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2019年5月 1日 (水)

言葉の移りゆき(375)

新しい時代に「既視感」などはない

 元号がまるで歴史の区切りになるかのように、新聞や放送が騒ぎ立てています。昭和の60余年間や、平成の30余年間には、後で振り返ればいくつかの傾向が見えてくるのでしょうが、2019年という現在が歴史の転換点になるかどうかはわかりません。
 けれども、ひとつの新しいものが始まるという期待をみんなが持つことは、決して悪いことではありません。願わくば、政治や経済の望ましくない状況だけは断ち切らなければならないと思います。
知事選挙の応援演説で国土交通副大臣が述べた言葉が問題になりました。それについて書かれた文章がありました。


 国が下関北九州道路事業の直轄調査に入る経緯を、「安倍首相や麻生副総理が言えないので、私が忖度した」と語ったというから、耳を疑う …(中略)…
 発言は撤回されたとはいえ、「我を忘れて事実と違う発言をした」との釈明に誰が納得するだろう。行政の信頼を歪めた責任が問われる
 と書きながら、既視感がよぎっていく。閣僚や議員が幾度、問題発言を重ねたことか。長期政権の緩みを令和に持ち越してはなるまい。
 (読売新聞・大阪本社発行、2019年4月4日・夕刊、3版、1ページ、「よみうり寸評」)

 文章に書かれている通りです。何度も同様の出来事を目にしてきました。新しい時代に、旧来の政治の「既視感」などは御免です。
 ところで、この「既視感」という言葉のことですが、たいていの国語辞典には「既視」という言葉は無く、「既視感」が載せられています。「既視」という言葉は日常語化していなくて、「既視感」という心理用語だけが行きわたっているようです。
 その「既視感」を、例えば『三省堂国語辞典・第5版』は次のように説明しています。


 はじめて見た景色であるのに、以前見たことがあるように感じられること。

 この説明からわかるように、「既視感」という言葉は間違って使われることが多いように思います。コラムの筆者も間違って使っています。これは「はじめて見た景色」ではありません。現政権のもとでも、何度も繰り返されてきたのです。「以前見たことがあるように感じられる」のではなく、何度も実際に見てきたことなのです。
 実際に見たものは「既視」かもしれませんが、「既視感」という言葉はまだ見たことがないものを表しているのです。
 この記事のような文脈で「既視感」という言葉遣いをするのは間違いです。そんな言葉遣いをしたのは、単なる誤りなのでしょうか。それとも、強く述べることを避けて、表現を婉曲にするために「既視感」という言葉を使ったのでしょうか。もし、後者であるのなら、ここには政治家に対する、文章上の忖度がはたらいているのかもしれません。

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