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2019年7月 8日 (月)

ふるさと江井ヶ島(9)

こうか【校歌】


 筆者が小学生であった頃から今まで、江井島小学校の校歌は変わることなく歌い継がれている。1番の歌詞は、次のとおりである。

 波静かなる 瀬戸の内
 明石の浦の 磯づたい
 遠き祖先の 築きけん
 船瀬の跡さえ なお残る
 家並みにぎわう わが郷土
 ああ江井島 我らの誇り

 波穏やかな瀬戸内海の明石海岸にある江井ヶ島は、遠い遠い昔から祖先の人たちが生活を続けて、古い港も残っている。多くの人たちが甍を並べて住んでいる江井ヶ島は何と誇らしいところである。この校歌を歌えば、そのようなイメージが小学生の頭の中にも浮かんでくるのである。
 この校歌は、格調が高いけれども、どちらかと言えば難解である。古語が散りばめられ、古典文法に沿った言葉遣いになっている。例えば、過去の推量を表す古典の助動詞「けん」の正確な意味は、小学生にはとうていわからないだろう。「船瀬」は小学生が使うような国語辞典には載っていない。
 けれども、年配の卒業生でも歌詞は正確に口に出るから、言葉が身についてしまっている。現代語として使われにくい「船瀬」が船着き場であるということは小学生でも察しがつきそうである。「家並みにぎわう わが郷土」という誇らしさを支えにして、大声で歌う。むしろ、年齢を経るにつれて、校歌の意味がすこしずつ正確にわかるようになって、ますます愛着のある歌に感じられるのである。
 江井島小学校の校歌の2番の歌詞は、次のとおりである。

 名も美しき 赤根川
 流れをはるか 尋ぬれば
 明治四年に 創(はじ)まれり
 「精於萬(よろずにくわし)」と 横書きの
 文字珍しき わが校舎
 ああ江井島 我らの誇り

 赤根川は小さな川であるが、「茜」という言葉と発音が同じで、優雅な響きを持っている。「川」との縁語で「流れ」が使われているが、その「流れ」は川の流れから歴史の流れに置き換えられて、学校の歴史が詠まれていく。明治4年は郷学校の発足で、翌5年に小学校になった。けれども古い方の年号を出発点と見なしたのだろう。我が国最初の近代的学校制度を定めた教育法令である学制は、1872年(明治5年)8月に公布されている。
 当初の校名は江井島という地名ではなく貫道小学校である。儒教などの影響が強かったのだろう。「貫道」は、諸橋轍次著『大漢和辞典』によると「道理をよく悟る」という意味である。「貫道之器」という言葉もあって、それは文章のことを言う。文章は道をあらわし述べるものであるからである。
「精於萬(よろずにくわし)」というのは扁額に書かれている言葉であるから横に長いのである。右から左に向かって一文字ずつ書かれている。今は江井島小学校の体育館に掲げられている。「精」にはいろいろな意味があるが、明らかで詳しい、つまびらかである、こまかいという意味がある。また、正しい、美しいという意味もある。「萬」とは何かといえば、やはり、人たる道のことを言っているのではなかろうかと推察する。
 江井島小学校の校歌の3番の歌詞は、次のとおりである。

 未来(すえ)栄えゆく 人の世の
 礎(いしずえ)となる 良き子らよ
 広き世界を 結ぶべき
 平和の心を 高めんと
 いま誓い合う わが校歌
 ああ江井島 我らの誇り

 3番もすこし堅い言葉が使われているが、ここには江井ヶ島の地域独特の内容は歌われていない。「すえ」は末であるから、小学生にも、将来のことだと理解できるだろう。「いしずえ」の意味も成長するにつれて理解できるようになるだろう。
 ところで、この校歌がいつ制定されたかということについてであるが、筆者が小学生であった頃には、ずっと昔から歌われ続けてきた校歌であると思っていた。小学生にとっては古めかしい言葉が並んでいると感じることも、ひとつの理由であったかもしれない。
 江井島小学校の『百年のあゆみ』という冊子に、「百年のあゆみ」を略記した数ページがあるが、それを見ると、1952年(昭和27年)9月に「新作校歌発表音楽会を開催」とある。できてから星霜を経てきた校歌であるが、それでも、筆者が小学校に入学したときには旧の校歌が歌われていたことになる。4年生のときから歌われ始めたということになるのであるが、そのような「新しくできた校歌を歌い始めた」という印象はなかった。それ以前の校歌は頭の中のどこを探しても浮かんでこないのである。
 このような格調の高い校歌の作詞者は阪口保さんである。阪口さんは、1897年(明治30年)三重県の生まれで、1989年(平成元年)に92歳で没している。歌詞からも推察できるが、阪口さんは万葉集の研究者である。阪口さんは、旧制中学校を卒業した後、高等女学校の教員等をしながら、高等学校(旧制)教員国語科の免許を得ている。姫路高等女学校(後の姫路東高等学校)、加古川高等女学校(後の加古川西高等学校)を経て、戦後は神戸山手短期大学の教授を長く務め、同短大の名物教師として学長の地位まで上り詰めた。後には神戸市外国語大学でも教えた。独学で万葉研究を続け、『万葉集大和地理辞典』『万葉林散策』などの著書の他、『万葉地理研究・兵庫編』などの共著がある。歌人としても知られた阪口さんは、兵庫県歌人クラブの代表を長く務め、兵庫県文化賞も受賞している。歌集には『羈旅陳思』などがある。
 万葉の時代からの故地である名寸隅(江井ヶ島)と、万葉学者・歌人の発想とが結びついて江井島小学校校歌は生まれている。万葉の故地にふさわしい校歌の作詞者と言えるだろう。阪口さん55歳のときの作品である。
 校歌の作曲者は野村退蔵さんで、明石市立二見小学校の校長を務めた人である。野村さんは、地域の古謡や遊び歌などを情熱的に採譜した人だと言われている。
 言葉は万葉と結びつき、メロディは地域の古くからの歌心に裏打ちされているのが江井島小学校の校歌であると言ってもよいだろう。

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