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2019年6月20日 (木)

言葉の移りゆき(425)

「作り手の『当たり前』を疑う」という姿勢①


私がブログで書いている連載は、新聞記事の言葉遣いに重点を置いて書き続けてきました。自宅に配達してもらっているのが、私の幼い頃から朝日新聞でしたから、今もそのままです。駅の売店で他紙を買うことがあり、旅に出れば地方紙を買います。そんな中で、言葉について気付いたことを書き綴っています。「言葉の移りゆき」はもう1年以上、毎日書き続けております。
 ブログの読者は1日に100人ほどですが、きちんと読んでくださっている方には感謝をします。念のため、朝日新聞社の、言葉を扱っている部署にはメールでお送りしています。けれども、大新聞社ゆえに、一読者の意見などには耳を傾ける様子はありません。記事の明らかな間違いを指摘したときには訂正記事が出ましたが、それは2回だけでした。
 新聞社は読者の意見に耳を傾けると言い続けていますが、それは表向きの姿勢でしかないことを強く感じております。
 そんな折しも、こんな文章に出会いました。


 何事も何物も、時とともに変わっていきます。変わらなければ生き残ることは難しい。
 新聞も同じです。時代に応じて変わっていくための大切な宝の山が、読者のみなさんから届く声だと私は思っています。
 大所高所からの意見も、小さな指摘や疑問も、さまざまな声に接するたびに、これまで記者として自明と思ってきたことが揺らぐのを感じます。新しい何かを発見します。 …(中略)…
 新聞を敬遠する世代が広がっています。そんな時代に、新聞が社会と深くつながるためには、読む人の立場でともに考えることが、これまでにも増して大切になっています。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月21日・朝刊、13版S、13ページ、「パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで」、山之上玲子)

 書かれていることにはまったく異存はありません。見出しは〔作り手の「当たり前」を疑う〕となっていて、謙虚な姿勢が現れています。
 パブリックエディター制度というのは「読者の代表」という立場で、新聞の報道に目を配る仕事をする人だそうです。それを担うのが4人のメンバーだそうです。メンバーに向かって文句を言うつもりはありません。新聞社の姿勢に問題があるように思います。
 私は短期間ですが、朝日新聞のモニターをしたことがあります。紙面に書かれていることがら全てに対して、自由に意見が述べられると思って応募しましたが、まったく異なっていました。新聞社から与えられるテーマ(質問)に答えるだけのものであり、そのテーマは限られた狭いものでした。その他の意見を書く欄もありましたが、付け足しですから、新聞社はそこに書かれた意見に対応している様子は見られませんでした。
 〔作り手の「当たり前」を疑う〕という姿勢が本物であるのなら、新聞は、ゆっくりとであっても、変化をしてきたはずです。
 新聞が、現代の日本語を乱す働きをしているということについて、反省の姿勢が見られないのは本当に残念なことです。

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