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2019年6月 4日 (火)

言葉の移りゆき(409)

新聞は社会の動きだけを伝えるものではない

 新聞や放送は、社会の動きを伝えることが最大の使命であると考えているような傾向があります。そのことは否定しませんが、それによって大切なことが見失われてしまっては困ります。
 社説をはじめとして、社会の動きを論じる文章はあふれています。一方で、人の生き方の不易に当たるような事柄は、書かれているスペースがごく限られたものになっています。朝日新聞の「天声人語」などは、社説の後追いをする必要はないと思います。
 朝一番に読むことが多いコラムが、昨日今日の出来事を、暗いタッチで論じていたのでは、もの寂しい一日の始まりになります。いつの時代にも変わらない、人の生き方などについて、ふと立ち止まって考えるような話題を提供してもらえれば、一日の始まりの力になります。
 4歳で視力を失った、エッセイスト・三宮麻由子さんの言葉を引用して書かれた文章はさわやかでした。一部分を引用します。


 滝の水の流れる音。草原が風に揺れる音。松ぼっくりが落ちる音。自然が発する声に耳を傾けながら、風景を描いていく。三宮さんの文章には、視覚のみではつくりだせない奥行きがある。風の運んでくるさまざまな匂いも、そこに加わる
 目から入ってくる情報ばかりに頼るようになった。そう言われて久しい現代社会である。スマートフォンで写真を撮ってインスタ映えを競うのも、視覚優位の現れかもしれない。だからこそ、ときには立ち止まってみたい。咲く花の香りを求めたり、若い葉の手触りを試したりと
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月6日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 「目から入ってくる情報ばかりに頼るようになった」現代社会において、新聞はテレビの後追いをする必要はありません。目から入ってくる情報に価値を置くような報道に、そろそろ区切りをつけて、新聞はテレビとは異なる道を歩み始めるべきではありませんか。
 新聞の現状は、目から入ってくる情報をますます拡充しようとしているように、私には見えます。そうではなくて、新聞は、文字の力を発揮して、人々の想像力や創造力を深めていくような媒体になってほしいと願っております。

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