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2019年6月29日 (土)

言葉の移りゆき(434)

「コミュ力」の「搾取」とは


 「搾取される『コミュ力』」という見出しの記事がありました。コミュニケーション能力のことを「コミュ力」と短く言うのは、新聞見出しの横暴であるということを既に書きました。それも問題ですが、コミュニケーション能力を搾取するというのはどういう意味なのでしょうか。
この連載の(428)回で、私は、依頼原稿がどのような言葉遣いであっても、それをそのまま載せるということは望ましいことか、主張していることを変更させてはいけないが、用語・用字について執筆者と協議することは必要なことだろう、ということを書きました。使い方を誤った用語は、望ましい表現に変えるべきでしょう。
 テレビドラマに登場する女性デザイナーを紹介する、次のような文章でした。


 彼女はコミュニケーション能力が高く、取引先の担当者とは以前いた会社のときから付き合いがあり可愛がられているが、断れない性質から、取引先の人間にセクハラされてしまう。この一件で取引先のパワハラ体質が明るみに出、トラブルは解決するのだが、こうした弱い立場だからこそ、コミュ力を搾取される派遣社員という存在にリアリティがありすぎて、どうにも胸が痛んだ。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月18日・朝刊、14版、25ページ、「テレビのおとも」、西森路代)

 筆者の肩書きは「ライター」とありますから、依頼原稿でしょう。
 何が「搾取」にあたるのかというと、「取引先の人間にセクハラされてしまう」という表現が該当するようです。他の出来事などを含めて「コミュニケーション能力を搾取される」という表現をしていると仮定しても、コミュニケーション能力を搾取するという言い方は納得できませんし、何を言っているのかも理解できません。
 「搾取」というのは、しぼりとることです。資本家と労働者との関係などの場合は、正統な賃金を支払わずに利益をしぼりとることです。能力をしぼりとるというのは、どういう意味でしょうか。せいぜい考えられることは、その能力を十分に発揮させないようにしてしまうということですが、セクハラとどう結びつくのでしょうか。
 ライターの原稿をしっかり読めば、言葉遣いが適切でないことは理解できるはずです。きちんと考えないで、それを見出しの言葉に使うというのは、あまりにもいい加減です。私は、朝日新聞の校閲のことも(428)回で書きましたが、これも端的な例に当たります。このようなことは、記事が訂正されることはありません。読者からの指摘に対して、見て見ぬ振りをする体質が、新聞社には蔓延しているのです。ときたまには、読者に回答するという努力もしなくてはいけないと思います。パブリックエディターなら、どのような回答をお寄せになることでしょうか。

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