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2019年5月18日 (土)

言葉の移りゆき(392)

秒数、分数、時数、日数


 100メートルを走るのにかかる秒数、漢字の練習帳の1ページ分を仕上げる分数、原稿用紙10枚分を書き上げるのに必要な時間数(時数)、東海道を歩き続けてお江戸日本橋から京都三条大橋までにかかる日数。
 このように書き並べてみると、秒数、時間数、日数はよく使いますが、分数(ふんすう)はあまり使わないように感じます。
 分数という文字を見ると、整数Aを整数Bで割った結果を、「B分のA」という形で表した、分数(ぶんすう)という言葉の方が馴染みがあります。
 だから、次のような文章を見ると、ずいぶん印象に残ります。


 キッチンタイマーがないと何もできない。 …(中略)…
 主に決まった分数をセットして仕事を始め、それが終わるとまた休憩時間の分数をセッとして休む。それからまたタイマーをセットして仕事をする。これを何回か繰り返しているうちに、その日のノルマができあがる。仕事時間と休憩時間のバランスは諸説あるのだが、わたしは二十五分仕事をして十二分休むという自分に甘い設定に落ち着いた。ただその二十五分間は仕事以外はお茶を飲んでおやつを食べる以外何もしない。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年4月10日・夕刊、3版、2ページ、「となりの乗客」、津村記久子)

作家の人の執筆時間配分がこのようであることに驚きましたが、「分数」というものが生活の基盤にあることにもびっくりしました。
 私自身の生活時間配分は、新聞を半時間読むとか、パソコンに1時間向かうとか、ウオーキングに1時間半とかの、「時数」単位です。テレビのニュースを20分間見るということもありますが、それは0.5時間弱という単位にしてしまっています。
 「分数」単位の生活には興味がありますが、私は、25分と12分というような区切りなどはできないような人間になってしまっているような気持ちがします。
 「秒数」や「時数」が国語辞典の見出しになっても、「分数(ふんすう)」が見出しになることはないだろうと、私はのんびり構えているのです。

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