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2019年7月18日 (木)

ふるさと江井ヶ島(19)

でんしゃ【電車】


 1960年前後の頃は、現在とはまったく様子が違って、西江井ヶ島駅のあたりの山陽電気鉄道本線より北側は田圃と溜め池だけで、民家はほとんど無かった。西島の集落の北の外れに西江井ヶ島駅があるという感じであった。もちろん、それより北を走る国鉄(当時)山陽本線の蒸気運転の列車はよく見えた。
 山陽電鉄は、兵庫(神戸市)-明石間は兵庫電気軌道株式会社として開業し、明石-姫路間は明姫電気鉄道株式会社として開業(2年後に神戸姫路電気鉄道に改称)した。両者が宇治川電気(現在の関西電力)電鉄部となった時期があるが、1933年(昭和8年)に独立して山陽電気鉄道となった。
当初の社名からもわかるが、兵庫-明石間は道路併用区間もあり、駅間距離が短く、電圧は600ボルトになっていた。明石-姫路間は高速運転ができるように直線区間が長く、駅間距離も長く、電圧は1500ボルトになっていた。連結点の明石に2つの駅があった時代があるが、線路や電圧(1500ボルト化)を改めて、1928年(昭和3年)から兵庫-姫路間の直通運転を実現している。
 兵庫-明石間は既に開業100年を超えたが、明石-姫路間の開業は1923年(大正12年)8月19日である。筆者が子どもの頃には、2両連結の大型車や小型車が特急、急行、普通電車として走っていた。特急に使われた800型はロマンスシートをそなえた大型車で、子どもの頃には「新車」と呼んでいた。「新車」が時々は普通電車にも使われたが、その時は大喜びであった。急行に使われた車両のうち700番台は旧国鉄の63型と同型で、全国の私鉄に戦後の車両不足の緊急対策として導入されたが、標準軌の鉄道会社に導入されたのは山陽電鉄が唯一であった。この電車が普通電車に使われたときも喜んで乗った。
 市立の大久保中学校に通学した時代は、西江井ヶ島(または江井ヶ島)駅と中八木駅の間を電車通学した。自転車で通った友だちもあるが、電車通学の方が多かったように思う。「しんしゃ」というのは、その時代の呼び名で、子ども達だけの呼び名であったかもしれない。国鉄山陽本線の西明石-姫路間が電化されたのは中学生の頃であった。

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