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2019年8月15日 (木)

言葉の移りゆき(452)

記事の内容が校閲の対象となっていない

 ここに述べる事柄も、校閲と関わる問題点です。記事に書かれていないことを、編集部門の人が論評しても、読者は唖然とするしかないでしょう。
 8月9日の長崎原爆の日に関わる報道です。

 「人の手」で造られ「人の上」に落とされた。だからこそ「人の意志」で無くせる。長崎市長の平和宣言に頷く。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月9日・夕刊、3版、1ページ、「素粒子」)

 長崎市長の言葉に注目しました。記事を読んで、その言葉を確かめようとしましたが、見当たりませんでした。記事は次のように書かれていました。

 田上市長は平和宣言で、「積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっている」と指摘。「唯一の戦争被爆国の責任」として日本政府に核兵器禁止条約への署名、批准を迫った。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月9日・夕刊、3版、1ページ、田中瞳子)

 「素粒子」に書かれている発言は、記事には書かれていません。「素粒子」の筆者は、記事にどのようなことが書かれているのかということを確認したり調整したりすることなく、文章を書いたのでしょう。校閲部門の人も、記事に触れられているかどうかの確認をしなかったのでしょう。暢気な校閲です。
 この、「人の手」で造られ…の言葉が記事になったのは、翌日の朝刊です。

 田上市長は平和宣言で初めて被爆者の詩を引用し、「原爆は人の手によってつくられ、人の上に落とされた。だからこそ人の意志によってなくすことができる」と言及。核軍縮と逆行する国際情勢に危機感を示した。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月10日・朝刊、14版、1ページ、田中瞳子)

 この記事を読んで私が感じたことは、「人の手」でつくられ…の言葉は、市長の言葉ではなく被爆者の詩の引用であるのかということでした、この文をそのように解釈したのです。
 後のページに「長崎平和宣言(全文)」という記事がありました。平和宣言では冒頭に、「目を閉じて聴いてください。」という言葉で始まる詩が置かれています。詩の最終行「どんなことがあっても……」という言葉の次は、こんな言葉が続いています。

 これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづつた詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。
 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月10日・朝刊、14版、29ページ)

 これを読むと、「人の手」でつくられ…の言葉は、詩の中の言葉の引用ではなく、市長自身の言葉であることがわかります。この日の1ページの記事の文章は、間違った表現ではありませんが、意味を誤解される要素を持っていたのです。これも、校閲で気づけば、改めることはできたでしょう。校閲の関係者が丁寧に文章を検討すれば、誤読が少なくなるのです。

 さて、最後に一言。
 こういう指摘を繰り返しても新聞社には反省の色はありません。前回に触れた、校閲部門の人が書いた文章の大きな誤り記事については、、記事は訂正されました。私にも連絡はありました。
 私はこのブログの記事を新聞社に送っています。新聞社は、前記の致命的なミス以外は、ほとんど全部、指摘を「無視」する姿勢で貫いています。読者の指摘に謙虚に対応する、というのはキャッチフレーズとして成り立っても、現実はまったく異なった姿勢で、新聞社は動いているのです。

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