« 言葉の移りゆき(376) | トップページ | 言葉の移りゆき(378) »

2019年5月 3日 (金)

言葉の移りゆき(377)

過剰な言いがかり

 駅のホームでは、通過列車が近づくと「黄色い線より内側にさがってお待ちください。」というアナウンスが流れます。催し物の会場では、「貴重品の管理には各自でじゅうぶんご注意ください。」というアナウンスがあります。一日に何回も、このような言葉に接することがあります。
 注意を喚起してくれているのですが、一方で、もしもの場合は、その注意を聞かなかった人が悪いのだという弁解にも使われます。責任逃れ社会や、一律表現社会の不気味さを感じます。
小学校の教科書検定のことについて書かれた記事で、こんなことを目にしました。


 教育出版の理科(4年)は、温度による体積の変化を身近なもので紹介する目的で鉄道のレールを取り上げた。温度の変化でレールが伸びたり曲がったりしないようにつなぎ目を工夫していることを説明し、文章の横にレールを上から撮影した写真を掲載した。
 ところが、この写真に「児童が線路に立ち入る危険性について配慮がされていない」と意見が付いた。そのため写真に「あぶないので、線路の中に入ってはいけません」という注意書きを追加し合格した。
 (毎日新聞・中部本社発行、2019年3月27日・朝刊、統12版、13ページ)

 こんな言葉が検定合格を左右するというのは、どういうことなのでしょうか。小学校教員の指導を信用していないのでしょうか。それとも、文部科学省が責任追及される場合のことを恐れているのでしょうか。たぶん後者であろうと思います。
 こんな過剰な言いがかりが教科書検定の場で行われていることに驚きます。それとともに、一定の注意喚起を促しておけばそれで責任が免れるというような社会になってしまっていることを情けないと思います。そういう社会を作ってしまったのは、このような対応(過剰な言いがかりをする人と、それを受け入れてしまう人たち)にあるのだということも忘れてはいけないことだと思います。

|

« 言葉の移りゆき(376) | トップページ | 言葉の移りゆき(378) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 言葉の移りゆき(376) | トップページ | 言葉の移りゆき(378) »