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2019年7月12日 (金)

言葉の移りゆき(435)

「完璧すぎる」というのは、どういう状況か


 「完璧」という言葉はありますが、完璧にものごとを運ぶことは、現実にはほとんどあり得ないことでしょう。完璧だと断じることには主観の問題も関わることです。
 スポーツの実況放送で、「完璧な投球で、バッターは手も足も出なかった」とか、「完璧なバッティングで、外野スタンドにホームランを打ち込んだ」とか言うことがありますが、どういう状況であれば「完璧」と言えるのかということに、基準があろうはずはありません。
 ところで、「完璧だ」というのと、「完璧すぎる」というのとでは、どちらが精度が高いのでしょうか。そもそも「完璧すぎる」という言い方は成り立つのでしょうか。
 小惑星探査機「はやぶさ2」が、小惑星「リュウグウ」に着陸したというニュースがありましたが、それを報じる記事にこんな表現がありました。


 砂や石を舞い上がらせるための弾丸を発射できたことも確認でき、採取に成功したとみられる。久保田孝・研究総主幹は「リハーサルじゃないかと思うほど、完璧すぎるぐらい完璧に動いてくれた」と話した。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年7月11日・夕刊、3版、1ページ、「テレビのおとも」、西森路代)

 実は、この記事は夕刊のトップニュースで、次のような見出しが付いていました。
 〈「はやぶさ2 再着陸成功 / 小惑星リュウグウ 地下の砂採取か / 「完璧すぎる」〉

 本文で書かれている「完璧すぎるぐらい完璧に動いてくれた」という表現を、短く言えば「完璧すぎる」になるのか、という疑問を持ちました。
 この表現では、「完璧」よりも「完璧すぎる」の方が精度は高いように思われます。けれども、「完璧すぎるぐらい完璧に動いてくれた」という表現では、「完璧すぎるぐらい」というのは修飾語に過ぎないと思います。
 リュウグウは直径約900メートルの小惑星だそうですから、それに着陸するのは至難のことでしょう。わずかの誤差でも生じたら、着陸はできないでしょう。だから、その着陸成功を「完璧」と表現するのは当然だと思います。「完璧すぎるぐらい完璧に動いてくれた」という喜びの言葉には実感がこもっています。
 それを報じる新聞見出しの「完璧すぎる」は、ちょっと行き過ぎではないかと感じたのです。

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