」の「職」という文字は追放して、自分の身の上は「無」という一文字だけにしたいと思います。
 無の境地に達したという、「無」です。

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