« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »

2019年9月30日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(22)

やぐさい

 神戸新聞明石版の記事で、「使われなくなりつつある言葉」の例としてとりあげられたもののうちから、もう一つ、「やぐさい」について書きます。
 「こたつ(炬燵)」という言葉を国語辞典で引きますと、床に炉を作って、その上にやぐらを置いて、布団を掛けて暖をとる器具、というような説明になっています。夜、寝るときに、布団の足の先に「たどん(炭団)」を入れた炬燵を置いたことなどは、遠い昔物語になっているのです。
 「明石日常生活語辞典」では、「こたつ」を次のように説明しています。


 《名詞》 ①たどんや炭火を入れたものや電熱器をわくで囲んで、布団などを掛けて、足などを暖める器具。「ぬく(温)なっ・て・ こたつ・が・ い(要)ら・ん・よーに・ なっ・た。」②熱源の上にやぐらを組んで、布団を掛けて暖をとる器具。「こたつ・の・ うえ(上)・で・ とらんぷ(トランプ)・を・ する。」◆①は、いわゆる「あんか【行火】」も含めて、「こたつ【炬燵】」と言うことが多い。

①の意味の「こたつ」は、戦後すぐの時代では、まだ電熱器は普及していなかったと思います。土器のこたつに、たどんを入れて、それを布団の中に入れました。たどんの火の力は、時によって異なりますから、熱いときもありますし、あまり熱くないときもありました。たどんが消えてしまったときは寒くて仕方がありませんでした。
 逆に熱くて困るときもありました。たどんが熱くなって布団を焦がすことがありました。そんな場合は、焦げる異様な臭いが漂いますから、わかります。火事になることはありませんでした。そんなときの臭いの様子を「やぐさい」と言うのです。「こげくさい」と言うこともありますが、「やぐさい」の方がよくわかります。
 「こげくさい」という言葉の使用範囲は広いのです。食べ物を焼いたりしているときにも「こげくさい」と言います。漏電して、ものが焼けている場合も「こげくさい」と言います。それに対して、「やぐさい」は布団や衣類や紙類が焦げるときの臭いに使って、食べ物や木材が焼けているときには使いません。「やぐさい」は、ほのかに臭さが漂う場合に使って、強烈な臭いには使いません。
 言葉は、「意味」も大事ですが、どのようなときに使うかという「用法」をわきまえて使うことが、意味よりももっと大事です。
 「明石日常生活語辞典」では、「やぐさい」を次のように説明しています。


《形容詞・アイ型》 ものが火に焼けて、焦げる臭いがする。特に、紙や布が焦げるような臭いがする。「こたつ(炬燵)・が・ やぐさい・さかい・ ちょっと・ しら(調)べ・てみ・てくれ・へん・か。」

| | コメント (0)

2019年9月29日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(21)

よぼる

 「明石日常生活語辞典」を刊行したというニュースが、初めて新聞に載ったのは先日のことです。(神戸新聞、2019年9月24日、明石版、23ページ)
 神戸新聞明石総局の吉本晃司記者とは、およそ2時間ぐらい話をしたでしょうか。その後も電話で、何度か補充の質問を受けました。
 記事には、「使われなくなりつつある言葉」の例として、5語が紹介されていました。いろんな言葉を話題にして話をしましたが、記者にとって興味深く思われた言葉が、次の5語であったのでしょう。それは「よぼる(動詞)」「やぐさい(形容詞)」「へっちゃいこっちゃい(形容動詞)」「どっこいしょ(名詞)」「ぶてこい(形容詞)」です。
 「よぼる」の表す意味は、とても狭いと思いますが、このような言葉こそ大切にしたいと思います。
 「明石日常生活語辞典」では、次のように説明しています。


 《動詞・ラ行五段活用》 液体を容器の口から注いで容器を元に戻した後に、液体が容器の口から縁を伝わって流れる。「しょーゆさ(醤油指)し・から・ しょーゆ(醤油)・が・ よぼっ・とる。」「よぼら・ん・よーに・ じょーず(上手)に・ そーす(ソース)・を・ かけ・なはれ。」◆この言葉の意味を表す全国共通語は見あたらない。「こぼれる【零れる】」「つたわる【伝わる】」「ながれる【流れる】」などとは異なる意味を表す言葉である。

 ここにも書いていますように、全国共通語に「よぼる」と同じ意味を表す言葉はありません。わずかの量の液体が、容器の縁を伝わって流れることを表すには、どう表現すればよいのでしょうか。いま述べたように「容器の縁を伝わって流れる」と言うしかないでしょう。
 「こぼれる」には、容器がひっくり返ったり容器からあふれ出したりするという意味がありますから、「よぼる」と同じではありません。「つたわる」には、ある経路を経て動いていくと意味がありますから、わずか1、2滴が「よぼる」様子とは違います。「ながれる」は、かなりの量の液体が動くことをイメージしてしまいます。
 このように、全国共通語とは違った意味・用法を持つ言葉は、共通語の中に輸血して、共通語の文章の中で使うことをしてもよいのではないでしょうか。このような言葉が方言の中でも使う頻度が少なくなっていることを、とても残念に思うのです。

| | コメント (0)

2019年9月28日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(20)

こんかい、あっかい

 明石・魚の棚商店街が作りつつある方言番付では、前頭の位置に「こんかい」「あっかい」が挙げられています。
 番付に挙げる言葉は、たいていの場合は単語ですが、「こんかい」「あっかい」は2単語が結びついた言葉です。しかも後半は「かい」という同一の終助詞です。「こ(来)んかい」「あ(有)っかい」の他にも、「す(為)るかい」「し(知)るかい」「よ(読)まんかい」などのように、いろいろ使えるのです。このような言葉を、除外するという原則を立てることはできますが、地域の人々が選んだ言葉ですから、「省きましょう」という提案はしないでおきました。「こんかい」の共通語訳は「来たらよい。来てみたら」となっており、「あっかい」の共通語訳は「いけない」となっております。
 「明石日常生活語辞典」では「かい」について、次のように説明しています。全文を引用します。


 《終助詞》 ①疑問の気持ちを表して、相手に荒々しく問いかけたり念を押したりするときに使う言葉。「あんた・は・ だれ(誰)・かい。」「そんな・ こと(事)・を・ わし・が・ し(知)っ・とる・と・ おも(思)・とる・のん・かい。」②強く打ち消して拒否する気持ちを表す言葉。そうではないという意味のことを、反語的に表す言葉。「そんな・ こと(事)・は・ ゆ(言)ー・た・かて・ あいつ(彼奴)・に・ わかる・かい。」③思いに反したことに出会って、びっくりしたり落胆したりするような気持ちを表す言葉。軽い驚きの気持ちや、ものに感じた気持ちを表す言葉。「えーっ・ そないに・ はよ(速)ー・ でけ(出来)・た・ん・かい。」〔⇒か、かえ。①②⇒け、こ。①③⇒どい、どえ、ぞい、ぞえ。②⇒かれ、もんか、もんかい〕

 方言番付にある「こんかい」は主として①の意味、「あっかい」は主として②の意味と考えてよいでしょう。「かい」は、名詞、動詞、助動詞、助詞などに接続して、表現している人の気持ちを表しますから、共通語訳は多様になるのです。そして、「こんかい」「あっかい」などを一続きの言葉と感じ取る人がいても不思議ではないでしょう。
 同じような意味を「かい」以外の言葉で表現することもできます。「辞典」の説明の末尾の〔 〕の中は、置き換えることが可能な、別の終助詞を並べたものです。助詞や助動詞には、置き換えが可能な言葉がずいぶん様々に存在することも、方言の世界の特徴のひとつです。

| | コメント (0)

2019年9月27日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(19)

いちびる


 明石・魚の棚商店街が作りつつある方言番付は、前にも紹介しましたが、その関脇の位置に「いちびる」が挙げられています。
 「明石日常生活語辞典」では「いちびる」について、次のように説明しています。全文を引用します。


 《動詞・ラ行五段活用》 調子に乗ってはしゃぐ。調子に乗って行動する。ふざけたり、つけあがったりする。「いちびり・ながら・ みち(道)・を・ ある(歩)い・とっ・たら・ けが(怪我)する・ぞ。」「がくげーかい(学芸会)・の・ ぶたい(舞台)・に・ で(出)・て・ いちびっ・とる。」■名詞化=いちびり

 「いちびる」は主として子どもの動作・態度などについて言う言葉ですが、その動作・態度があまりにも軽薄な場合は、大人に対しても使います。
 真田信治・友定賢治編「地方別方言語源辞典」、東京堂出版、2007年9月15日発行の、159ページを見ると、「いちびる」の使用地域として京都・大阪・奈良とありますが、兵庫県でも広く使われているように思います。「子どもに対して言うことが多い」とありますが、その点では一致しています。面白いのは用例で、「寝るな、騒ぐな、いちびるな!」(大阪のある高校で教室に貼ってあった標語)と言うのが挙げられています。
 この言葉の語源について、同書は、「競り市で手を振って値の決定を取り仕切る人のことを『市振り』と言い、競り市でやかましく騒ぎ立てるところから、ふざけて大騒ぎをすることを『いちびる』というようになったとされる。 …(中略)… しかし子どもの騒ぐ様子を指す言葉としてほかに『市立てる』『市が立ってる』(市が立ったように騒々しい)などもあることから、『市振る』が語源であろう」と述べています。
 「明石日常生活語辞典」では、どの語についても、語源について推測することはしていません。明確にわかるものでなければ、個人の判断では自信が持てないからです。多分、使っている人自身は、「市」との関係などは頭の中にないだろうと思います。

| | コメント (0)

2019年9月26日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(18)

みずくさい


 前回の続きです。「滋賀の出身地バレ語」という読み物の中に、こんなことが書かれていました。


  (みそ汁などの)塩気が薄いことを みずくさいという 【見出し】
 みずくさいは「水臭い」で、元来が「水っぽい」「味が薄い」意味。共通語で「他人行儀」や「よそよそしい」ことを呼ぶようになったのはその後だ。これは元の意味が残っている例。現在は特に塩分が薄い場合に使われているようだ。
 (篠崎晃一+毎日新聞社、「出身地がわかる!気づかない方言」、毎日新聞社、2008年8月30日発行、122ページ)

 小さな国語辞典で「みずくさい」を引いても、「水分が多くて味が薄いさま」というような意味は書いてあります。塩気が薄いということと、水分が多くて味が薄いということとは表裏一体です。つまり、「みずくさい」という言葉を使っても滋賀県出身者という断定はできないと思います。兵庫県の明石でも使いますし、全国どこでも使うということでしょう。
 「明石日常生活語辞典」では「みずくさい【水臭い】」を次のように説明しています。「①水っぽくて味が乏しい。味がついていないようで良くない。②親しい間柄であるのに他人行儀である。相手の立場に立ってものを考えるようなことがない。人間味に欠けて、よそわそしい」。②はもともと、全国共通の使い方です。
 明石の言葉では、「みずくさい」と同じような意味で、「うすい」「もみない」「あじない」「あまい」も使います。

 ついでながら、前記の本では「京都の出身地バレ語」として、鳥肌のことを「さぶいぼ」ということを挙げていますが、「さぶいぼ」は近畿各地で使われていますから、京都出身者に限定できないと思います。この言葉を使えば、この都道府県の出身者と断言できる、というような言葉が、たやすく見つかるはずはありません。

| | コメント (0)

2019年9月25日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(17)

ごま(独楽)、がに(蟹)


 濁音よりも清音の方が美しく聞こえるということが言われます。語のはじめが濁音になることを避けるために「抱く」を「いだく」と言うということも行われています。
 けれども、日常の言葉の中には、清音よりも濁音が広く行われているということもあります。
 私の日常語の世界では、共通語の「こま」を「ごま」と言うことが多く、共通語の「かに」を「がに」と言うことが多いのです。「多い」と言うよりは、昔はたいてい「ごま」「がに」と言っていました。
 「兵庫の出身地バレ語」という読み物の中に、こんなことが書かれていました。こんな言葉遣いをしたら兵庫県出身者であることが明白になるという意味のようです。


 補助輪付き自転車のことをコマ付きという 【見出し】
 自転車に乗り始めた子どもが転倒防止のため後輪に付ける補助輪。それが付いた自転車の呼び方にも地域差があり、近畿と岡山、広島で使われているのが「コマ付き」だ。以前から近畿の一部で使われていた表現が徐々に広がったようだが、今のところ、まるで方言には東西の境界線があるかのように東日本には広がっていない。
 (篠崎晃一+毎日新聞社、「出身地がわかる!気づかない方言」、毎日新聞社、2008年8月30日発行、128~129ページ)

 東日本では「コマ付き」のことをどう言うのかは書かれていませんが、近畿地方で「コマ付き」と言うというのは、確かにその通りです。
 けれども、正確に言うと「コマ付き」ではなく「ゴマ付き」です。「明石日常生活語辞典」では、「ごま【独楽】」と、その他の「ごま」との2つの見出しで載せています。
 「ごま【独楽】」は、「木や金属で作り、心棒を中心にくるくると回る玩具」と説明し、「『こま』と言うことは少ない」と記しています。
 もうひとつの「ごま」は、「①自動車や自転車などの車輪。②自転車などの補助輪。③戸につけて、戸の開閉を滑らかにする、小さな車輪。戸車」と説明しています。こちらには「『こま』と言うことは少ない」とは書いておりません。「こま」という発音はほとんど無いからです。自転車店の店頭に「コマ付き自転車」という共通語的な表記があっても、発音は「ごま」となるはずです。
 同様に、蟹もほとんど「がに」という発音でした。「みち(道)・を・ あか(赤)い・ つめ(爪)・の・ がに・が・ ある(歩)い・とっ・た。」というような風景をよく目にしたものです。

| | コメント (0)

2019年9月24日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(16)

辞書を読む


 俚言だけを集めた方言集の場合は、数十ページとか百何十ページというぐらいの厚さですから、前から順序よく読んでいっても、読み終えることができます。
 ところが「明石日常生活語辞典」は800ページほどの分量で、品詞名や、言葉の意味の説明や、用例などを書いておりますから、前から順に続けて読んでいただくには不適であるだろうと思います。必要なところを引いて、参考にしていただくという使い方になるだろうと思います。
 ところで、井上ひさしさんに、こんな文章があります。大江健三郎さんに教わった不眠症克服法が、辞書を読むことだったというのです。こんなふうに書かれています。


 だいぶ以前、大江さんに、「不眠症をどのように克服なさっておいでか」と質問したところ、この希代の読書家からこんな答えが返ってきました。「このところ一年がかりで大野晋さんの『岩波古語辞典』を読みました。この方法だとよく眠れますよ」
 試してみて、その効果にびっくりしました。なにしろ、辞典には物語も伏線もクライマックスもありませんから、いつでもやめることができます。「このあと、この単語『建蔽率』の運命はどうなるんだろう」なんて考えなくてもすみますから、すぐ眠りに落ちてしまう。それ以来、この大江式就眠法で不眠症を退治しています。
 (井上ひさし、「井上ひさしの読書眼鏡」、中央公論新社、2011年10月10日発行、11~12ページ)

 私も、国語辞典などを前から順に読み始めたことはありますが、途中で挫折してしまって、最後にまで到達したことはありません。自分が書いた「明石日常生活語辞典」をひとりで、初校から三校まで行う作業には、ずいぶんな月数がかかってしまいました。ほんとうに眠くなったことが何度も何度もありました。
 けれども、自分で言うのはおかしいのですが、「明石日常生活語辞典」は、ふとしたところから、次々と読み進めていただいてもよいのではないかと思います。言葉に興味・関心をお持ちの方であれば、そんな読み方をしてくださってもよいのではないかと思うのです。
 話題は変わりますが、300部限定の本書は定価が高いのです。個人で買い求めていただくのは難しいだろうと思います。本書は、近畿地方を中心にした公立図書館と、全国の大学図書館に備えてほしいという希望を持っております。
 公立図書館の規則(?)で、改めてほしいことがあります。地域に関する資料や、辞書・事典類が、「禁帯出」の扱いになっていることが多く見られます。そのようにするのは、館内で毎日のように使う人がいるからとか、貴重な書物であるから紛失を防ぐためであるからとか、そんな理由のようです。私は、「禁帯出」の制度に反対です。どんな本でも、借り出したい人には応じるべきであると思います。図書館を日常的に活用するというのは、そういうことなのです。毎日毎日、図書館に足を運んで「禁帯出」本を読み続けることができるのはごく少数の方だけでしょう。本好きな人にはどしどし貸し出すという姿勢を持つことこそ、「開かれた図書館」の第一歩であると思うのです。
 貴重な書物の場合は、2部購入するという方法も考えるべきでしょうが、後からでも再購入が可能なものも多いと思います。「禁帯出」のラベルが貼られた書物が並んでいる本棚は、異様な感じが漂っています。
 もとの話題に返ります。それが図書館の蔵書である場合でも、「明石日常生活語辞典」は手元に置いてゆっくり読んでみてほしいと願っております。

| | コメント (0)

2019年9月23日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(15)

あたんする


 前回に引用した佐藤亮一編『都道府県別全国方言辞典』、三省堂、2009年8月25日発行の226ページに、兵庫県の特徴的な言葉として「あたんする」が載せられています。例文として、「そないな意地悪しよったら、いつかあたんされっど」が記されています。この言葉の分布範囲は、そんなに広くないのだろうと思います。
 「あたんする」を、「明石日常生活語辞典」では、次のように説明しています。「①何かをされた恨みを晴らすために、相手からされたのと同じようなことや、それ以上のことをやりかえすこと。または、そのような行為。復讐。②腹立たしさのあまりに、手元にあるものを投げ飛ばすこと」。そして、「①は、正面から堂々と仕返しをするのではなく、ひそかに行ったり、他に当てつけて行ったりするようなことを表すことが多い。」と説明しています。反感を持っている人の面前ではそんな行為がしにくくて、その場を離れてから当たり散らすというような状況が多いのです。
 ①②の意味に分けましたが、『都道府県別全国方言辞典』では、①の意味として書かれていて、②の意味は書かれていないように思います。「かいしゃ(会社)・で・ いやごと(嫌事)・が・ あっ・た・みたいで・ あたんし・て・ ばんごはん(晩御飯)・を・ ひっくりかえし・た。」というような使い方は、復讐ではなく、自分の感情の表現です。家族には迷惑ですが、こんな風景もないわけではありません。
 面白いのは、動物が暴れたりすることを、人間の心になぞらえるようにして表現することです。「ねずみ(鼠)・が・ あたんし・て・ てんじょー(天井)・を・ はし(走)りまわっ・とる。」と言ったりしますが、鼠は人間に反感を持っているのではなく、存分に暴れているだけです。人間にとっては迷惑ですから、「あたん」をされたように感じるのです。
 地域で使われる言葉には、その地域の人たちにとってはお互いに了解しやすいのですが、他の地域の人にはその表現の意図などがきちんと伝わらないことがあります。
 方言の専門研究者が各地の方言について書いている文章の中には、大筋で間違っていなくても、細かなニュアンスになると疑問に思うことがあるのです。その地域の言葉については、その言葉を使い、その土地で生活している人が記述するのが望ましいと思います。私が「明石日常生活語辞典」を作った理由は、そのあたりのことと深く結びついているのです。

| | コメント (0)

2019年9月22日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(14)

かちゃだける


 「かちゃだける」という言葉を使う人は、今では少なくなってしまったように思われます。「かちゃらける」とも言います。私が日常方言辞典を作ろうとした理由のひとつは、かつて使われていた言葉が、ひとたび消えると再び使われなくなって、記録しておかなければ、そんな言葉があったという記憶が人々からなくなってしまうという危惧からです。
 「かちゃだける」を「明石日常生活語辞典」では次のように説明しています。「空中や高いところなどから落ちる。転がり落ちる」。二階の屋根からかちゃだける、床机からかちゃだける、段ばしごを昇っていてかちゃだける、などと言います。
 この言葉の前提として「あだける」という言葉があります。転がり落ちるというような意味です。佐藤亮一編『都道府県別全国方言辞典』、三省堂、2009年8月25日発行の226ページに、兵庫県の特徴的な言葉として「あだける」が載せられ、「そないな狭いあぜ通ったら、あだけるでー」という例文が書かれています。ただし、明石の言葉としては「あだける」はあまり使われていないように思います。
 「かちゃだける」は、この「あだける」に接頭語の「かち」が付いて「かちあだける」となったものの発音が変化して「かちゃだける」となったと考えられます。「かち」という接頭語は、「かちわめ(喚)く」「かちわ(割)る」「かちめ(壊)ぐ」「かちぼか(放下)す」「かちお(落)とす」などのように、勢いよく行う、荒々しく行うという感じを与える言葉です。
 「かちゃだける」も、勢いよく落ちる、辺りにぶつかりながら落ちるというような感じが出ています。
 明石に住む子どもたちも、次第に共通語に引かれた言葉遣いになっています。「かちゃだける」を使わなくても「落ちる」と言えば、一応、ことが足ります。「かちゃだける」を使ってほしいと思いませんが、かつてはそんな言葉が使われていたという記録は必要なことでしょう。
 一世代前にはほとんど使われていなかった「行っちゃう」「来ちゃう」という言葉遣いはごく当たり前になっています。かつては「行ってまう」「来てまう」などと言っていた言葉です。「行っちゃう」「来ちゃう」を排斥するつもりはありませんが、「行ってまう」「来てまう」の「てまう」という言葉遣いが聞かれなくなることには、少し寂しい思いがします。「てまう」という補助動詞は、「いま(今)さっき・ でんしゃ(電車)・が・ で(出)・ても・た。」というような使い方をする言葉です。

| | コメント (0)

2019年9月21日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(13)

足踏みミシン


 携帯電話が普及しはじめたときには、ずいぶん便利なものができたと思いました。とは言っても、自分が持つようになったのは早いほうではありません。ところが、スマートホンが売り出されて、携帯電話が古くさく感じられるようになりました。私は流行を追うつもりはありませんが、「あなたの使っている携帯電話の電波は、何年か先には使えなくなります」という脅し文句が書かれたDMが届いて、スマートホンに変えざるを得なくなりました。
 けれども、スマートホンを便利だとは思いません。インターネットやメールは、使い慣れたパソコンを利用する方が便利です。買い替えなくてよかったと反省しています。
 さて、携帯電話は、今では悪口まがいにガラケーと呼ばれています。ガラケーとは、ガラパゴス化した携帯電話ということのようです。機器の構造によって、海外市場に進出できず、国内市場だけで孤立したから、このように呼ぶのだそうです。
 携帯電話が古くさくなればガラケーと呼ばれるのと似たような呼称は、他にもあります。こんな文章を読みました。


 島根に帰省した折、姉(83)の家に立ち寄った。足踏みミシンで近所の人から頼まれた服の裾や腰回りなどの手直しをし、喜ばれている。 …(中略)…
 子どものころ、姉が我が家の足踏みミシンを使う姿を見て、踏み板を踏み込むとベルトが回転し、針が小刻みに上下し、その下に布を置くと縫える不思議な動きに興味を抱いた。姉から使い方を教わったが、特に足踏みが難しい。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年9月15日・朝刊、13版S、22ページ、「男のひととき」、古藤嘉久次〈投稿〉)

 ミシンと書くと電動ミシンのことを思い浮かべてしまう人が多いでしょうから、「足踏みミシン」と書かなければならないのです。筆者も書いておられるように、その動きについては「踏み板を踏み込むとベルトが回転し、針が小刻みに上下し、その下に布を置くと縫える」という説明が必要になるのでしょう。
 文明の進歩によって生活が変わっていきます。携帯電話(いわゆるガラケー)や、ミシン(いわゆる足踏みミシン)は進歩の一過程の産物であったのかもしれませんが、それに親しんだ世代の人にとっては、それを表す言葉が使われなくなることは寂しいことであるのです。また、別の言葉で表現しなければならなくなるのも寂しいことです。ガラケーや足踏みミシンという言葉ではなく、それを使っていた時には「携帯電話」や「ミシン」という言葉であったのです。

| | コメント (0)

2019年9月20日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(12)

せんど、せんどぶり、あいさに


 前回の話題の続きです。魚の棚商店街が中心になって作りつつあるある「明石方言番付」の横綱に「せんどぶり」が挙げられています。
 「せんどぶり」は形容動詞で、「せんどぶりに・ お(会)ー・た。」とか「か(勝)っ・た・ん・は・ せんどぶりやっ・た。」とか言います。それとともに、「せんど」という名詞・副詞もあります。「あんた・と・は・ せんど・ あ(会)わ・なんだ・なー。」などと言います。
 「明石日常生活語辞典」では、「せんど」を「長い間。長い間にわたって。久しく」と説明しています。「せんどぶり」は「前にそのことをしてから、ずいぶん長い時間が経っている様子。長い間隔を置いた様子」と説明しています。「せんどぶり」と似た意味で使う言葉は「ひさしぶり」です。
 現在では「ひさしぶり」を使う人の方が多くなっているかもしれません。けれども明石の言葉としては「せんどぶり」「ひさしぶり」の両方があるのだということを、きちんと記録しておこうと思うのです。「明石日常生活語辞典」の副題は「俚言と共通語の橋渡し」です。方言(俚言)が使われなくなりつつあることを認めながらも、俚言として「せんどぶり」が存在しているのだということを、若い人たちに伝えていこうと思うのです。
 今年のプロ野球のペナントレースも終盤を迎えています。阪神タイガースは、今年も優勝戦線から離脱しています。「はんしん・は・ せんど・ ゆーしょーし・とら・へん・なー。」というため息が聞こえてきます。
 そうなのです。「はんしん・は・ あいさに・しか・ ゆーしょーせ・ん・さかい・ ことし・も・ あか・ん・の・や・なー。」というわけです。
 「あいさ」というのは名詞・副詞で、「あいさに」となると副詞です。そのことがあるのは、時たまであったり稀であったりすることという意味です。阪神タイガースは「あいさに」しか優勝しませんから、優勝すると大騒ぎになるのです。
 「あいさに」という言葉も、あいさ(時たま)でよいから使い続けていってほしい言葉であると思うのです。

| | コメント (0)

2019年9月19日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(11)

べっちょない


 交通事故や火災などのニュースのときに、被害に遭われた方の様子を知らせる言葉として「命に別状はありません」と言うことがあります。
 この「別状ない」という言葉の発音が少し崩れた形として「べっちょない」という言い方があります。明石をはじめ播磨地域の方言の代表のように、この「べっちょない」が取り上げられることがあります。
 「明石日常生活語辞典」の刊行について、最も速く取り上げてくださったのは、東京のTBSラジオでした。午後の番組「赤江珠緒のたまむすび」の9月4日(13時~15時30分)です。この曜日は赤江さんと博多大吉さんの担当でしたが、冒頭から「明石日常生活語辞典」を机上に置いて、方言を話題にしていただきました。時間の最後も方言が話題になりました。
赤江さんは兵庫県明石市の出身で、県立明石高校の卒業生で、私の後輩になります。いろいろな話題が出ましたが、赤江さんが明石の言葉として最も印象に残るものとして挙げたのが「べっちょない」でした。たぶん播磨地域の出身者に質問すれば、同じような答えが多いことだろうと思います。
 話題が変わりますが、明石の有名な商店街に「魚の棚(うおんたな)」があります。その魚の棚商店街が中心になって、今、「明石方言番付」というものを作りつつあります。現在のところ、横綱には「せんどぶり」(久しぶり)と「めぐ・めげる」(壊す・壊れる)とが挙げられて、大関に「べっちょない」と「ちゃう」(違う)が挙げられています。
 さて、その「べっちょない」について、「明石日常生活語辞典」では次のように説明しています。「とりわけ差し支えは生じない。大丈夫であるから気にしなくてよい。」という意味です。
 この「べっちょない」とよく似た意味を表す言葉として、明石の言葉には、「だいじない」「だんだい」「だんない」「かまへん」「かめへん」「かまん」「かまわん」などがあります。
 とりわけ「だんだい」「だんない」は、相手の過失や失敗などを強くとがめることをしないで、大丈夫だからあなたのしたことを気にしなくてもよい、というような意味を伝える言葉です。温かい気持ちに縁取られて発する言葉なのです。

| | コメント (0)

2019年9月18日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(10)

「ん」で始まる言葉


 「私は存じませぬ」という場合の文末は「存じません」となることがあります。と言うよりは、現在では、「ん」という発音になっていると言ってもよいでしょう。
 したがって、国語辞典の「ん」の部には、「ん」という助動詞の他にも、複合的な言葉である「んで」「んとす」なども並んでいます。
 「んなあほな」という言葉について書かれた文章がありました。


 この言葉の、独特の響きを耳にしたときのことも忘れられない……、って、あれ? いつやっけ。大阪の寄席、天満天神繁昌亭で、五つのひらがなが並んでいるのをはっきり意識したのは間違いないんやけど。
 「んなあほな」
 見かけたのは上方落語協会の情報誌、そのタイトルなのだ。笑福亭仁鶴さんの弟子、笑福亭仁勇さん(56)の案だったそう。「『ん』で始まるから、目立つと思ったんですよ」と命名者は明かす。
 「いきなり『あほな』はキツいけど、前に『んな』って付けると、ノリツッコミのようになるんじゃないかなあ。『そんなあほな』の『そ』がかすれたんでしょうね」。 …(中略)…
 そもそも「ん」で始まる日本語って、ほかにあるのか? 広辞苑に「ん」の欄はささやかにあった。「ンジャメナ」「んす」「んず」「んとす」。なんのこっちゃ。「んなあほな」の方がはるかにポピュラーな気がするけどなあ。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2015年5月27日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、篠塚健一)

 たしかに「んなあほな」は「『そんなあほな』の『そ』がかすれた」と言えるでしょう。けれども、「そ」を言おうとして消えたのではなく、はじめから「そ」を言うつもりはなかったと考えても間違いではないでしょう。
 「明石日常生活語辞典」では「ん」の部に、21の見出しを立てています。感動詞で、「うん」ではなく、短く「ん」と言うことがあります。名詞の「馬」を「うま」と言わないで「んま」と言うこともあります。
 けれども大部分は、助詞や助動詞に当たる言葉です。「もっと・ はよ(速)ー・ はし(走)ら・んかい。」の「んかい」(終助詞)。「にんげん(人間)・は・ い(生)きる・ ため・に・は・ く(食)わ・んなん・やろ」の「んなん」(助動詞)。そのような言葉が多いのです。
 方言は話し言葉の世界ですから、「ん」で始まる言葉は、もっとたくさんあるかもしれません。

| | コメント (0)

2019年9月17日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(9)

冷蔵庫と電気冷蔵庫


 今どき、「でんきれいぞうこ(電気冷蔵庫)」と言う人はほとんどいないと思います。けれども、私が幼かった頃は「れいぞうこ(冷蔵庫)」と「でんきれいぞうこ(電気冷蔵庫)」とは別物でした。
 「明石日常生活語辞典」では、「れいぞうこ」の説明を次のように書いています。「①食べ物を低い温度で保存するために、中を冷たくしてある箱形の入れ物。②氷を入れて冷やすものに代わって登場した、電気の力を用いて食品などを冷やして貯蔵する入れ物」。
 こんな文章を読みました。


 台所でみんながなつかしがるのは氷の冷蔵庫と米櫃である。実は氷の冷蔵庫は博物館にするにあたって知人からもらったもので、私の家のものは電気冷蔵庫を買ってから母が処分してしまったのである。しかしわが家で氷冷蔵庫を使いはじめたのは昭和三〇年代の初めだから、すぐに電気冷蔵庫の時代がきてしまったわけだ。そういう家も多かったようで、「うちにはこんな氷の冷蔵庫はなかった」という人もずいぶんいる。
 (小泉和子、「昭和のくらし博物館」、河出書房新社、2000年11月20日発行、22ページ)

 氷の冷蔵庫は、せいぜい2段でできている構造で、上段に氷を入れて冷やします。わが家でも、氷冷蔵庫を使いましたが、よそから譲り受けて使ったように思います。毎日使おうとすれば、毎日氷を買わなければなりません。沢山の食料を準備しなければならない特別の日などに使ったように思います。毎日使うのはぜいたくであると思っていたのかもしれませんし、氷を配達してもらったり氷を買いに行ったりするのは手間のかかることでした。電気冷蔵庫ができてからは、その普及は案外、早く進んだように思います。
 「電気」を冠する言葉には、他に、電気掃除機、電気洗濯機、電気アイロン、電気釜、電気ミシンなどがありました。アイロン、釜、ミシンなどは、かつては電気を使わないものがあって、それが当たり前のものになっておりました。アイロンは炭火を使い、釜は薪などで炊き、ミシンは足で踏んでいました。

| | コメント (0)

2019年9月16日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(8)

うんてい(雲梯)


 私が小学生であった昭和20年代の後半、学校には「うんてい」がありました。現在、小型の国語辞典の中には「うんてい」という言葉を載せていないものもあります。小学生向けの『チャレンジ小学国語辞典・第4版』には、「うんてい【雲てい】」という見出しがあって、「公園や小学校などにある、はしごを横にして柱で支えたような形の遊び道具」と説明されています。
 うんていでの事故について書かれた新聞記事がありました。


 2017年4月、香川県善通寺市の保育所。女児はうんていの支柱とはしご(高さ約1メートル)との間にできたV字部分に首を挟まれた状態で見つかった。保育士が気づいたのは約10分後。救急搬送されたが、18年1月に亡くなった。うんていは、妹のいる部屋のすぐそばにあった。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月19日・朝刊、14版、28ページ、平井恵美・木村健一)

 カタカナ外来語や短絡表現の好きな新聞が「うんてい」という言葉を使っていることから判断しますと、「うんてい」を言い換えた言葉はないようです。
 記事に添えられている写真を見ると、支柱もはしごもまっすぐで、角張った形をしています。私の描いているイメージとはだいぶ異なります。
 「うんてい」は共通語ですが、私は「明石日常生活語辞典」で「うんてい」を、「左右に支柱を立てて、はしごを水平に円弧の形に張って、それを懸垂しながら前へ前へと渡っていくようにした遊戯施設」と書きました。左右から見ると、真ん中が少し盛り上がったような「円弧の形」であったように思います。
 その項目の追記として、「小学校時代にあったものは、すべてが木製であった。リズムをとって一つ飛ばしや二つ飛ばしで進んでいくのが格好よく、憧れた。それ以外に、『うんてい』の上にのぼってしまって、辺りの景色を眺めるということもした。『うんてい』というのは聞き慣れない言葉であり、その言葉の意味を理解していなかったから、『うんてん【運転?】』と言うことも多かった。」と書いています。
 中国で城を攻めるときに使った長い梯子を「雲梯」と言い、それに由来する言葉のようですが、そんな遊具自体が減ってしまっているのでしょうか。ものが無くなれば、それを表す言葉も消えていきます。

| | コメント (0)

2019年9月15日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(7)

さん、ちゃん、はん、やん、たん


 古くからの集落には家号(屋号)が伝わっています。私の住む地域にも残っています。〇〇さんという呼び名の「はっちょみさん」「もよみさん」。〇〇ちゃんという呼び名の「たんちゃん」「よんちゃん」。〇〇はんという呼び名の「くろべはん」「ごえはん」「じゅうべはん」「せえべはん」「たろべはん」「はちべはん」「まごべはん」。〇〇やんという呼び名の「こさやん」「しょうやん」「にさやん」などです。わが家は「せいはっつぁん」または「せえはったん」と呼ばれていますが、これは、清八さん、清八ちゃん、清八はんなどの発音が崩れたものでしょう。
 「さん」などの接尾語は、家号だけではなく、人名にも使われます。
 これらの愛称のうち、「やん」について書かれた、こんな文章を読みました。


 友人知人のひとりやふたり、「やん」づけがいるはず。私の同僚にもいる。いもやん、かじやん、つかやん。名字の上半分に「やん」を足した愛称が基本で、男性に使われることが多い。 …(中略)…
 落語でも「やん」はおなじみだ。上方落語の「七度狐」は喜六、清八コンビがお伊勢参り道中、狐にだまされる話。清八は「清ぇやん」だ。
 なぜか許してしまう、心をくすぐる魔法の言葉が「やん」かも。「大阪ことば事典」(牧村史陽編)にこうある。「サン」がなまって変わったもので、親しい間柄に用いると。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2017年4月5日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、河合真美江)

 上の引用文は、家号ではなく人名について書かれています。その文章のうち、「名字の上半分に『やん』を足した愛称が基本で」という部分には異論があります。名字の上半分に付くこともありますが、どちらかというと、氏名の「名」の上半分に付くことが多いように思います。
 面白いのは、落語の清八は「せぇやん」ですが、わが家の家号は「せえはったん」です。

 ところで上の記事の見出しは「仲良しの証し 魔法やん」と書いてあるのですが、「魔法やん」の「やん」は、掛詞的な使い方です。
 この「やん」は終助詞です。「明石日常生活語辞典」では、「相手に語りかけて、念を押したり同意を得たりするような気持ちを表す言葉」と説明しました。「魔法やんか」と言っても同じような意味です。

| | コメント (0)

2019年9月14日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(6)

しーこいこい


 「明石日常生活語辞典」では、「栄養分を吸収したあとの老廃物として、体外に排出される液体。また、それを排出すること」という説明を書いています。どういう言葉について説明しているのか、おわかりでしょう。この辞典では、単に言葉を置き換えるのではなく、その言葉の持つ意味を説明しようとしています。
 その言葉は、明石ではいろいろな言い方をします。載せている言葉を並べあげると、しょうべん、しょんべん、しょうよう、しい、しいこっこ、おしっこ、しょう、となります。「しゅうよう(小用)」は歳をとった人が使う言葉です。「しょう(小)」は、「しょー・の・ べんじょ(便所)・は・ いま(今)・ まんいん(満員)・や。」などという場合の使い方で、「だい(大)」に対する言葉です。
 子どもに向かって、「しーこっこし・と・なっ・たら・ はよ(早)ー・ ゆ(言)ー・て・な。」と言うことがありますし、小便を促すときには「はい・ しーこっこ・ しーこっこ」と言うこともあります。「しーこいこい」とも言います。
 大人同士で、「びーる(ビール)・を・ よーけ〔沢山〕・ の(飲)ん・だら・ しーこっこ・が・ し・た・なる・なー。」などと言うこともあります。
 その「しーこいこい」について書かれた、こんな文章を読みました。


 1965年に出版された「上方語源辞典」(前田勇編、東京堂出版)をひもとくと、「小児に小便をさせる時にいう」とちゃんと書かれている。その昔、小便を指していた「しし」を略したのが「しー」。「こいこい」は犬などを呼び寄せる時のことばなのだそう。合体して「しーこいこい」? おしっこをなかなか出せない子どもをなだめるために、犬の名などを呼んでいた名残ということらしい。 …(中略)…
 撮影のために、お邪魔させてもらった大阪府門真市の「おおわだ保育園」の馬場睦代園長(47)に聞いてみると、「私の子どものころは家で『しーこいこい』って言われていましたけど、若い保育士さんたちに聞いてみたら『しーしー』がほとんどになっていましたよ」
 (朝日新聞・大阪本社発行、2014年4月16日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、篠塚健一)

 「しー」や「しーこっこ」は擬態語・擬音語と言ってよいでしょう。そのものを直接に表すよりも、婉曲的な言葉を使って表現しているように思われるのです。関西の言葉には擬態語・擬音語があふれているのです。

| | コメント (0)

2019年9月13日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(5)

仲間内の言葉を作り上げる


 小さな子どもが言葉を覚えるときは、周りの人が使っている言葉を真似て使うようになって、その使い方に慣れて、身に付いていきます。言語形成期という時代に身につけた言葉は、修正しようとしてもなかなかうまくいかないこともあるようです。
 けれども、東京の大学に進学した若者が、短い期間に東京言葉を身に付けてしまうこともあって、驚きます
 こんな記事を読みました。全国高校野球選手権大会に出場した中京学院大学中京高校の野球部について書かれた文章です。


 野球部は全寮制で、部員には兵庫県や大阪府出身者が多い。地元の岐阜県民は、元君(多治見市出身)を含めて3分の1ほど。
 「壁」となったのは言葉だ。「なにやっとんねん」。練習中にミスをすると関西弁でげきが飛ぶ。岐阜出身の増田大晟君(3年)は「突然怒ったのかと思ってびっくりした」と明かす。
 互いの言葉に慣れず、寮でも学校でも距離が縮まらない日が続いた。ある日、関西勢が岐阜県東濃地域でよく使われる「~やもんで(だから)」「~やら(だね)」といった方言に興味を示し、口にし始めた。
 しばらくすると、岐阜県民も「正味な」「ちゃうやん」などの関西弁を使うようになった。今では出身地域に関係なく、みんながそれぞれ好きな言葉で話す。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月19日・朝刊、14版、26ページ、松山紫乃・藤田大道)

 方言は、仲間内の言葉だと言ってもよいでしょう。地元同士の間柄では地元の言葉を使い、関西人同士では関西弁を使います。異なった地域の人と話すときには、意識して全国共通語を使おうとします。
 高校の野球部員同士は仲間内ですが、出身地により基盤となっている言葉が違っています。この記事にあるような言葉遣いによって、新たな仲間内の言葉が形成されていくのは興味深いことです。
 練習中のミスに対して「なにやっとんねん」というげきが飛ぶのはもっともなことかもしれません。けれども、相手のミスをかばってやろうとするような気持ちがあるときには、「べっちょない」とか「だんだい」「だんない」のような関西言葉が飛び出してもよいのではないでしょうか。仲間内に、温かみのある言葉が少しずつ増えていけば嬉しいことだと思うのです。

| | コメント (0)

2019年9月12日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(4)

よろしおあがり


 食べ物を前にして座ると、祖母の「よろしおあがり」という言葉が聞こえてくるような気持ちになることが、あります。
 祖母は、座った途端に「よろしおあがり」と言ったり、「いただきます」という言葉の返事のように「よろしおあがり」と言ったりしていました。食事がすんで「ごちそうさん」と言ったときにも、「よろしおあがり」という言葉を聞くこともありました。祖母の口癖のような言葉でした。
 この言葉は、子や孫のような家族に対してだけではなく、きちんとしたお客さんが来た場合にも使っていた言葉でした。
 祖母からは聞きましたが、母の口からはこの言葉は出ませんでした。母は「どーぞ食べなはれ」、「召し上がってください」のような言葉を使っていたように思います。食後の挨拶の場合は「よろしおあがり」ではなくて、「何(なん)もなしで、すんませんでしたなぁ」というような言葉で対応していたように思います。
 こんな文章を読みました。


 「よろしおあがりっ!」
 わが家で「ごちそうさま」と手を合わせると、料理を作った妻からこう返ってくる。妻の母親は大阪生まれ。母から娘に受け継がれた柔らかなことばが、食事を平らげた至福を一段とほっこり豊かな気持ちにしてくれる。 …(中略)…
 講談師の旭堂南陵さん(65)は著書で「絶滅危惧種の大阪ことば」に認定した。
 「よろしおあがりやす」とも、「よろしゅうおあがり」とも。食べる前、食べた後、食事中に誰かが訪ねてきたときのあいさつにも使われる。食後なら、「よく食べてくれてありがとう」というニュアンス。「お粗末さま」ほどへりくだるでもなく、「おいしかったやろ」の押しつけがましさもない。 …(中略)…
 「明治生まれの母親が使っていましたね」と、武庫川女子大学の言語文化研究所長を務めた佐竹秀雄さん(67)。「由来ははっきりしませんが、自分や料理でなく、相手のしぐさや気持ちに沿っているところが関西のことばらしいですね」
 (朝日新聞・大阪本社発行、2015年5月20日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、田中章博)

 記事に書かれている内容に、すべて同感です。しかも、「明治生まれの母親」だけでなく、年若いと思われる記者の奥さんも使っているということに感服しました。
 「明石日常生活語辞典」では、「よろしおあがり」と「よろしゅうおあがり」の2つの形をあげて、「『いただきます』や『ごちそうさま』という言葉に応えて、どうぞ召し上がってくださいという気持ちや、よく召し上がっていただいたという気持ちや、お粗末さまという気持ちなどを述べる言葉」と説明しました。
 記事にある「『お粗末さま』ほどへりくだるでもなく」というところとは異なっているのですが、「お粗末さま」という言葉を口にしないが、そのような気持ちも感じられるというほどにご理解ください。
 この「よろしおあがり」は、大阪や京都などだけでなく、広く関西で使われていたと思いますが、次第に使われなくなっていることは残念なことです。

| | コメント (0)

2019年9月11日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(3)

立ちしな・立ちし


 座っている状態から、立とうとする動作に移ろうとするときのことを、関西の言葉では「立ちしな」「立ちし」「立ちかけ」「立ちがけ」「立ちやけ」などと言います。「立ちしな」は関西の風情がよく出ていると思います。「立ちしな」を短く言うと「立ちし」になります。
 こんな文章を読みました。


 芥川賞作家で文化勲章を受章した田辺聖子さんが、6月に91歳で亡くなりました。田辺さんの手紙と音源が米朝家にあります。手紙は2002年6月13日の消印。和紙の便せんに柔らかな筆文字が綴られています。
 「老母は九十七才ですが、ゆうべのてんぷらも私よりたくさん頂き『ハイ、ごちそうさん』と立ちしなに私をじろりと見て、『あんまり飲みなさんなよ。あたま悪うなりまっせ。もう手おくれやろけど』……子を見ること、親に如かず、です」
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月15日・夕刊、3版、3ページ、「米朝物がたり」、小澤紘司)

 「明石日常生活語辞典」では、「しな」という、動詞の連用形に付く接尾語を、「①その動作などをする、ちょうどその時。②その動作をしている途中」と説明しました。
 新聞からの引用文は①の意味ですが、②の意味では「行きしな・に・ 土産・を・ こ(買)ー・ていく。」というような使い方をします。「行きしな」とも言いますし、「行きし」とも言います。ただし、前の動詞が1音節のときは、「寝しな」と言って、「寝し」とは言いません。

| | コメント (0)

2019年9月10日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(2)

子取り


 「子取り」という言葉が方言であるのかどうか、よくわかりません。誰が聞いても意味がわかるように思いますが、「広辞苑・第4版」には、「①子供の遊戯の一。一人は鬼、一人は親、他はすべて子となって順々に親の後ろにつかまり、鬼が最尾の子を捕らえれば、代わって鬼となる。子をとろ子とろ。②産児を母体から取り出すこと」と説明されています。ここで述べるのは広辞苑に書かれているような意味ではありません。
 こんな文章を読みました。


 その頃の子供たちは、幼稚園や小学校から帰ると、往来や、町の川べりにある広っぱで、遊んでいた。親たちは夕方になると、早く家に戻れとうるさく言った。
 おそくまで外で遊んでいると「子取り」がきて、つれていかれるとおどすのだった。
 「子取り」を見たこともないのに、子供たちは、世にも恐ろしい者と信じていた。 …(中略)…
 子取りにさらわれると、サーカスに売られて、帰れないと聞かされていた。一年に一度、広っぱに来て、象色のテントを張るサーカスが好きになった私は、何とかしてサーカスにさらわれたいと、毎日、テント小屋にもぐりこんだものだった。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年7月11日・朝刊、13版S、31ページ、「寂聴 残された日々・49回」、瀬戸内寂聴)

 「明石日常生活語辞典」では、「子取り」を、「子どもをだまして連れていってしまうこと」と説明しました。追加して「また、子どもをだまして連れていってしまう人」と書くべきでした。
 子取りとは、誘拐であり、誘拐犯人のことです。誘拐というような言葉を知らない、小さな子どもにでも「子取り」という言葉は、恐ろしいイメージで迫ってきます。子取りに出会った後はどうなるのか、殺されてしまうのか、サーカスに売られてしまうのか、そんなことを考えるいとまもなく、「子取り」という言葉に促されるように、すぐに自分の家に駆け込むのです。
 家の中にいても、「子取り」の恐怖はありました。「親の言うことを聞かへん子は、子取りに連れていかれるぞ~」などと親に言われると、素直にならざるをえませんでした。
 「子取り」という言葉に恐怖を感じたのは何歳ぐらいまでだったのでしょうか。せいぜい小学生の頃までだったでしょう。周囲には、実際に「子取り」に連れていかれた子はいませんでしたが、ときどき誘拐事件が新聞に載りましたから、「子取り」には現実感も伴っていました。

| | コメント (0)

2019年9月 9日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(1)

アップル


 「明石日常生活語辞典」で取り上げた言葉について書く連載を始めます。説明の補充であったり、説明の訂正であったり、あるいは、とりとめのないことを書き綴ったりの内容になると思います。
 「明石日常生活語辞典」は、一人で原稿を書いて作り上げた本であり、校正も一人でしましたから、書き漏らしたことや誤りなどがあるだろうと思います。もしかしたら、将来、この本の正誤表を作らなければならないことになるかもしれませんが、そのための基礎作業でもあります。

 さて、最初の話題は「アップル」です。こんな新聞記事を見ました。


 猛暑が続く中、神戸市長田区の「兵庫鉱泉所」でラムネの生産がピークを迎えている。昔ながらのガラス瓶にラムネが注がれると瓶の表面に水滴が浮かび、涼を感じさせる。
 1952年創業。ラムネのほかサイダーやアップル(みかん水)など7種類の清涼飲料水を製造している。
 (神戸新聞、2019年8月7日・夕刊、4版、1ページ、斎藤雅志)

 この記事には「ラムネ 涼を封じ込め 神戸・長田」という見出しがついていますから、話題の中心はラムネなのですが、「アップル」のことも書いてあります。「アップル(みかん水)」という表現に、あれっ?と思われるかもしれません。「アップル」と「みかん」が結びついているのです。
 「明石日常生活語辞典」では、「アップル」を、「りんごジュースのような味や風味がする飲みもの」と説明しました。
 この「アップル」について、2012年4月24日の朝日新聞・大阪本社発行の夕刊は、「180ミリリットル、120円。いまどま珍しい透明のガラス瓶。ものすご~く薄い黄色で、瓶を握る指が透けて見える」という記事を載せています。
 名前は「アップル」ですが、薄い黄色であるがゆえに「みかん水」というわけなのでしょう。みかんの果汁が入っていたとは思えません。私が子どもの頃、駄菓子屋で買ったアップルを飲むことがありましたが、アップルはラムネよりも安価であったように思います。
 子どもの頃は、それがどこで作られているのかは知らなかったはずですが、神戸の西部で作られていることは昔も今も変わらないでしょう。私自身には飲み物の色の記憶があいまいです。黄色であったかもしれませんし、紅色を帯びていたかもしれませんが、薄い色づけであったことは確かでしょう。
 「アップル」という名前で作られ続けているのでしょうが、近頃は見たことがありません。駄菓子屋さんを探索して「アップル」に巡り会ってみたいという気持ちになってきました。

| | コメント (0)

2019年9月 8日 (日)

明石日常生活語辞典の刊行について(8)

刊行の経緯について述べます(その2)


 「明石日常生活語辞典」の原稿は、自分ひとりの手仕事として書き続けてきました。パソコンを使いましたが、ワープロ機能だけで、高度な使い方はしておりません。手書きがワープロ印字になったというに過ぎません。ひとりの手仕事ですから、ミスもあると思います。何度も何度も全体を通して読み直しましたが、ミスが皆無であるとは思いません。多少のミスは大目に見てくださるようお願いします。
 いつ終わるとも知れない作業を続けていると、まとめあげるまでに自分の命が続くのかという心配も湧いてきます。重大な持病があるわけではありませんが、人の命ははかないものです。
 そこで考えたことは、ブログを開設してそこに記録し続けていけば、刊行にたどり着けなかった場合でも資料が残る、他の人に利用していただける方途はある、ということでした。ブログの連載は、2009年(平成21年)7月8日に始めて、改訂作業のありのままもブログに載せました。連載した記事は2605回になりました。ただし、これだけの回数のブログ記事を通覧していただくことは、実際には無理なことです。
 ブログはそのまま公開し続けていますが、本書は、ブログの最終原稿のままではなく、さらに加除・修正を加えた内容になっています。
 ともかくも、出版物の形で残せることになりました。後の時代の人が行う方言研究の資料としての働きを果たせたら嬉しいと思います。
 本書を刊行する2019年は、1919年(大正8年)に明石市が市制を施行してからちょうど100年になります。この100年の間に、地域の言葉の様子は大きな変化を遂げてきたはずです。出版していただく武蔵野書院も同じ年の創業で、今年が100年にあたります。奇しくも一致しましたが、そのようなときに出版できることを嬉しく思います。
本書は、現時点ですぐさま方言研究に役立つものであるかどうかはわかりません。けれども、何年か後、何十年か後の方言研究者が、明石の俚言の姿、関西の共通語の姿、全国共通語の姿を調べようとするときに、資料として役立つものとなることを願って編集しました。後の時代の研究者が、本書から資料的価値を見出していただけるならば、筆者としてこれに過ぎる喜びはありません。
 わが子、わが孫、そして明石や近隣にお住まいの方々すべてに向けて、このような記録を残しておきたいという気持ちをこめて本書を編集しました。

| | コメント (0)

2019年9月 7日 (土)

明石日常生活語辞典の刊行について(7)

刊行の経緯について述べます(その1)


 私は大学の卒業論文で「明石方言の語法」をテーマに選び、それ以来、方言への関心をずっと持ち続けてきました。はじめの頃は語法(文法)などに関心を持ち、研究発表などもしましたが、次第に語彙(単語)への関心が強まってきました。
 大学で指導していただいた和田實先生はアクセント研究で知られた方ですが、先生は「歳をとるに従って、方言研究は語法から語彙に移るようになる」とおっしゃっていましたが、私はまさに、そういう道のりを進みました。
 パソコンを導入する前は、気づいた単語は用例とともに、当時広く行われていたB6判カードを作って、ひとつずつ記録していきました。
 パソコンを使い始めたのは、ジャストシステムのワープロ・ソフト「太郎」がバージョンアップされて「一太郎」として発売された頃です。NECのVM2というデスクトップが伴侶でした。この段階から、カードを取り止めて、パソコン入力によって資料を蓄積することにしました。
 文化庁の各地方言収集緊急調査の兵庫県調査員を務めたのは昭和の終わり頃でしたが、私が担当した神戸市の調査をもとにした『神戸・和田岬の言葉』を刊行したのは1990年(平成2年)でした。
 それ以後は明石の方言集をまとめることが大きなテーマになりましたが、仕事が管理職になったりして、集中して作業を続けることが出来ないような状況も続きました。高等学校を退職した後の10年間は大学教育に携わりました。70歳を迎えて、やっと明石方言に取り組む時間が、まとまって得られるようになりました。
 その途中のそれぞれの段階で、思い出したように明石方言に取り組みましたが、辞典の本文の記述の仕方について、二転、三転、その方向性を変えましたから、その度に全体を読み返して、多くの時間を費やすような結果になりました。
 最終的に定めた記述の仕方は、「『日常生活語辞典』の編纂と、その記述の方法 -兵庫県明石方言を例にして-」と題して、2017年(平成29年)の日本方言研究会第104回研究発表会で発表させていただきました。その後も、記述の仕方を一部、手直しして、やっと最終原稿をまとめることができました。思えば、遅々とした歩みであったように思います。

| | コメント (0)

2019年9月 6日 (金)

明石日常生活語辞典の刊行について(6)

「本書の特長」をそのまま伝えます


 「明石日常生活語辞典」の出版元・武蔵野書院が作成したパンフレットに「本書の特長」を記しています。これまでに述べたことと重なる部分はありますが、箇条書きでパンフレットに書いていることを引用します。

●この辞典は、明石で使っている言葉について、俚言、関西共通語、全国共通語の区別なく、すべてを集めました。
●この辞典は、著者の祖父母の世代、父母の世代、自分たちの世代の3世代が使っていた言葉、あるいは、使っている言葉を集めました。
●この辞典は、話し言葉の要素が強いとして国語辞典で採り上げていない言葉や、発音の変化した(訛った)言葉も多く取り上げています。
●この辞典の骨子は、言葉の意味の記述と、その言葉を使った用例の提示と、用例の文法的分析です。意味は、言葉の置き換えに終わらず、できるだけ詳しく説明しています。
●すべての言葉について用例を記しています。用例は断片的な表現でなく、文の形で書いています。著者は生まれてから現在に至るまで同じところに住んでおり、明石の言葉の調査者(研究者)の立場とともに、被調査者(話者)の立場も備えていますので、実際の生活から採集した用例とともに、内省に基づいて作成した用例も加えています。
●用例は文節に分けるとともに、さらに単語に分けて記しています。
●この辞典は俚言と共通語の区別をすることなく、言葉と言葉を参照することを随所で行っています。

 パンフレットでは、以上の他に、「見出し語」「他の見出し語との対応」「漢字表記」「品詞など」「意味」「用例」「写真」について、この辞典のことについて説明をしています。ただし、それらについては引用しないことにします。

| | コメント (0)

2019年9月 5日 (木)

明石日常生活語辞典の刊行について(5)

「刊行のことば」をそのまま伝えます


 以上に述べてきたことと重なりますが、本書の「刊行のことば」を書きます。本書の出版元の武蔵野書院が、広報用のパンフレットを作ってくれました。そこに書いていることを引用します。

 私は50年以上にわたって兵庫県明石市の言葉を見つめ続けてきた。この50年という期間に限っても、明石で使われている語彙(単語)はもちろん、語法(文法)、音韻(発音)、アクセントにも様々な変化が見られる。
 本書『明石日常生活語辞典』で記録するのは、祖父母の世代、父母の世代、自分たちの世代という3世代が使っていた言葉、あるいは、使っている言葉である。それを子や孫の世代に伝えたいという強い思いから、本書を編んだ。
 本書は、明石の日常生活で使われている言葉、および最近まで使われていた言葉についての記録であるが、兵庫県内はもちろん、関西一円の方言とも共通点を持つ内容となっている。
 日常生活において、私たちは方言を使って話したり聞いたりしているが、明石の地域だけで使う言葉(俚言)の他に、関西で広く使っている言葉や、全国共通語も併せて使っている。したがって、俚言と共通語を併せた辞典を作ることが、その土地の言語生活の有り様を如実に表すことになると考えた。副題を「俚言と共通語の橋渡し」とするのはそのような理由による。俚言と共通語の区別を設けずに記録し、よく似た意味を持つ言葉は互いに参照できるようにして、俚言と共通語の関係が明らかになるようにした。本書は、同義語辞典や類義語辞典の性格も兼ね備えているのである。
 方言研究は話し言葉を対象とする。本書では、話し言葉の要素が強いとして国語辞典などに採録されていない言葉も積極的に取り入れ、擬音語・擬態語などや、発音の変化した(訛った)言葉も多く記録している。本書の見出し数は15,463項目である。
 本書は、現在の言語研究に資することはもちろんであるが、50年後、100年後にも、「明石の言葉の辞典」として、方言に関心を持つ方々の研究に寄与できればありがたいと思っている。
 本書は少部数の限定出版である。個人で購入していただくことは嬉しいが、各地の図書館の蔵書としてもぜひ備えていただきたいと願っている。方言に関心をお持ちの方には、地域の図書館に購入を働きかけて、その蔵書をご覧いただくことを期待している。

| | コメント (0)

2019年9月 4日 (水)

明石日常生活語辞典の刊行について(4)

すべての言葉に用例を記しています


 「明石日常生活語辞典」は、明石の俚言、関西共通語、全国共通語を収めた辞典です。そうすると、国語辞典と同じような内容が多いのではないかという推測をされるかもしれませんが、そうではありません。
 形の上で共通語と同じような言葉もたくさん収めておりますが、それぞれの言葉の意味・用法が共通語とまったく重なっているわけではありません。共通語の持つ意味のうち、明石方言では使わない意味・用法もありますし、共通語の持っている意味・用法以外の使い方をする言葉もあります。言葉としては共通語と同じ形であっても、明石方言に立脚した説明をしているのです。
 言葉は意味を知っただけでは、使いこなすことはできません。その言葉の用法(使い方)に沿って使わなければなりません。この辞典では、言葉のすべての意味に沿って、用例を示しています。国語辞典ではスペースの都合から、「悪い天気」とか、「天気が続く」のように、短い用例を示している場合がありますが、この辞典では、ひとまとまりの文の形で提示しています。「この・ いっしゅーかん(一週間)・ てんき・が・ つづ(続)い・とる。」「あいつ(彼奴)・の・ てんき・は・ きゅー(急)に・ か(変)わる。」のような用例です。
 文の形で用例を示し、それを文節ごとに分かち書きをしています。その文節が幾つかの単語から成り立っている場合は、「・」の符号で単語に分けています。用例文の分かち書きと、単語の分割が、この辞典の最大の特徴です。
 文の形で示すことによって、助詞や助動詞がたくさん出てきます。助詞や助動詞は見出し語としても扱っていますが、その用例は辞典の随所に現れているのです。関西共通語や全国共通語も織り交ぜて使いながら、実際の発話はこのような言葉遣いになっているということを示しているのです。
 用例は、実際の言語生活から拾い上げるとともに、筆者の内省によって作っているものもあります。それは、筆者が方言研究者(調査者)であるとともに、生まれてから現在まで、ずっと同じところに住み続けていることによって「方言の話し手」(被調査者)の資格も備えていることによって可能なのです。

| | コメント (0)

2019年9月 3日 (火)

明石日常生活語辞典の刊行について(3)

「俚言と共通語の橋渡し」がサブタイトルです


 世の中には各地の方言辞典がたくさん出版されています。けれども、本書は「方言辞典」という名称ではありません。
 「方言集」とか「方言辞典」という名称の出版物は、ほとんどすべてが、その地域特有の言葉(俚言)を集めたものです。それは日常生活で使う言葉の一部分に過ぎません。私たちは、俚言だけを使って言語生活を営むことはできません。
 方言というのは、その地域で使われる言葉の全体を表す言葉です。方言には、俚言も、例えば関西共通語も、また全国共通語も、すべて含まれるのですが、語彙(単語)について、そのような言葉をすべて集めたものを作ろうと思いました。それこそが本当の意味の「方言辞典」ですが、従来の方言辞典という言葉の意味とは異なることになりますから、「日常生活語辞典」という名称にしました。
 この辞典に収める言葉の範囲を、きちんと定めることはとても難しいことです。ふだん使う言葉としか言いようがありません。組織的な教育によって習得する言葉ではなくて、ふだんの生活で身に付けて使っている言葉、としか言えないのです。具体的に、どの言葉が「日常生活語」の範疇に入るのかということを厳格に問われたら、答えに窮することになります。言葉の選択は、編集者にお任せくださいとお願いするしかありません。
 「明石日常生活語辞典」の特長は、明石という地域で使う言葉を、俚言、関西共通語、全国共通語の区別なく、集めたものです。けれども、たとえ全国共通語と同じであっても、その言葉の意味や語感、また用例が同じであるとは限りません。すべての語について、用例を載せていますから、共通語との微妙な違いも理解していただけるのではないでしょうか。
 そして、俚言と共通語が使い分けられている様子や、同じような意味で俚言と共通語の両方を使っている様子などもわかるようにしています。俚言、関西共通語、全国共通語の枠を超えて、同義語や類義語が対照できるように工夫をしています。本書に「俚言と共通語の橋渡し」という副題を付けているのは、そのような理由によるのです。

| | コメント (0)

2019年9月 2日 (月)

明石日常生活語辞典の刊行について(2)

図書館に備えてほしい本です


 『明石日常生活語辞典』は、書名の通り、辞書です。しかも、内容は明石という地域を基盤にしています。ベストセラーのような出版物とはまったく異なって、出版費用を自分で負担しなければなりません。
 本書の末尾にも書いておりますが、この出版に対して、どこからも補助はありません。大学などに勤めておれば、学術刊行物としての補助をいただける道もあるのかもしれませんが、現在の私はそのようなところとは無縁です。
 埋蔵文化財の報告書は公費でおびただしく刊行され、公立図書館でも受け入れを拒否するほどの氾濫ぶりだという報道を読んだことがあります。埋蔵文化財が発見されると、調査段階から多額の公費が投入されているようです。
 方言については調査研究の費用も、成果の刊行費も、すべて個人負担に委ねられています。同じ文化的所産でありながら、埋蔵文化財の調査と、その他の民俗文化財の調査とを比べると、理解しがたいほど落差が大きいのです。埋蔵文化財の調査は公的な仕事であり、方言を調べることは個人が勝手に行っていることだ、という判断がされているように、私には感じられるのです。
 けれども、このような形にまとめて、出版にこぎつけられたことは、幸せなことであると思っています。私にとっては、支給されている年金の1年分をはるかに超える出版費用を使っての、人生でただ一度の道楽です。
 定価が20000円+税ですから、個人で買っていただけるような値段ではありません。方言に関心をお持ちの方は、地域の図書館に働きかけて購入してもらってください。そして、その本を借り出して活用してくださるようにお願いします。
 この書物は、明石の俚言を中心に置いて、関西の方言(共通語)も、全国共通語も集録しています。その意味では、関西のみならず、全国の図書館の蔵書としていただいてもよいのだろうと思っています。

| | コメント (0)

2019年9月 1日 (日)

明石日常生活語辞典の刊行について(1)

本日、いよいよ刊行します


 このブログに長期にわたって連載をしてきた『明石日常生活語辞典』を、きちんとした刊行物として、本日(2019年9月1日)の日付で刊行します。300部の限定出版です。
 こういうものを作りたいと思って、細々と動き始めてから半世紀になります。書き貯めを続けて、しかも途中で、何度も体裁を改めましたから、その度ごとに、全体に手を加えたり書き改めたりをしてきました。その作業の様子のごく一部は、このブログにも反映しています。
 関西大学で開催された、日本方言研究会の第104回研究発表会で、このような辞典を作ることの趣旨を説明しましたが、それ以後の最終段階では、用例の記述方法を大きく変更しましたから、その修正だけで2年近くの時間が経ちました。
 出版社に原稿を提出して後、3回にわたる校正だけでも半年以上の時間を費やしましたが、ようやく刊行にこぎつけました。校正は、自分ひとりで隅々まで見ました。小さな活字を使った、辞書の形の出版物ですから、文章を校正するのとはまったく勝手が違います。目も疲れます。そのような校正でしたから、ミスは皆無であると言い切れないところが苦しいのです。
 出版していただくのは武蔵野書院です。武蔵野書院は、日本語日本文学の専門出版社で、今年が創業100年に当たります。日本語学会の機関誌『日本語の研究』を出していただいている出版社です。この学会が國語学会と称していた頃の初期の段階から『國語學』という機関誌を出していただいている出版社です。
 『明石日常生活語辞典』は、小さな文字で、B5判、834ページの出版物です。辞典ですから、部分部分を活用していただく書物です。けれども、現在の明石の言葉で使われている語彙の大部分を拾い上げたと思っていますから、50年後、100年後に明石で生活している人が読んだら、言葉の変化にびっくりするだろうと思います。この書物は、現在(および将来)の言葉の資料集なのです。

| | コメント (0)

« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »