« 言葉の移りゆき(350) | トップページ | 言葉の移りゆき(352) »

2019年4月 7日 (日)

言葉の移りゆき(351)

地理的な「現在地」

 街道歩きをしています。1日に20㎞余りを歩くことが多く、道筋に不安を感じるようなところもあります。出発前には綿密な下調べをして、地図なども準備します。
 けれども、歩き始めると地図を見続けるような余裕はほとんどありません。距離感覚は身に付いていると思っていますが、歩いていて特別な目印となるようなものがないようなもあります。
 だから、道端に看板の地図が設けられている場合は、必ず立ち寄って、自分がどこまで歩いてきているのかを確認します。縮尺のはっきりしている地図は少なくて、たいていは大ざっぱな地図ですが、その地図の中のどこまで歩いてきているのかということを知りたいのです。
 看板の地図には、たいてい、その地図の設置されている場所が書き込まれています。現在どこまで歩いてきているのかという、その地点を知りたい者にとってはありがたいものです。看板の設置場所が書き込まれていない地図もありますが、きちんと書き込まれている場合の方が多いようです。その地点を表す言葉としては、矢印で「ここ」などと書かれていることもありますが、「現在地」という言葉の方が多いように思います。
 この「現在地」という言葉には不思議な感じを持ちます。歩き続けている自分としては、時間をかけて、どこまで歩いてきたかという、まさに「現在地」です。次の看板のあるところまで歩けば、その地点が次の「現在地」であり、いくつもの「現在地」を経過して、その日の目的地点にたどりつくのです。
 一方、建てられている看板の側からすると、看板は地理的にも、時間的にも移動することはありません。「現在」という言葉にはそぐわないように思います。
 その地図を毎日眺めている地元の人があるとすれば、その人にとっては「現在地」というのはおかしな表現です。昨日と今日で変わるわけではなく、空間的な移動もない看板です。いわば、〈看板設置位置〉とでも言うべきものを「現在地」と言っているのです。
 国語辞典に、「現在地」のこのような使い方は、まだ載せられていないのではないかと思います。

|

« 言葉の移りゆき(350) | トップページ | 言葉の移りゆき(352) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 言葉の移りゆき(350) | トップページ | 言葉の移りゆき(352) »