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2019年6月27日 (木)

言葉の移りゆき(432)

無形民俗文化財の維持のこと


 有形とは、形があること、形を持っていることです。無形とは、それがないことです。
 無形民俗文化財といえども、祭りなどの形を持っています、その無形民俗文化財の維持が困難になっていると言います。
 こんな記事がありました。


 都道府県や市町村などの自治体が無形民俗文化財として指定した祭りなどの伝統芸能で、維持が困難となり、指定解除に至るものが目立つようになってきた。人口流出が続く農山村部に限らず、都市近郊でも担い手の高齢化や継承者不足で指定解除となる例が出てきている。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月17日・朝刊、13版S、26ページ、宮代栄一・上田真由美)

 担い手の高齢化や継承者不足という事情はあるのでしょうが、そうなるまで放置してきたという責任は免れないでしょう。
 例えば埋蔵文化財は、有形の文化財として、工事中などに発見されたら多額の調査費用が支出されます。調査をして報告書を作るまでの全ての費用が公費で賄われます。その調査報告書がやたら多くて、公立図書館でも報告書の受け入れを拒むことも現れているという新聞記事を読みました。
 一方の無形文化財には、維持のための費用が十分には支出されていません。この格差は歴然としているように感じます。無形民俗文化財を守る(調査をしたり維持を図る)ための費用は微々たるものでしょう。滅ぶにまかせていると言ってよいのかもしれません。
 もう一つの無形文化財が言葉です。方言の調査は、大学などが行っていますが、一般の人たちも行っています。けれども、一般の人たちによる調査については、何の補助もありません。
 私も方言集を刊行すべく努力をしている一人ですが、何の援助も受けておりません。きちんとした刊行物にしようと、日本語日本文学の専門出版社(東京の武蔵野書房)に刊行してもらうことにしています。小さな文字で、800ページを超える書物です。何十年もかかった原稿を渡してから、初校から三校までの校正をひとりで行いますから、校正だけでも半年以上かかっています。出版に対して個人が負担しなければならない費用は、私が受け取る年金の1年分をはるかに超える金額になります。
 埋蔵文化財に対する支出は裕福なように感じます。個人の方言研究には1円の補助もありません。文化に対する考え方が間違っているのではないでしょうか。

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