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2019年7月20日 (土)

ふるさと江井ヶ島(21)

はくつる【白鶴】


 神戸・灘の酒である「白鶴」は、かつて江井ヶ島でも造られていた。
 その理由の一つは、白鶴酒造株式会社の支店が江井ヶ島にあって、酒蔵があったということである。大きな酒蔵が何棟も並んで、その南側に小さな事務所があった。この白鶴の蔵の広場に干してあった大桶の中に入って、遊ぶことをした。
 昭和20年代から30年代の前半頃は、自動車が発達していなかった。4トン積みのトラックとか、小さなオート三輪はあったが、自動車以外の輸送手段にも頼っていた。「馬力」という、馬に引かせた荷車で、江井ヶ島港から米や芋(焼酎の原料)などを運んでいる風景は日常的なものであった。(焼酎は白鶴ではなく、別の会社で作っていた。)その仕事に携わっている人を「馬力引き」と呼んでいた。
 白鶴酒造の酒造用の水を井戸から蔵へ運ぶことを仕事にしている人もあった。「馬力」より小さい車にタンクを積んで、引いていた。車を引く綱を肩にかけて2人で引っ張っている姿をよく見かけた。「肩引き」という言葉があったが、それが車のことを指すのか、作業に当たっている人を指すのか、今となっては断言しにくい。
 「白鶴」の酒が江井ヶ島でも造られていたということの、もう一つの事情は、江井ヶ島の他の酒蔵で造られた酒が、トラックの大きなタンクに詰められて、運び出されていたということである。タンクに「白鶴」と書かれていたから、間違いなく白鶴へ運ばれていたはずである。江井ヶ島は酒造地として知られているから、自社の銘柄でも売り出していたが、白鶴の中にブレンドされていたこともあった。
 以上の話は昔日のものとなった。白鶴の支店はとっくの前に廃止になった。そして時が流れて、レストランチェーンの会社が旧・白鶴の酒蔵を買い、それを活用した店が誕生してからも20年以上の時が流れている。そのレストランは「明石江井島酒館」というのであるが、ここで造られる明石ブルワリーの地ビールは高品質で、数々の賞を得ている。また「日本徳利博物館」「酒蔵資料館」も併設され、資料としての価値も高い施設になっている。

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