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2019年7月19日 (金)

ふるさと江井ヶ島(20)

にしえいがしま【西江井ヶ島】


 筆者が小学生か中学生の頃だったと思うが、父と一緒に山陽電鉄の電車で明石へ出かけて帰ろうとしたときのことを思い出す。当時、切符は窓口で買ったのであるが、父が「西口まで」と言って切符を買ったのには驚いた。問答が繰り返されることもなく、窓口からは西江井ヶ島駅までの切符が差し出された。
 西江井ヶ島駅は、1944年(昭和19年)4月1日に改称されている。開業以来それまでは「江井ヶ島西口」駅であった。改称から十何年か経っても「西口」は通用したのである。昔も今も山陽電鉄には「○○西口」という名の駅は他にないということも理由の一つであったのかもしれない。
 その西江井ヶ島駅は上り線と下り線にそれぞれホームがあるが、かつては下りホームの南側にもう一つのホームがあった。駅の東の方から側線が引き入れられて、そのホームに入線できるようになっていた。駅の東側には、上り線と下り線との間の渡り線が設けられ、上り・下りの入れ替えもできるようになっていた。
 電車に乗るときには改札口があった。小さな駅であっても、当時はすべての駅が有人であった。けれども南側のホームは、改札の外にあって、ホームに上ることができた。これは、実は貨物用で、西江井ヶ島駅にあったのは貨物用の引き込み線とホームで、草が生えているようなホームだった。
当初はたぶん酒の輸送という役割を持っていたのだろう。けれども、筆者の記憶では、貨物用のホームには、いつも白い粉が落ちて残っていたように思う。近くの魚住町西岡に1926年(大正15年)創業の丸尾製粉(現在の社名は、丸尾カルシウム)があって、石灰岩を原料として炭酸カルシウム製品を作っていた。作られた製品の輸送に山陽電鉄の貨物電車も使われていたのだろうと思う。
 茶色の貨物電車は、その角張った車両に荷物を載せることができるが、無蓋の貨車を1~2両引っ張って走っていることもあった。貨物輸送が自動車に押されるようになって山陽電鉄の貨物輸送は1960年頃に全面的に廃止された。西江井ヶ島駅前には日本通運の取扱店もあったが、いつの間にか廃止された。西江井ヶ島駅の南側には、乗客用ホームに接して、山陽電鉄従業員用の5階建ての集合住宅が建てられたが、近年、取り壊された。

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