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2019年8月17日 (土)

言葉の移りゆき(454)

短く言うことが礼儀ではない


 固有名詞を短く言うことが、報道機関では、当たり前のことのように行われています。人名を短く言ったり、2人の名前を合わせて短く言うことは、親しみを込めたと言うよりも、失礼な言い方であると感じることがあります。
 会社名や機関名なども同様な言い方をされています。見出しには文字数の制約がありますが、その制約のない文章の中でも短く言おうとしています。
 その文章の中で何度も繰り返されるものは略して言うこともあってよいでしょうが、長い記事の中でわずか2度ほどしか現れないものを、略して言う必要はないと思います。次に引用するのが、その例です。


 過去の災害について記された古文書の知見を防災に役立てる研究で、読み解くのが難しい「くずし字」で書かれた古文書をインターネットで公開し、市民が協力して読解する取り組みが成果を上げている。 …(中略)…
 東大地震研で20日に開かれたシンポジウム。国立歴史民俗博物館(民博)の橋本雄太助教(人文情報学)が期待を込めて言った。 …(中略)…
 この取り組みは民博と東大、京都大が2017年に始めたプロジェクト「みんなで翻刻」。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年7月25日・朝刊、13版、26ページ、小林舞子)

 長い記事の中で2度しか現れない国立歴史民俗博物館という名称を、2文字に略すことはほとんど意味がありません。略さないで、きちんとその名称を記すことこそ、礼儀に叶ったやり方です。
 そして、翌日、略称について、その訂正記事を出すのは何とも無様です。


 25日付科学面「防災へ みんなで古文書読み解く」の記事で、国立歴史民俗博物館の略称が「民博」とあるのは「歴博」の誤りでした。民博は国立民族学博物館の略称でした。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年7月26日・朝刊、14版、30ページ、「訂正して、おわびします」)

 略称などを書く必要がないのに、書いて間違いをしでかしているのです。記者のミスでもありますが、ここでも、校閲の力が働いていないと感じます。校閲とは、書かれたものを辿って読むだけの仕事ではありません。「略称一覧」か何かの資料と照らし合わさなければ、間違いを見つけることはできません。社内に、校閲の仕方が徹底しているようには思えません。
 「訂正して、おわびします」に書かれていることは、間違いの一部に過ぎないということは、新聞を丁寧に読んでいる人にはじゅうぶんわかっていることなのです。

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