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2019年8月11日 (日)

言葉の移りゆき(448)

まったく意味のない顔


 こういうことを何という言葉で表現するのかは知りません。けれども、テレビではしょっちゅう現れて、目障りです。民放が興味本位で始めたのでしょうが、NHKもその真似をしています。
 集合写真を撮ったときにたまたま欠席していた人の写真を、片隅に四角く区切って載せることがあります。あのやり方をテレビ画面で日常的に行っているのです。
 一例を挙げます。NHK総合テレビの「シブ5時」という番組で 画面がある状況を映し続けているのに、その時の司会進行者の顔を画面に出し続けています。何秒か置きに、顔が変わります。珍しい顔ではありません。毎日、見ている顔です。見る必要のない顔を入れ替えて出し続けることに、どんな意味があるのでしょうか。
 時々その顔が何かのコメントをつぶやくこともありますが、たいていは顔だけを映し続けます。視聴者が見ているのは中央の画面です。けれども、次々と切り替わりますから、隅っこの部分も気になります。視聴者の注意力を妨げる役割を果たしているのです。
 番組制作者の意図を優先して、視聴者のことなどは考えていないのです。しかも、その制作者の意図も不明です。

 ついでに、もう一つ、気になることを申します。
 気象や災害などで緊急に知らせる必要があるときに、画面の上部や左側を区切って文字を流すことがあります。緊急の場合には役立ちます。けれども、その状態をいつまでも続けるのは問題です。ドラマの周りに文字が流れ続けていると、やはり集中力をそがれます。両方を気にしなければならないからです。
 ほんとうに緊急事態であるのなら、ドラマの放送を中止して、その気象・災害の報道に切り替えるべきです。さほど緊急でないのなら、ドラマだけの放送を続けるべきです。二兎を追うことが視聴者のためにならないことを認識すべきです。
テレビは少しでも多くの情報を流すことに意味があるのではありません。テレビ局に必要なのは、判断力と集中力であると思います。

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