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2019年5月13日 (月)

言葉の移りゆき(387)

自分たちの行動を自ら証明するような写真


新聞記者やカメラマンは、読者の知りたいという欲求に応えるために、記事や写真を届ける義務がある、という言葉をよく聞きます。放送記者やカメラマンについても同じです。その大義名分を使って、ずかずかと市民の中を跋扈するのです。読者や視聴者を第一に考えて報道する、などという言葉を聞くことがあります。けれども、言っていることと、実際の行動とが一致していないように思うのです。
園児の列に車が突っ込み、死傷者が出た事故はいたましいものでした。あってはならない出来事ですから、報道関係者も大挙して事故現場に押し寄せます。地元の方々よりも報道関係者の方が密度が高いという場所もあったかもしれません。
 遺族の思いが記事に書かれていました。


 原田優衣ちゃん(2)の遺族は …(中略)… 「安らかに娘を旅立たせようと思っております。最後に私共夫婦・姉弟よりたっぷりと愛情を注ぐ式にしたいと思います」と、葬儀などの取材を控えるよう要請した。
 伊藤雅宮ちゃん(2)の遺族は、「突然の事故で大切な家族を失い、深い悲しみを受けています。心情をお察しいただき、自宅や葬儀会場での取材や写真撮影をご遠慮いただきますようお願い申し上げます」と取材自粛を求めた。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月10日・朝刊、14版、25ページ、安藤仙一郎)

 遺族気持ちをありのままに報道したのは良いことだと思います。けれども、そういう要請がなければ報道関係者は大挙して押しかけて、無理やりインタビューをするに違いありません。
 要請があったから自粛する、というようなものではありません。報道関係者は遺族や地元の人たちに対する配慮をそなえていなければなりません。
 遺族だけではありません。地域の人にとっても、静かに献花などをして冥福を祈りたい気持ちが強いと思います。それを踏みにじっているのは誰なのでしょうか。
 新聞写真を見て、腹立たしさを覚えます。


①保育園児の列に車が突っ込んだ事故現場に花を手向け、手を合わせる女性=8日午後4時25分、いずれも大津市大萱6丁目、細川卓撮影。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月9日・朝刊、14版、29ページ、写真に付けられた説明文)

 祈っている一人の女性の向こう側に、カメラを構えた人、テレビカメラの人、ノートを持った記者など6人ほどが写っています。たったひとりの人を取材する立場の人が取り巻いているのです。これでは、心静かに祈ろうとしても、できないではありませんか。私なら、そんな見世物のような場面に入っていくことはできません。


②大津市の県道交差点で信号待ちをしていた保育園児らが巻き込まれ16人が死傷した事故から一夜明けた9日朝、事故現場では大勢の人が訪れ、設けられた献花台に花束やお菓子を供え手を合わせた。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月9日・夕刊、3版、1ページ、北川サイラ、写真は佐藤慈子)

 「大勢の人が訪れ」というような様子は写真のどこにも表現されていません。祈る人がひとり、その向こうに取材記者やカメラマンばかりで10人近くの人。少し遠慮して離れているように見えることだけが救いです。


③日没後も献花台には、手を合わせる人たちが後を絶たなかった=9日午後7時23分、大津市、佐藤慈子撮影
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月10日・朝刊、14版、25ページ、写真に付けられた説明文)

 これは数人の人たちが黙祷している写真です。その向こうには、暗くなってきた時刻に関わらず、7人ほどの報道関係者が写っています。時刻を問わず、待ちかまえているのでしょう。


④事故現場の献花台では、小さな子供が手を合わせる姿も=大津市大萱6で9日午前8時27分、添島香苗撮影
 (毎日新聞・大阪本社発行、2019年5月9日・夕刊、3版、1ページ、写真に付けられた説明文)

⑤保育園児たちが事故にあった現場で花を供える人たち=大津市で9日午前11時3分、梅田麻衣子撮影
 (毎日新聞・大阪本社発行、2019年5月9日・夕刊、3版、9ページ、写真に付けられた説明文)

 ④⑤ともに、祈る人が2人。④には、その向こうにテレビカメラを向けている人がいます。⑤には、数人の取材者の姿が見えます。

 取材者の傍若無人ぶりを自ら撮影している写真を掲載する神経が理解できません。周りの取材者が写らない瞬間がないほど、手ぐすねを引くように取材者全員が待ちかまえていたのでしょうか。まるで、取材者はこんなに熱心に働いているのだということを宣伝しているようにも見えます。
 取材者の人影を排除して、祈りを捧げている人たちだけの写真を、なぜ撮れないのでしょうか。手を合わせている人たちの心に寄り添うことはできないのでしょうか。
 今回は、言葉の問題より以前のことです。これでは、どんな立派な文章を書いても、信頼できない気持ちになります。写真は、実景を写すだけではありません。取材者たちの心の持ち様を見事に表していました。周りにいる取材者たちの立ち居振る舞いを、写真から観察すると、掲載写真を撮った人もそんな同類の一人のように思えてくるのです。残念なことです。カメラマンだけの問題ではありません。新聞社全体の問題です。

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