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2019年5月22日 (水)

言葉の移りゆき(396)

「予定調和」という一刀両断


 「予定調和」という言葉は、哲学説の根本原理として使われた言葉だそうです。そのような言葉を日常語として使ってはいけないというわけではありませんが、この言葉を聞くと、簡単に物事を切り捨ててしまうような響きを感じます。
例えば、こんな文章がありました。


 半世紀を超える地上波の演芸番組を語ろう。いや予定調和な大喜利ではない。TBSの「落語研究会」だ。
 明治からの伝統を継ぐ同名の落語会で高座を収録している。現在は地上波(関東ローカル、第3日曜早朝)、BSTBS、CSのTBSチャンネルと多重に放送している。 …(中略)…
 長岡杏子アナウンサーは、自分の意見を最小限にとどめて質問する。そうだ、聞き役に徹する奥ゆかしさも、ツッコミ全盛のテレビが失いつつある伝統だった。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年4月19日・朝刊、14版、31ページ、「記者レビュー」、井上秀樹)

 「予定調和な大喜利」という表現の意図が理解できません。
 予定調和という言葉は、観衆や関係者などの予想する流れに沿って事態が動き、予想通りの結果になることを表す言葉のようです。途中に異常な存在が現れても、最後にはごく当たり前の結末になることのようです。意外性がないということのようです。伝聞の形で書くのは、こんな言葉を使ったことはありませんし、正確な表現意図を理解できないからです。
 この言葉は、映画、演劇、小説などの世界から、政治、経済に至るまでに使える言葉のようです。もしそうであるのなら、わが国の政治のあり方などがその典型と言えるようです。
 「笑点」という長寿番組を批判する言葉として「予定調和な大喜利」という表現は効果的なのでしょう。けれども、ある番組を「予定調和な番組」という言葉を使って貶すなら、立つ瀬がありません。このような言葉遣いをするのなら、現在のテレビ番組はほとんどすべてが「予定調和な番組」ということになるでしょう。
 私たちの歩んでいる人生も「予定調和な何十年間」という言葉で言われかねなくなります。一刀両断な言葉です。
 「落語研究会」というのは半世紀を超える番組だそうですが、地上波が関東ローカルで、しかも月1回の早朝時間帯の番組だそうです。いかに価値ある番組と認めたとしても、関東以外の人たちにとっては、知らない番組です。東京で書かれる記事にはこのような傾向があります。全国向けに書いている意識があるなら、こんな記事は書かないはずです。
 「長岡杏子アナウンサーは、自分の意見を最小限にとどめて質問する。聞き役に徹する奥ゆかしさ…」というのは日本人(日本語)が持っていた特性でした。新聞記者もその特性を失って、大袈裟な言葉を振り回す時代になってしまっているのです。

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