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2019年4月20日 (土)

言葉の移りゆき(364)

「再起動」という言葉のイメージ

 

 パソコンが動かなくなって、どうにもならなくなった時には、「再起動」をすることがあります。そのときは、その段階までの作業が無に帰すということを覚悟しなければなりません。
 「再起動」という言葉を載せている国語辞典はほとんど無いだろうと思います。「再起動」というのは、再び起動するという意味にとどまらないと思います。それまでの成果をゼロにして再び始めるというニュアンスが伴う言葉であると思います。
 さて、次のような文章を読みました。

 

 

 浪花のにぎわいが、西鶴や近松の都市文学を生んだ。石田梅岩のような町人学者を育て、小人の学ぶ場ができた。
 池永さんは、今の大阪の人は「大阪の良さ」に気づいていないと言う。今更だが、粉もんとお笑いだけではない。
 今の視点から過去をつなぎ、「ルネッセ=再起動」することが必要と唱える。過去を学び、今に生かす。でも「これまでは、これでうまくいった」ではない。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年3月20日・夕刊、3版、8ページ、「葦 夕べに考える」、多賀谷克彦)

 

 この文章の見出しは「大阪を〝再起動〟する」となっています。パソコンなどの「再起動」とは違う意味で使われているとは思いますが、大阪をどのようにすることが「再起動」なのか、イメージがつかめません。
 大阪は動いていなかったというのでしょうか。それとも大阪の過去をゼロにしてから起動しようというのでしょうか。「再起動」の意味がわかりません。「再起動」という言葉を大袈裟に振り回した文章のように思えます。
 西鶴、近松、石田梅岩などと、粉もんとお笑いとはどんな関係にあるのでしょうか。〈過去を学び、今に生かす。でも「これまでは、これでうまくいった」ではない〉という言葉遣いに出くわすと、何が言いたいのか、混乱してしまいます。
 筆者は新聞社の編集委員だそうです。このコラムは、この日を最後に終わるそうですが、言いたいことを読者に分かりやすく伝えようとする努力をしてほしいと願わざるを得ません。
 ついでながら、〈今更だが、粉もんとお笑いだけではない。〉という言い方は、正しい日本語表現なのでしょうか。

 

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