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2019年8月 1日 (木)

言葉の移りゆき(438)

メディアの人たちの感覚


 メディアに携わる人たちの感覚と、一般の人たちの感覚とが大きくかけ離れつつある、ということを感じています。新聞や放送で生活している人たちは、自負を持っておられるようですが、それが一般人の考えや思いとは別の方向に向かっているようなところがあるのです。
メディアの関係者にもそれを自覚しておられる人があるようです。こんな文章を読みました。


 ほんとうの日本人とはだれか。
 国籍が日本の人? 否。国籍を得ても、外国出身者は差別される。稀勢の里の昇進で19年ぶりの「日本出身」横綱と、わざわざ発明した苦しい形容でメディアが驚喜した。日本人らしい容姿か? 否。日本語が不得手な女子テニスの大坂なおみに、「日本語で答えて」と会見で迫るのも、わたしたちだ。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年6月3日・夕刊、3版◎、7ページ、「現場へ! ほんとうの日本人①」、近藤康太郎)

 正直に、「わざわざ発明した苦しい形容でメディアが驚喜した」と書いています。言葉を作り出すのはメディアです。望ましい言葉も、そうでない言葉も、連日のように作り出しています。そして、「日本出身」という、がんじがらめの言葉を使って、そうでない人たちと厳格に区別しようとする姿勢を持つのもメディアの人たちです。
 「『日本語で答えて』と会見で迫るのも、わたしたちだ」と言っていますが、「わたしたち」とは一般の人たちではありません。一握りのメディアの関係者です。一般の人たちが「会見で迫」ったりはできないからです。
 この文章の筆者には「編集委員」という肩書きが記されています。新聞社を代表するような人の感覚がこのようであるのならば、一般の記者たちはなおさらであると思います。

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