« 言葉の移りゆき(409) | トップページ | 言葉の移りゆき(411) »

2019年6月 5日 (水)

言葉の移りゆき(410)

新聞・放送、商売用語としての「平成最後の」

 天皇の崩御ではなくて元号が変わるのは、こんなにも穏やかなことであるというのを、私たちは初めて経験しました。
 西暦と元号の二重生活は、どちらが主でありどちらが従であるということではなくて、両方ともうまく活用すればよいと思います。
 けれども、平成の終わりは時間の区切りであっても、生活内容が変化するというようなものではありません。
 平成の30年間の生活や文化の変化というものはあるでしょう。また、令和の時代へ移行するに際して、これまでの反省や次への展望は、個人のレベルでも社会全体においても、いろいろとあることでしょう。けれども、2019年の4月末と5月初めは、一続きのものにすぎないはずです。
 作家の黒井千次さんが述べていることには同感します。その一節を引用します。


 それにしても、この転機を前にして、「平成最後の」という飾り言葉が様々なものに冠せられるのには驚いた。それほどこの元号に別れを惜しんでいるとは思えないのに、食べ物から様々な催し物に至るまで、この飾り言葉が冠せられ、プロ野球の試合が「平成最後の××戦」などと対戦両チームの名前にまで冠がのせられるのに接すると、首をかしげざるを得なかった。
 (毎日新聞・大阪本社発行、2019年5月1日・夕刊、3ページ、黒井千次)

 私たちは日常生活において、隣人たちとの会話の中で、「平成最後の」などという言葉を次々と発しているわけではありません。その言葉を何回かは言った人があるかもしれませんが、毎日、そんな言葉を発していたら、周りの人が奇異に思うでしょう。
 それに対して、新聞のそれぞれの紙面や、テレビの題目や宣伝文句には、その言葉が何日にもわたって現れ続けていました。もうひとつは、商売の宣伝文句です。平成最後だと言えば購買意欲が増すと思ったのでしょうか。
 「平成最後の」や「令和最初の」は、新聞・放送用語であり、商売のための言葉であると考えると、素直に納得できるように思われます。だから、すぐに消えてなくなる言葉であるのです。

|

« 言葉の移りゆき(409) | トップページ | 言葉の移りゆき(411) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 言葉の移りゆき(409) | トップページ | 言葉の移りゆき(411) »