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2019年7月12日 (金)

ふるさと江井ヶ島(13)

しま【島】


 江井ヶ島の地名を大別すると「〇江井」と「〇島」とがあり、それに「東」「西」が付く。東から順に、東江井、西江井、東島、西島である。東江井は日常的には「ひがしえ(東江)」と言い、西江井も「にしえ(西江)」と言っている。普段の発音では東江が「ひがっせ」、西江が「にっせ」となることもある。
 江井ヶ島の地名の由来は、上記のこととは別に、魚のエイと結びつけた話などが流布している。江井ヶ島海水浴場の傍に「江井島」を説明した石碑が建っていて、そこに彫られている文章は次のようになっている。

 むかし、江井島一帯は「嶋(ルビ=しま)」と呼ばれていました。この「嶋」に港をつくった行基(ルビ=ぎょうき)というお坊さんが、海上安全の祈とうをしている時、港の中にタタミ二枚ほどもある大きな「エイ」が入ってきました。村びとたちは、気味悪がってエイを追い払おうとしましたが、いっこうに去ろうとしません。行基がエイに酒を飲ませてやると、エイは、満足そうに沖へ帰っていきました。このことがあってから、だれいうとなく、「エイが向ってくる嶋-?向島(ルビ=えいがしま)」と呼ばれるようになったということです。
 また、江井島一帯はむかしから「西灘(ルビ=にしなだ)の寺水」と呼ばれる良い水の出るところとして知られています。そこで、「ええ水が出る井戸のある嶋」がつまって「江井島」になったともいわれています。

 江井ヶ島のことを「島」と呼ぶ言い方は、現在にも残っている。江井ヶ島の海岸でエイが釣れた経験はあるから、「エイが向ってくる嶋=?向島」という説は突飛ではないかもしれないが、「行基がエイに酒を飲ませてやると、エイは、満足そうに沖へ帰っていきました」というのはおとぎ話のように聞こえないでもない。東島の古刹・長楽寺に残る「長楽寺縁起」にこの話が書かれているようである。
 上記の話が長楽寺の創基の時期からの言い伝えとすると、「播磨風土記」などが作られた時代と大きく異ならない。風土記の地名伝承は、現代から見ると信憑性に乏しいような話もあるが、昔の人たちのものの考え方や感性に基づいて考えられたものであるとすると、一笑に付すようなことをしなくてもよいのではないかと思う。

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