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2019年6月21日 (金)

言葉の移りゆき(426)

「作り手の『当たり前』を疑う」という姿勢②


 前回に引用した文章は次のように続いていきます。


 朝日新聞東京本社の一室にほぼ毎週集まり、新聞を作る編集局の幹部と報道に関する意見交換をしています。この春、発足から5年目に入り、開いた会議はもうすぐ150回に達します。
 議論のもとになるのが、電話やメールで朝日新聞に寄せられる意見や要望です。最近の会議では、令和報道や高齢者が運転する車の暴走事故をめぐり、人々はどんな切り口の報道を求めているのか、記事のどこが役に立ち、何が物足りなかったか、報道が過剰でなかったかなど、さまざまな角度から意見を交わしました。議論が白熱し、会議が2時間に及ぶことも珍しくありません。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月21日・朝刊、13版S、13ページ、「パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで」、山之上玲子)

 ここに書かれているような内容について議論をすることは大切なことです。「議論が白熱し、会議が2時間に及ぶ」ということがあるようですが、そこで交わされる意見は、読者の電話やメールが出発点であっても、結局は4人の議論に過ぎないでしょう。多くの読者の意見を採り入れることことにはなっていないから、新聞が変化をしていないのです。〔作り手の「当たり前」を疑う〕ことをしても、「当たり前」から脱皮ができないのではないでしょうか。
 読者モニターをもっと拡充すべきではないでしょうか。読者から寄せられた意見が紙面に載せられることはほとんどありません。「議論のもとになるのが、電話やメールで朝日新聞に寄せられる意見や要望」であるのなら、その意見や要望をきちんと紙面に書き、それに対する新聞社の考えを述べなくてはなりません。150回にも達する会議の内容はどこまで読者に知らされたのでしょうか。また、この会議が東京本社だけで行われていることも問題だと思います。
 読者は電話やメールで意見や要望を寄せますが、その意見・要望にきちんと対応してもらったと感じている読者は、皆無に近いだろうと思います。
 とりわけ、言葉遣いに関する意見・要望はほとんど無視されているというのが現状ではないでしょうか。新聞紙面における言葉遣いの乱暴さや無秩序さが続くのなら、子どもたちに新聞を読んでほしいということを言ったり、NIEで記事を利用してほしいと言うことなどは差し控えるべきであると思います。

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