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2019年6月22日 (土)

言葉の移りゆき(427)

「作り手の『当たり前』を疑う」という姿勢③


 テレビ画面と新聞紙面とを比べると、人々の信頼感は、新聞紙面に対するものの方が圧倒的に高いと思います。かつてがそうであっただけでなく、現在でも同じであると思います。
 新聞は、そのことに応える努力をし続ける義務があると思います。
 例えば、テレビ画面におかしな言葉遣いがあっても見過ごされますが、新聞の場合はそういうわけにはいきません。内容の誤りもそうですが、ちょっとした言葉遣いや用語・用字についても同じです。
 今、話題にしている文章に、こんな表現があります。


 読者からは「記事が難しい」という声も繰り返し届きます。読みやすくならないのは、なぜでしょうか。
 込み入った話をわかりやすく、本質をはずさずに書くのは難しい作業です。どんな話題でも人によって知識や関心に差があります。その分野になじみのない人にわかってもらうには、かみ砕いた説明が必要です。 …(中略)…
 丁寧に書こうとすると、文章が長くなるという悩みもあります。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月21日・朝刊、13版S、13ページ、「パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで」、山之上玲子)

 ここに書かれている内容には、全面的に賛成です。新聞だけでなく、どんな文章でも、知識や興味・関心のさまざまな人を対象にしていますから、しかたのないことです。
 「丁寧に書こうとすると、文章が長くなるという悩み」があることもわかります。けれども、文章を短く書くのが新聞社としての「当たり前」だという考えを捨て去ってほしいと思います。
 NIEに活用してほしいという願いがあるのなら、生徒や学生にもわかるような文章であることを目標にすべきです。政治・経済に関する文章などをはじめ、年若い人には難解な分野があることは当然です。けれども、社会現象、生き方(哲学)、文化などに関する文章まで難解であったのでは、新聞はその役割を果たしていないと言えるでしょう。
 はっきり言って、新聞のページ数は多すぎます。しかも、長大な記事も多くあります。記事を厳選して、わかりやすく丁寧な文章を心がけてほしいと思います。
 繰り返して言いますが、読者からの意見、指摘、要望を本気で検討していけば、読者の求めているものがわかるはずです。それは多様ですから一括りにはできないことはわかっています。現段階で言えることは、新聞社は読者からの意見、指摘、要望を捉えきっていない、あるいは、捉えようという意思を持っていない、ということです。何百万部も発行しているから細かなことには対応できない、という姿勢を持つならば、硬直した新聞づくりが今後も続くことになるでしょう。

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