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2019年4月 2日 (火)

言葉の移りゆき(346)


「いじめる」・「からかう」・「いじる」の混同


 ものごとの本質を考えないで、言葉の遊びのような趣で書かれた文章を読むと、腹立たしい思いになることがあります。次のような文章がありました。


 「からかう」という意味で「いじる」が一般的に使われるようになったのは、バラエティー番組の影響か。芸人が芸人をからかう映像がしょっちゅう流れてくる。それがうけるから、彼らは「いじっていただいて、ありがとうございます」とまで言う。
 その「いじる」をいつの頃からか、いじめ問題で目にするようになった。いじめではなく、いじっているつもりだった……。言い訳なのか、本当にそう思い込んでいたのか。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年3月29日・朝刊、13版、1ページ、「天声人語」)


 「いじる」という言葉が「からかう」という意味で使われるようになっているとは知りませんでした。それはバラエティー番組の影響かなどと言って責任転嫁をしています。そのような言葉遣いを肯定して、それを新聞のコラムで堂々と書くという神経が、私には理解できません。仮に「からかう」という意味で「いじる」が使われるということがあるにしても、コラムで大げさに言う必要はないと思います。言葉の意味(よくない意味)の拡大再生産の役割をコラムが果たしていることになるのです。
 「いじる」という言葉に、本当に、「からかう」という意味はあるのでしょうか。バラエティー番組で使われていたとしても、それは限られた世界での言葉遣いでしょう。国語辞典が、この言葉をどのように説明しているのかということを確かめた上で文章が書かれたとは思えないのです。
 コラムの文章には、いじられた側が感謝の言葉を発するということが書かれていて、「いじめ」と「いじる」とは違うという考えをしている者がいるということを書いています。前半がそんな軽々しい文脈で書かれた文章は、後半(ここでは引用していません)になって辛口の批判に転じても真剣みが読みとれません。言葉をもてあそんでいるようにしか受け取れないのです。
 国語辞典が「いじる」をどのように説明しているかということについては、次回に述べることにします。

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