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2019年6月 8日 (土)

言葉の移りゆき(413)

「私の立場」「私の考え」ではなく、「私目線」


 自分の考えを述べるときに、自分を強調して述べる場合に使っていた言葉は、かつては「私の立場から言えば…」とか、「私の考えにそえば…」というような言葉遣いであったと思います。
 この頃は、「目線」とか「軸足」とか「立ち位置」というような言葉が使われるようになって、その人の姿勢(目に見える姿)が強調されるようになってきていると思います。目とか足とか、文字通り目に見えるものの上に立ったような表現が多くなりました。
 たとえば、次のような使い方がありました。


 私目線からしたら、クラスメイトの子たちと一緒に近所の神社のお祭りに行って盆踊りの輪に入れてもらうなどもすごくいい思い出だっただろうと思うのだが、娘たちがいつも話すのがこの雑巾がけだつたりするので、よほど衝撃的だったのだろう。
 (読売新聞・大阪本社発行、2019年2月5日・夕刊、3版、2ページ、「いま風」、野沢直子)

 この文章の筆者はしっかりした考えの持ち主だと思いますが、言葉遣いは気になります。「私目線」という言葉から受ける感じは、頭の中でじっくり固めた考えや、胸の奥に存在するしっかりした考えなどではなく、自分が見ている視線のようなものに立脚した思いなどを述べようとしているように感じられることです。テレビ時代の、目に見えるものを重んじる姿勢が、こんな言葉遣いにも現れてきているということかもしれません。
 気になるのは、このような言葉遣いが多用されることによって、深くものごとについて考えることが避けられるようなことになれば、寂しいことになるのではないかと思います。
 テレビにはトーク番組がありますが、言葉のやりとりに終始して、深みを求める姿勢が欠如してきているのは嘆かわしいことです。トークが娯楽に堕落するのだけは避けてほしいと思います。

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