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2019年6月12日 (水)

言葉の移りゆき(417)

テレビを批判する前に


 「改元の放送 テレビは? / NHKは3日間33時間 / 『お祭り騒ぎ』『天皇制議論あまりなく』」という見出しの記事がありました。こんな文章で始まっています。


 30年前に引き続きテレビは今回も改元一色に染まった。NHKの場合、放送時間は4月29日からの3日間で定時ニュースを除き33時間。何が読みとれるのか。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月3日・朝刊、14版、22ページ、鈴木友里子・真野啓太)

 この記事の中に、次のような一節があります。


 メディアが改元を「一つの時代の幕開け」として過度に演出したことを懸念するのは、水島久光・東海大教授(メディア論)だ。「現行憲法下の日本では主権は国民にある。天皇の交代によって時代が変わるという価値観とは本来は相いれないはずだ。そこに配慮しないばかりか、何カ月も前から『平成最後』を連呼し、『元号』を『時代』と意図的に読み替え、あおったのは問題だ」とみる。
 (上記と同じ記事。)

 批判すべきはテレビだけではありません。新聞自身もまったく同様です。こんな文章がありました。


 「10連休中は猫の手も借りたいくらいです」。にぎわいが続く岐阜県関市の「道の駅平成」で、うれしい悲鳴を聞いた。連日、遠来の客たちが「平成ラーメン」や「平成弁当」を食べ、「平成しいたけ」「平成メモ帳」を買う …(中略)…
 私たちがいま目撃しているのは、近代史にもまれな、過度の自粛を伴わぬ「代替わり」である。「道の駅平成」を訪ね、平成最後の日々をまるで歳末のように楽しむ姿が、何とも新鮮に思われた。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年4月30日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 NHK総合テレビは4月30日の夜、改元をまたぐ時間帯に「ゆく時代くる時代」というタイトルの番組を作りました。歳末の「ゆく年くる年」は、1年の終わりと始まりですから納得できます。けれども、2019年の4月に時代が終わり、翌日に新しい時代が始まるというのは勝手な区切りです。
 「天声人語」も、「近代史にもまれな、過度の自粛を伴わぬ代替わり」として、「平成最後の日々をまるで歳末のように楽しむ」と書いています。
 一般の人たちは、このようなテレビや新聞の姿勢に導かれて、そんな気持ちになっているのです。日常生活の中では、人々の実感として、これで一つの時代が終わったとか、新しい時代が始まったなどという言葉が交わされることはほとんどなかったと思います。
 放送・新聞、そして商売の世界で活用されたことは確かであり、それに引きずり込まれたのが一般の人々であったように思います。

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