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2019年8月16日 (金)

言葉の移りゆき(453)

趣旨が一貫しないコラムの続出


 かつて「天声人語」は高等学校などの国語の授業で教材として盛んに使われました。NIEなどという言葉すらなかった時代に、私も高等学校の国語の教材としてずいぶん活用しました。
 担当する筆者が変わったのだから仕方のないことなのですが、いまの「天声人語」は教材に適しているとは思えません。文章の初めのマクラの部分だけに注力して、その後に続く文章の趣旨が分裂しているようなものを読まされるのは困ったものです。教材には使えないでしょう。
 例えば、こんな文章がありました。


 江戸は八百八町だが、大阪は八百八橋といわれるほど橋が多い。その多くを町人が架けたというのが大阪人の自慢である。行政が形づくった東京と違い、大阪は民間の手によるまち。お上、何するものぞの気風がある …(中略)…
 阪急電車の梅田駅を見れば実感できる。JR大阪駅と至近なのに完全に独立したターミナル駅で、かつてはアーチ型の天井で知られた。阪神電鉄とともに大阪駅ではなく地名の「梅田駅」を」名乗ってきた
 それが10月からは「大阪梅田駅」に変更されることになった。同じところなのに駅名が違うのは紛らわしいとの指摘は以前からあったが、決め手になったのは外国人観光客の増加という。インバウンドの魔法である
 外国人でなくても大阪初心者は梅田ってどこ、キタとミナミって駅はあるの、と迷う。そこもまた、このまちならではの味わいだと思っていた。駅名まで変えなくても……とは、よそ者の勝手な言い分か。河原町駅も「京都河原町駅」に変更される
 各地に外国語表示が増えるのは大いに結構。でも土産物店に忍者グッズがやたら増えたり、外国人にはカジノが必要だと力んだりするのは、どうだろう。「そんなに無理せんでも」と言いたくなる。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月1日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 ▼印によって段落分けがされていますが、そのうち2番目の段落を除いて、全てを引用しました。(2番目の段落は、説明的な役割で、論旨に影響はありません。)
 文頭から、5番目の段落に至るまでは、論旨は一貫していると思います。ところが最終段落にいたって、趣旨は混乱します。要らないことを急に付け加えた感じです。
 考えようによっては、5番目の段落まではマクラで、最終段落に書いていることが、最も言いたいことなのかという疑問も生じます。
 外国語表示のこと、土産物店のグッズ、カジノのことは、突然現れるのです。筆者は何を考えて、この文章を書いたのだろうという疑念が大きくなります。
 最近の「天声人語」は、このような傾向が強くなっています。マクラが全体の半分以上を占めて、言いたいことが脈絡無く、押し込められているような文章が多くなっているのです。
 こういう「天声人語」に対して、社内では何の反応もないのでしょうか。校閲と同じような現象が起きているのではないかと、私は推測しています。「天声人語」の筆者に向かって、今回の文章はよくないということを言える人がいなくなっているのでしょう。
 かつての筆力に相当するものを持っている筆者がいなくなったのかもしれませんが、その筆者の周辺にいる人が、文章の中身を吟味してきちんと意見を告げる態勢がなくなってしまったのでしょう。責任を持って文章を校閲できる人がいなくなったのでしょう。
 1ページの看板コラムがこの状況では、他の記事に欠陥が見つかるのも当然でしょう。

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