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2019年5月23日 (木)

言葉の移りゆき(397)

「最後の未開の地」って、どこのこと


 テレビは、まるで自分が天下を動かしているような気取りで、どこへでも入り込んでいきます。少し前までは、遠慮をしていたところへも、無遠慮に入っていきます。
 これまでになかったような場面であれば視聴者が喜びます。それを大義名分にして、とんでもないところへもカメラを入れて、視聴者を喜ばせようとします。すぐに飽きられることがわかっていても、短期間だけでも視聴率を取ればよいと考えているようです。そんな風潮をNHKも追随するようになってしまったのが嘆かわしいことです。
 家庭の風呂に入れてもらうという番組があるそうです。それを紹介する記事にこんなことが書いてありました。


 NHKの北川朗チーフ・プロデューサーは、番組の狙いについて「ネットを使えば地球上のあらゆることが調べられる時代でも、各家庭の風呂についてはネットでほとんど出てこない。最後の未開の地である家庭風呂に注目することで、市井のみなさんの人生を深く見つめることができると思った」と説明する。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年4月22日・朝刊、14版、18ページ、「フォーカスオン」、鈴木友里子)

 ネットに出てこないから、それが未開の地だという論理は、一般人の論理ではなく、テレビ人特有の考えでしょう。何でも絵(テレビ画面)になるという考えのもとでは、家庭風呂は、まだ絵になっていない「未開の地」であるということなのでしょう。そんな場所に入り込んで番組を作るべきではないという自戒の心はまったく喪失してしまっています。
 家庭の風呂のことがネットに出てこないということの方が、うんと正常です。この紹介記事には、番組を讃える言葉が散りばめられていますが、新聞記者にも、家庭の風呂にカメラが入り込むことの自戒心はまったく存在しないようです。
 「最後の未開の地」という大袈裟な言葉は滑稽以外の何ものでもありません。こんな言葉を使うプロデューサーは、これを最後に番組づくりをやめるのでしょうか。それとも、次々と「最後の」地を開発していく能力の持ち主なのでしょうか。もし開発力を持っているのなら、家庭風呂が「最後」であるはずがありません。言葉のまやかしです。
 馬鹿げた言葉遣いを紹介することが、新聞の質を下げることにつながるということにも、記者は注意をしなければなりません。

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