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2019年5月 8日 (水)

言葉の移りゆき(382)

「ガチ」とは言えない番組制作。(ガチなら番組失格)

 相撲の「ガチンコ」は正面からの本気のぶつかりあいのことです。その「ガチンコ」に由来すると言われる「ガチ」という言葉は、本気、本当、真剣というような意味で使われているようです。
 こんな記事がありました。


 Q テレビ東京の「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」で、バイクの充電をその場でお願いしていますが、〝ガチ〟のお願いですか。
 A …(中略)… 近くの家や店で電源を借りていますが、平山大吾プロデューサーによれば「見ての通り、その場で探して頼み込んでいます」。
 スタートからゴールまでのルートは出川さん次第なので、バッテリーがいつ切れるか、どこで充電するかは出たとこ勝負。断られることもあるそうですよ。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年3月19日・朝刊、13版、25ページ、「はてなTV」)

 こういう質問・回答記事の常套手段ですが、「〝ガチ〟のお願いですか」という質問に対して、「ガチである」「ガチでない」という明確な答えはなく、「断られることもある」と述べています。政治家の答弁と同じです。
 お願いが〝ガチ〟であるか否か(真剣さ)を尋ねているのに対して、断られることもあるという結果論で答えているのです。「朝はご飯を食べません。パンです。」という言い回しと同じです。
 「見ての通り」というプロデューサーの言葉には笑ってしまいます。画面に現れる状況は、都合のよいところを切り取ったに過ぎないからです。
 そもそも「充電させてもらえませんか?」というタイトルの番組ですから、充電が必要にならないと番組が成立しませんから、作為がはたらいているのは当然でしょう。
 充電依頼がスムーズに進行してしまえば番組が面白くありませんから、そこにも作為があることは当然です。そして、面白おかしく編集しているのです。
 突然押しかけて、充電させろとか、晩飯を食わせろとか、風呂に入れて欲しいとか、家族に会わせろとか、制作者の横暴によって作り上げられている番組が多いように思いますが、そこには、反省心の欠片もありません。
 テレビ関係者は、自分たちが権力を持っているということを忘れがち(あるいは、隠しがち)です。テレビ関係者に押し寄せられて、充電をさせろと言われると、断る勇気を持てないのが一般市民の感情でしょう。番組自体に倫理観が欠如しています。面白ければそれで良い、というような考えの持ち主は、番組制作に携わるべきではありません。
 〝ガチ〟(真剣)なお願いをしているのだと回答すれば、それは番組失格に等しいと思います。ご飯論法になるのは当然でしょう。

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