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2019年10月31日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(53)

きたない、きちゃない、たない、ちゃない


 「汚い」と書けば全国共通語ですが、この言葉の発音は、明石では一つではありません。「きたない」の他に、「きちゃない」とも言います。
 「明石日常生活語辞典」は、言葉の使用頻度には拘泥していません。このような発音、このような表現があるということを記録するのが目的です。「きたない」と「きちゃない」を比べたら、「きたない」という発音をする方が多いだろうと思いますが、どの程度の数値になるのかということまで、ひとつひとつ調べることはできません。
 「きたない」、「きちゃない」の他に、別の言い方もします。語頭の「き」という音を省いた発音です。「たない」、「ちゃない」という発音です。
 「どろ(泥)・で・ よご(汚)れ・て・ たない・ あし(足)・に・ なっ・とる・なー。」、「ちゃない・ て(手)ー・を・ きれー(綺麗)に・ あら(洗)い・なはれ。」というような表現をします。
 「たない」、「ちゃない」と発音される言葉と、「きたない」、「きちゃない」と発音される言葉とは、意味・用法の上では、違いがありません。
 このような場合、「きたない」は全国共通語であり、「きちゃない」、「たない」、「ちゃない」を俚言または関西共通語であるとして、区別することは意味のあることでしょうか。それらの言葉は、日常的に入り乱れて使われているのです。
 「きたない」と似たような意味を表す言葉は他にもあります。「明石日常生活語辞典」の「ちゃない」の項目を引用しておきます。


●ちゃない【(汚い)】《形容詞・アイ型》 ①よごれていて、不潔であったり不衛生であったりしている。「ちゃない・さかい・ そーじ(掃除)し・とい・ておくれ。」②乱暴であって、きちんとしていない。見苦しかったり聞き苦しかったりする様子だ。美観を損ねている。「ちゃない・ え(絵)ー・や・さかい・ なに(何)・を・ か(描)い・とる・の・か・ わから・へん。」③心が正しくない。自己中心的で、ずるくて腹黒い。「かね(金)・に・ ちゃない・ やつ(奴)・や。」■対語=「きれい【綺麗】」〔⇒きたない【汚い】、きちゃない【(汚い)】、たない【(汚い)】。①②⇒ばばい、ばばちい、ばっちい、ばばっちい〕

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2019年10月30日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(52)

日常生活語


 私は「明石日常生活語辞典」と名付けたものを作りましたが、日常生活語という呼び方は一般化していないと思います。誰かが使っていた名称を借用したものではなく、私が勝手に使っている呼び名です。
 「方言辞典」とは違った内容になっていますから、どう呼ぶかということで迷いましたが、「日常生活語辞典」という名前にしました。
 この辞典は、明石市の地域の日常生活で使われている言葉、および最近まで使われていた言葉について記述したものです。俚言に限らず、日常生活でごく普通に使う言葉の全体を記述しようと考えたのです。
 各地で出版されている「方言辞典」というのは俚言の事典に相当します。方言というのは、ある地域で使われる言葉の全体像です。明石の方言で話すと言っても、明石の俚言だけを使って話はできません。明石の俚言、関西の共通語、全国共通語を使いながら話しているのです。その俚言や共通語の全体が、明石の言葉というわけです。
 さて、「日常生活語」という言葉ではありませんが、「生活ことば」という言い方を見つけました。その文章を引用します。


 ふだんの暮らしの中で、家族や親しい友だちとしゃべる時に、気にしないでしゃべっている「ことば」のことを、この本ではざっくりと「生活ことば」と呼ぶことにします。
 私たちにとって、とても自然にしゃべれる「ことば」のことですね。
 「なぁ、今夜のおかずは何がええ?」
 「うん、ハンバーグやなぁ、腹ぺこやねん。野菜サラダにピーマンはいらんでぇ」なんて、母親と今夜のおかず決めについて話したりする時の「ことば」ですね。
 (吉村誠、「ことばの『なまり』が強みになる!」、自由国民社、2018年12月28日発行、12ページ)

 例文として書かれている会話は東京人の会話でなく、関西人のものであることは、すぐにわかります。「なぁ、今夜のおかずは何がええ?」というところを、共通語を使わないで言いなさい、と言われたら困ってしまいます。
 方言は、基本的に話し言葉の世界のものです。その言葉遣いの中に、俚言も関西共通語も全国共通語も混じって使われているのです。明石で生活している人たちが、日常生活で使っている言葉(単語)の全体を集めたのが「明石日常生活語辞典」であるのです。
 ほとんど全国共通語ばかりではないかと思われるようなページもあります。けれども、ひとつひとつの言葉に付けている用例は、明石の言葉遣いであるのです。

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2019年10月29日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(51)

まめ、おまめ、まめさん、おまめさん


 食べ物の「豆」は、明石の地域の言葉としては「まめ」ですが、尊ぶ気持ちを表すために「おまめ」とか「まめさん」とか言います。「おまめさん」とも言います。
 そのことについて書かれた文章を引用します。


京都では、料理の素材や料理名に「お~さん」をつけることが多いです。和風〝レストラン〟で「あっ! お豆さんや!」とはじめて豆に出合ったような喜びを表して、豆ごはんをいただく風景が見られます。ほかにも、「おいもさん」「おこうこさん」〔お香香・漬物のたくわん〕など、京都の味の歴史や伝統を支えてきた食材に「お~さん」がつきやすいといえます。
 「お」をつける食材に、「おかぼ」〔かぼちゃ〕、「おなす」〔なすび〕、「おこぶ」〔昆布〕、「おふ」〔麩〕などがあります。
 (井上史雄・他、「魅せる方言 地域語の底力」、三省堂、2013年11月20日発行、60ページ、この項の執筆者は山下暁美)

 どのような素材・料理名に付けるかということについては、京都と明石で一致しているわけではありません。また、「お~」を付けるか、「~さん」を付けるか、その両方を付けるかということも異なっているようにも思います。
 例えば、上の文章に書かれている内容について言うと、明石では「おこうこ」とは言いますが「おこうこさん」は聞き慣れない言葉です。「おなす」「おこぶ」は言いますが、「おかぼ」は言わないように思います。
 ご参考までに、「明石日常生活語辞典」の「おいもさん」「おこんにゃ」「おだい」「おにし」と、「おじゅう」を列記します。(ただし、「お」で始まる語は、これですべてというわけではありません。)


●おいもさん【お芋さん】《名詞》 薩摩芋、馬鈴薯、里芋など、食べ物としての芋類。「おいもさん・を・ む(蒸)し・て・ た(食)べる。」◆食べ物に「お…さん」を付ける言い方は、他に「おかい(粥)さん」「おまめ(豆)さん」などがある。豆は「まめさん」とも言うが、芋を「いもさん」ということはない。粥も「かいさん」とは言わない。〔⇒いも【芋】〕
●おこんにゃ【(お蒟蒻)】《名詞》 蒟蒻芋の球茎を原料にして固めた、半透明で弾力がある食べ物。「かんとだき(関東炊)・に・ おこんにゃ・を・ い(入)れる。」〔⇒こんにゃく【蒟蒻】〕
●おだい【お大(根)】《名詞》 畑で作り、白くて太い根を食用とする野菜。「おだい・の・ かんとだき(関東炊)・が・ うま(美味)い・なー。」〔⇒だいこん【大根】、だいこ【(大根)】〕
●おにし【(お煮染)】《名詞》 野菜や魚や肉などをよく煮て、醤油などの煮汁をじゅうぶんにしみ込ませたもの。「しょーがつ(正月)・の・ おにし・を・ こしら(拵)える。」〔⇒にしめ【煮染め】〕
●おじゅう〔おじゅー〕【お重】《名詞》 食べ物を入れて、二重、三重に重ねることができるようにした、漆塗りで木製の容器。また、その容器に入れた食べ物。「うるしぬ(漆塗)り・の・ おじゅー・に・ つ(詰)める。」「はなみ(花見)・に・ おじゅー・を・ も(持)っ・ていく。」〔⇒じゅうばこ【重箱】〕

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2019年10月28日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(50)

まんまんちゃんああん


 三田純市さんの文章を、もうひとつ引用します。

 「まんまんちゃん、というのは大阪弁ですやろか」
 ある人から尋ねられた。
 そこで東京の友人、二、三人に電話をかけたところ、だれも知らないというから、どうやら大阪弁であることに間違いはない。
 〈まんまんちゃん〉は仏様のこと。幼児語で、
 「まんまんちゃん、アン」などという。 …(中略)…
 「まんまんちゃん、アン」のアンは、頭を下げる--拝むという動作の形容だが、同時にそのときに自然に出る声でもある。
 (三田純市、「大阪弁のある風景」、東方出版、1987年1月8日発行、116ページ)

 私たちの地元の言葉は、「まんまんちゃん」は仏様には限りません。仏様(亡くなった人)や仏様の像の他に、太陽や月も表します。
 「明石日常生活語辞典」の「まんまんちゃん」の項を引用します。

 《名詞》 ①仏さんの像。「おてら(寺)・の・ まんまんちゃん・を・ おが(拝)む。」②太陽。「あさ(朝)・に・ なっ・たら・ まんまんちゃん・が・ で(出)る。」③月。「こんや(今夜)・の・ まんまんちゃん・は・ まんまるこい。」④亡くなった人。「おぼん(盆)・に・ なっ・たら・ まんまんちゃん・が・ もど(戻)っ・てくる・ねん・で。」◆幼児語。

 ちょっとぞんざいに言うときには「まんまん」になることもあるようです。
 「まんまんちゃんああん」の項も作っていますので、それも引用します。

 《名詞、動詞する》 仏さんの像などを拝むときに、手を合わせて唱えること。「おはか(墓)・に・ まんまんちゃんあーんし・なはれ。」◆幼児語。

 太陽や月を拝むときにも「まんまんちゃんああん」と言ってもおかしくないように思います。
 三田さんの本は「大阪弁のある風景」ですから、大阪弁として述べられていますが、これは関西で広く使われている言葉でしょう。

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2019年10月27日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(49)

どたま


 「ど」という接頭語があります。名詞や形容詞などの上に付いて、その意味を強調したり、まさにその通りであるという意味を表したりします。
 関西でも「ど」という接頭語を使いますが、共通語と同じような意味・語感であるかどうかは疑問です。
 「明石日常生活語辞典」では、「ど」を次のように説明しています。

 《接頭語》 ①その程度が甚だしいということを、非難する気持ちをこめて強調する言葉。「どあほ(阿呆)」「どけち」「どしぶ(渋)ちん」「どしゃべ(喋)り」②ものをぞんざいにいうときに使う言葉。「どたま(頭)」③ちょうどそれに相当するということを強調する言葉。「どまんなか(真中)】」〔①③⇒どん〕

次に引用する文章は、関西の言葉の意味・用法を忠実に述べています。


 「ドタマかち割ったろか!」
 実際にこんな喧嘩は見たこともないし、自分でも口にした経験はないのだが、今こうして字に書いてみると、なかなか迫力がある。 …(中略)…
 ド真ん中--という言葉には反論が出ている。
 「大阪ではド真ん中とはいわない。そういうときはまァ真ん中という」と。
 〝ド〟は強めの言葉だが、相手を卑しめる意味がある。
 ド阿呆、ドすかたん、みなしかり。東京人から、
 「これぞ浪花のド根性」
 などといわれて、大阪人がマユをひそめるのも、その故なのである。
 (三田純市、「大阪弁のある風景」、東方出版、1987年1月8日発行、77ページ)

 「ど」には、相手を卑しめたり非難したりする気持ちが込められているというのが基本ですが、その他に、ぞんざいに言うときにも使います。
 「浪花のド根性」という言い方は、褒め言葉でなく、卑しめる気持ちが強いという、三田さんの意見には賛成です。「おまい(前)・の・ どこんじょー(根性)・は・ い(入)れか(替)え・んと・ あか・ん・やろ。」などという言い方はしますが、「おまえ・は・ みあ(見上)げ・た・ どこんじょー・を・ も(持)っ・とる。」というのは、皮肉を込めた表現になります。褒め言葉ではありません。
 「ボールをど真ん中に投げ込む」とか、「浪花のど根性」とかの言い方は、テレビなどで、関西以外の人が使い始めて広がったのかもしれません。
 「明石日常生活語辞典」の「どたま」の説明を引用しておきます。

 《名詞》 ①人や動物の体の中で、目・鼻・口などがあって、いちばん頂の部分。「うし(牛)・の・ どたま・の・ かず(数)・を・ かぞ(数)える。」②額よりも上の部分。体のいちばん上の部分。「はら(腹)・が・ た(立)つ・さかい・ どたま・を・ かちまし・たろ・か。」③一番上の部分。尖った先や、先端の部分。「はな(鼻)・の・ どたま・が・ あこ(赤)ー・ なっ・とる。」④列などのはじめ。先頭。「どたま・の・ やつ(奴)・は・ まっすぐ・ ある(歩)け。」⑤考える力。「どたま・の・ わる(悪)い・ やつ(奴)・や・なー。」◆「あたま【頭】」を乱暴に表現する言葉である。〔⇒あたま【頭】〕

 関西の言葉の「どたま」は、何とはなしに愛嬌のある言葉遣いになっていると思いませんか。

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2019年10月26日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(48)

こされ


 古典文法に係助詞というものがあって、係り結びの法則があります。「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」「は」「も」という係助詞は、強意の働きなどをしています。
 「こそ」という係助詞が使われますと、末尾の活用語(用言や助動詞)は已然形で結ばれます。
 小倉百人一首の歌「月見ればちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里)の上の句に「こそ」が使われて、その結びは「かなしけれ」です。「かなし」という形容詞の已然形です。
 さて、その〔「こそ」+已然形〕という形が現代語の方言にも残っています。「こそ」が使われますと、例えば「あり」という動詞の已然形「あれ」で結ばれます。「こそ・あれ」という言い方になるのです。この「こそあれ」は連母音になっています。ローマ字書きをしてみますとkosoareで、「お」と「あ」の母音が続きます。このような場合は前の母音が落ちて、kosareという発音になります。「こされ」になるのです。
 この「こされ」が私たちの地域に残っています。前回に書きましたように三重県でも使うのです。別に不思議なことではありません。古典文法の時代は全国共通語であった言い方です。それを使い続けている地域があって、一方で使わない地域があっても、それは自然な成り行きであるのです。使い続けている地域があちらこちらにあると、それを方言であると意識するということに過ぎません。
 別の例を申しますと、「ながたん」という言葉を使う地域が、全国のあちらこちらに分布しています。「ながたん」とは菜刀で、つまり菜を切る包丁のことです。全国で使われていた言葉を、今でも使い続けている地域があちこちにあって、方言と意識されているのです。
 元に戻って、「こされ」は、強調の度合いが強いところで使われる言葉です。しばしば使われる言葉ではありませんが、昔々の用法が残り続けている言葉なのです。
 古典文法と現代文法とは、ある時期を境にして変化をしたというものではありませんから、古典文法の一部が後々まで伝わってもおかしくはないのです。
 その「こされ」を、「明石日常生活語辞典」では次のように説明しています。

 《副助詞》 その前に述べた内容を強調する働きをする言葉。「い(行)っ・たら・こされ・ あ(会)え・た・ん・や。」「おや(親)・や・こされ・ くろー(苦労)し・て・ そだ(育)て・てくれ・た・ん・や。」◆古語の「こそ……あれ」の言い方がつづまったものである。〔⇒ならこされ〕

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2019年10月25日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(47)

三重県と兵庫県


 近畿地方というのは、中学校時代の地理では、滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、三重と教わりましたが、現在では、三重を省いた二府四県を指すことが多いようです。とは言え、名張市などの伊賀地域は、近鉄電車によって大阪との結びつきが強いのです。JRでは京阪神からの快速電車は福井県(敦賀)まで直通ですし、関門海峡大橋で兵庫県(淡路)と徳島県は結ばれています。
 大阪のテレビ局はNHKも民放も、天気予報などでは、二府四県に加えて、福井、三重、徳島を範囲としています。この度の豪雨でも、三重県や徳島県に警報が出たり解除されたりする場合は、ひとつひとつ報道をしています。
 さて、佐藤亮一(編)『都道府県別 全国方言辞典』は、都道府県別に特徴的な言葉を挙げていますが、三重県のページを見ていると、私たちの地域でも使う言葉がいくつも載っています。
 びっくりしたときなどに使う「おっとっしゃー」、かまわない、許容するという意味を表す「だんない」、あべこべという意味の「てれこ」などです。
 呼びかけたり促したりするときに使う「かれ」も、丁寧な気持ちを込めて使う「そーだす」も、三重と兵庫に共通しています。
 「こーっと」という言葉は、この連載の(38)回で取り上げましたが、これも三重で使っているようです。「こされ」という強意の言葉も同様ですが、この言葉は次回で取り上げることにします。
 考えてみたら、方言の特徴を都道府県別に記録することは面白いことですが、厳密に言うと、都道府県別ということは成り立たないということでもあるのです。三重県の特徴的な言葉として並べることに異存はありませんが、それは他府県に存在しない言葉ということではありません。他の府県でも使うという言葉はいくらでもありますし、その府県が分布の中心地というわけでもないのです。

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2019年10月24日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(46)

ごうがわく


 同じ兵庫県の人であっても、播磨地域で使うのを聞いて意味がわからなかったという言葉があります。その代表的なものが「ごうがわく」「ごうをわかす」であるように思われます。
 「ごう(業)」という名詞があって、腹立たしいこと、気持ちが落ち着かないこと、を表していると思いますが、「ごう」だけ単独に使うことはあまりなくて、「ごうがわく」(自動詞)、「ごうをわかす」(他動詞)の形で使われます。
 腸が煮えくり返っているような場合に使うのがふさわしいと思いますが、ちょっと腹を立てるような場合にも使いはじめると、この言葉を使う場面が多くなって、人間関係がまずくなるかもしれませんから、使いすぎない方がよいでしょう。
 この言葉は、それぞれの人の心の中を表しますから、「ごうをわかす」状態になるのは人によってずいぶんと差があるようです。だから、「なん(何)で・ そんな・ こと・に・ ごーわかす・ん・や。」と不思議に思って、なだめることもあります。
 関西の方言では、「ごうがわく」の「が」や、「ごうをわかす」の「を」のような格助詞を省いて言うことが多いので、「ごうわく」「ごうわかす」となることも多いのです。
 「明石日常生活語辞典」では、自動詞の「ごう(が)わく」(前の引用部分)と、他動詞の「ごう(を)わかす」(後ろの引用部分)を次のように説明しています。


 《動詞・カ行五段活用》 とても腹立たしい思いになる。「さぎ(詐欺)・に・ お(遭)ー・て・ ごーがわい・とる・ねん。」◆他動詞は「ごう(を)わかす【業(を)沸かす】」

 《動詞・サ行五段活用》 とても腹立たしい思いに駆り立てる。「ごーわかし・て・ けんか(喧嘩)・を・ し・たら・ あか・ん・ぞ。」◆自動詞は「ごう(が)わく【業(が)沸く】」

 この言葉は老若男女に関係なく、広く使われている言葉であるように思います。

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2019年10月23日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(45)

うっとこ、うっとことこ


 私は、中学生のとき、国語の先生が口にされたことで、今でも強く印象に残っていることがあります。たぶん明石ではなく他の土地で成長された方であったのでしょう。その先生の言葉は、「うっとこ・ うっとこ・ ゆ(言)ー・さかい・ なに(何)・を・ う(売)る・ ところ(所)・か・と・ おも(思)・た。」という表現でした。
 自分の家という意味で「うっとこ」という言葉は、案外広く使われていますから、もしかしたら、戯れておっしゃったのかもしれませんが、今は確かめようはありません。
 自分の家という意味で使う言葉は「うっとこ」の他に。「うちね」「うちとこ」「わたいとこ」など多数にのぼります。「とこ」という発音を重ねて、「うちとこ」が「うちとことこ」になるようなこともあります。「とことこ」と重なる場合は、謙遜の気持ちが含まれているように感じることもあります。
 意味の上では、自分の家(建て物)という意味の他に、自分の家庭や家族という意味も表しますし、自分の夫や、自分の妻を表すこともあります。
 「明石日常生活語辞典」では、「うっとこ」を次のように説明しました。


 《名詞》 ①自分の家。「うっとこ・は・ うみ(海)・の・ はた(端)・や・ねん。」②自分の家族。自分の家庭。「うっとこ・は・ みんな(皆)・ はやお(早起)き・や。」③自分の夫。自分の妻。「うっとこ・は・ さけ(酒)・が・ す(好)き・や。」〔⇒うちね【(内家)】、うちとこ【内所】、うちとことこ【内所々】、うっとことこ【(内所々)】、わたしとこ【私所】、わたいとこ【(私所)】、わてとこ【わて所】、わいとこ【わい所】、わしとこ【わし所】、わいね【(わい家)】。③⇒うちのひと【内の人】、うちのやつ【内の奴】〕

 同じような意味を表す言葉がたくさんある場合は、それを並べあげるようにしました。それがこの辞典の特徴の一つでもあるのです。それぞれの言葉は見出し語として、該当する場所に掲載しています。

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2019年10月22日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(44)

ちゃう、ちゃうちゃう


 行ってしまって、今はここにいない、というような場合の「てしまう」という部分を、東京の人は「行っちゃって」と言い、関西人は「行ってもて」と言います。東京は「ちゃう」、関西は「てまう」です。
 50年前、私が高等学校の教壇に立ったころは、関西では大人も子どもも「ちゃう」を使っていませんでした。「ちゃう」を使う人がいたら、東京から移ってきた人でないかと思ったものです。何かの拍子に「行っちゃった」などという言葉遣いをする生徒に出会ったときは、「ちゃう・(と・) ゆ(言)ー・ ことば(言葉)・は・ かんさいべん(関西弁)・と・は・ ちゃ(違)う・ねん。」などと言って、からかったものです。
 ところが、今は、小学生でも「さら(皿)・を・ お(落)とし・ちゃっ・て・ こわ(壊)し・ちゃっ・た。」などと言っています。半世紀という時の流れは、使う言葉も変えているのです。
 さて、関西で使う動詞の「ちゃう」は、健在です。「ちが(違)う」も使いますが、「ちゃう」もしょっちゅう使います。
 関西では、同じ言葉を繰り返して、強調することが多いのです。
 「明石日常生活語辞典」では、「ちゃう」(前の引用部分)と、感動詞の「ちゃうちゃう」(後ろの引用部分)を次のように説明しています。


 《動詞・ワア行五段活用》 ①正しいものと異なる。「そんな・ こたえ(答)・と・ ちゃう・さかい・ もー・ いっぺん(一遍)・ かんが(考)え・てみー。」②考えや思いなどが合わなくて、差がある。「きのー(昨日)・ ゆ(言)ー・た・ こと(事)・と・ ちゃう・やない・か。」③他と異なって優れている。「この・ さかな(魚)・は・ やっぱり・ ひとあじ(一味)・ ちゃう・なー。」④述べていることを否定するときに言葉。「ちゃう・ぞー。そんな・ こと(事)・を・ ゆ(言)ー・た・ おぼ(憶)え・は・ あら・へん。」■他動詞は「ちがえる【違える】」〔⇒ちがう【違う】〕

 《感動詞》 強く否定するときに発する言葉。まったく、そうではない。「ちゃうちゃう。それ・は・ まちが(間違)い・や。」

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2019年10月21日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(43)

すこい、こすい、いしこい


 人を騙したり、不正をはたらいたりして、自分の利益を図ろうとすることを、共通語では「ずるい」「せこい」と言います。「こすい」という言い方もあります。
 「こすい」は国語辞典にも載っていますが、佐藤亮一(編)『都道府県別 全国方言辞典』には、大阪府の項目に「こすい」が載っています。
 私は、国語辞典に載っているということで区別はしません。「明石日常生活語辞典」では、明石で使う言葉をすべて集めるという方針で編集しましたから、「ずるい」も「せこい」も「こすい」も収めています。それ以外の言葉も載せています。
 子どもの頃、遊びで不正をしたり騙したりする者がいると、口にしたのは「いしこい」「こすい」「すこい」などです。
 「こすい」は「すこい」と音が逆になっているのですが、子どもの頃は、そんなことは意識にはありませんでした。子どもの頃、最も多く使ったのは「いしこい」ではなかったかと思います。この言葉こそ俚言の要素の強い言葉でした。
 「明石日常生活語辞典」では、「すこい」(前の引用部分)と、「いしこい」(後ろの引用部分)を次のように説明しています。


 《形容詞・オイ型》 自分の利益のために、正しくないことをする。狡猾で、横着である。「あとだ(後出)し・の・ じゃんけん・は・ すこい・ぞー。」〔⇒ずるい【狡い】、ずるっこい【狡っこい】、すっこい、いしこい、こすい、せこい〕

 《形容詞・オイ型》 自分の利益のために、正しくないことをする様子。狡猾で、横着である様子。「あとだ(後出)し・の・ じゃんけん・は・ いしこい・ぞ。」〔⇒すこい、ずるい【狡い】、ずるっこい【狡っこい】、すっこい、こすい、せこい〕

 刊行してしまってから気づくのですが、用例として書いたのは同じような内容です。修正をしなければならないと思います。
 「いしこい」の用例を幾つか並べておきましょう。「しょーひぜー(消費税)・で・ ちょっとま(=少しの間)・だけ・ わ(割)りもどし・たる・と・ ゆ(言)ー・の・は・ せーふ(政府)・の・ いしこい・ やりかた・や。」「ぎんこー(銀行)・が・ りし(利子)・を・ さ(下)げ・ても・て・ いしこい・なー。」「いしこい・ しょーばいにん(商売人)・に・ だまさ・れ・たら・ あか・ん・ぞ。」

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2019年10月20日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(42)

わい


 一人称の言葉を二人称にも使う、ということが行われています。「われ(我)」というのは自分を指す言葉ですが、「われ・は・ なに(何)・を・ かんが(考)え・てけつかる・ん・や。」などと言って相手を叱ることがあります。
 「じぶん(自分)」という言葉も同様です。「それ・は・ じぶん・が・ ゆ(言)ー・た・ん・やないか。」と相手を責めることがあります。
 共通語でも、相手に向かって「私が責任を持ちなさいね。」などと言う話し方はありますが、それがもっと進んだ形になっていると言えばよいのでしょうか。
 明石の言葉では、「われ」よりも「わい」を多く使うように思います。「わい・が・ い(行)っ・てき・たる。」というのは一人称の使い方ですが、「わい・が・ せ(為)・なんだ・さかい・ みな(皆)・が・ こま(困)っ・とる・やんか。」というのは相手を非難する言葉です。
 ところで、ここから先は、私の勝手な考えです。〔こそあど〕の「これ」「それ」「あれ」「どれ」などを、明石では「こい」「そい」「あい」「どい」と言うことが多くあります。「そい・は・ わし(私)・のん・や・さかい・ かえ(返)し・てんか。」、「どい・が・ え(良)ー・か・ よー・ かんが(考)え・て・ き(決)め・なはれ。」というような言い方をします。
 「これ」が「こい」になるのと、「われ(我)」が「わい」になるのとは同じことだと言ってよいのではないかと思いますが、この考えは強引であるのでしょうか。
 いずれにせよ、明石では、ちょっと荒っぽい一人称の言葉として、「わい」はしょっちゅう使われている言葉です。

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2019年10月19日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(41)

まはんたい


 正反対のことを「真逆」と言うのをよく聞くようになりました。けれども「真逆」という表記が多く現れているのかどうかはわかりません。放送ではよく聞きますが、新聞で見ることは少ないようです。
 「それから」とか「次に」という意味の接続詞として「あと」という言葉を次々と発する人はありますが、書き言葉で「あと」を次々と並べるのは珍しいことでしょう。
 話し言葉と書き言葉では、使う言葉の意識に変化があるということの、一つの現れでしょう。
 私は「真逆」という言葉を聞くと、いゃ(嫌)ーな思いになります。私の使い方と違うということが理由です。言葉には生理的な要素もあります。
 「明石日常生活語辞典」の、「ま」の項目を見てください。


 《接頭語》 純粋にそうである、間違いなくそうである、正確にちょうどそのようである、という意味を添える言葉。「えき(駅)・を・ で(出)・て・ まーみぎ(右)・を・ む(向)い・たら・ こーばん(交番)・が・ ある。」「まーまんなか(真中)・に・ ぼーる(ボール)・を・ な(投)げこむ。」「ましかく(四角)・の・ はこ(箱)・に・ い(入)れる。」「まーひがし(東)・へ・ ある(歩)く。」〔⇒まっ【真っ】、まん【真ん】〕

 明石の言葉では、「ましかく」のような言い方もしますが、たいていは「まーみぎ」「まーまんなか」のような長音で発音します。
 明石の言葉には、「ま」に「ぎゃく(逆)」が付く言い方はありません。「真逆」に当たる言葉としては「まーはんたい」です。
 「明石日常生活語辞典」の、「まはんたい」の項目は次のように書いています。

 《形容動詞や(ノ)》 まるっきり逆の方向である様子。「まちご(間違)ー・て・ まーはんたいに・ ある(歩)い・とっ・た。」

 「真逆」という言葉が間違っていると言っているのではありません。ある地域の人たちにとって、受け入れたくないなぁと思う言葉もあるということが言いたいのです。
 方言は、基本的には話し言葉の世界です。書き言葉が主で、話し言葉は従であると考えてはいけないと思います。耳で聞いて美しい言葉に磨き上げていくことも、日本語のためには大事なことです。

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2019年10月18日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(40)

あとさし


 戦後の貧しい時代のお話です。布団を敷いて足の先の位置にコタツを置いて、その反対側にも布団を敷いて、一つのコタツを両側の足の先に共有する形で寝ることがありました。それを「あとさ(後差)し」と言いました。
 八畳の間なら、コタツを真ん中に置いて、頭を逆の位置にして、布団を一直線に敷くということができました。少し狭い部屋、例えば六畳の間なら、コタツのところでL字にして布団を敷けばよいのです。布団を平行に敷けば「あとさし」ではありません。
 今どき、「あとさし」という言葉を憶えている人は少ないでしょう。そもそも「たどん(炭団)」や「まめたん(豆炭)」などを土器製の「こたつ(炬燵)」に入れることは、とっくの昔になくなっています。
 この「あとさし」という言葉は、どの地域に広がっていたのかということは、調べてはおりません。けれども、大阪で使われていました。牧村史陽(編)の『大阪ことば事典』に載っていますが、他の文章も見つけました。


 「なにわことばのつどい」で作成した「なにわいろはかるた」の「あ」は「あとさしになって みょおとは昼寝する」という読み札になっている。「あとさし」とは「夜具を中央に敷いてお互いの足裏を合わせて暖をとる様」(『なにわいろはかるた全集』)、「二人が上下から足を入れ、反対向けに寝る」(中井正明「なにわいろはかるた第39話」「毎日新聞」二〇〇〇年一月二十七日)意味である。
 「なにわいろはかるた」を筆者が読み手となって両親にやらせたとき、この「あとさし」が出てきた。当時意味を知らなかったので親に聞くと「コタツの中に互いに反対側から足突っ込んで寝ることや」との返事。すぐに両親のその姿が目に浮かんだ。説明すれば長くなるような状態をひと言で表現する大阪弁が存在することに感心したことを覚えている。
 (札埜和男、「大阪弁『ほんまもん』講座」、新潮社(新潮新書)、2006年3月20日発行、167ページ)

 筆者の札埜さんは、私よりも20歳も若い方ですから、「あとさし」の習慣などはなかったのでしょう。私にとっては、なじみのある、懐かしい言葉です。
 「明石日常生活語辞典」では、「あとさし」について次のように記しました。

 《名詞、動詞する》 互いに足を向け合う形で横になること。足を向け合う形に布団を敷いて、足先を一つの炬燵に集めて暖をとって寝ること。「こども・ ふたり(二人)・を・ あとさし・に・ し・て・ ふとん(布団)・を・ ひ(敷)く。」

 コタツを使わない場合でも「あとさし」という言葉を使うことがあります。例えば、大広間で大勢の人に向けて布団を敷くとき、両側の布団の足と足の位置を合わせることも「あとさし」と言います。「あしむ(足向)け」と言うのと同じ意味です。それとは逆の敷き方は「あたまむ(頭向)け」です。
 なお、こういう場合、大阪という地名に引かれて、「明石でも大阪弁と同じように、この言葉を使っている」などと言うことがありますが、何も大阪の言葉の真似をしているわけではありません。たまたま大阪でも明石でも同じ言葉を使っていた、というに過ぎないのです。大きな地名を中心に置いて説明することは、文化の中央集権と同じような考え方に結びついてしまいますから、避けるべきであると思います。

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2019年10月17日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(39)

はやいき、はやうまれ


 同じ学年であるのに「はやい(早行)き」とか「はやう(早生)まれ」と呼ばれる人たちがいます。1月1日から4月1日までに生まれた人のことです。同じ学年の人たちの中では遅く生まれた人ですが、同じ年に生まれた人たちの中では早く生まれた人であるからのようです。
 今では、小学校入学時は同年齢ですが、数え年の頃は、「なな(七)ついき」という言葉も使われていました。
 「はやいき」の他に「はよいき」という発音もあり、「はやうまれ」の他に「はようまれ」の発音もあります。「はやいき」の対語は「おそい(遅行)き」であり、「はやうまれ」の対語は「おそう(遅生)まれ」です。
 数え年の頃は、「ななついき」「やっ(八)ついき」という区別もしていたのです。

 「明石日常生活語辞典」では、「はやいき」について次のように記しています。


 《名詞》 1月1日から4月1日までに生まれて、数え歳の7歳で小学校に入学すること。また、その子。「むすこ(息子)・は・ はやいき・で・ いちねんせー(一年生)・に・ なっ・た。」◆数え年で言うと、小学校への入学が「おそいき【遅行き】」よりも1歳早くなるということ。■対語=「おそいき【遅行き】」〔⇒はよいき【早行き】、ななついき【七つ行き】〕

 「はやうまれ」については次のように記しています。

 《名詞》 1月1日から4月1日までに生まれること、また、その人。「はやうまれ・や・さかい・ しょーがっこーいちねんせー(小学校一年生)・の・ とき(時)・は・ せ(背)ー・が・ ひく(低)かっ・てん。」■対語=「おそうまれ【遅生まれ】」〔⇒はようまれ【早生まれ】〕

 なぜ4月1日が含まれるのかということについては、新年度開始の日に年齢が高くなるということではないようです。法律上は、満年齢は生まれた日の前日に1歳ふえるということになっているからだそうです。
 「はやいき」と「おそいき」の差が話題になるのは小学校の頃だけでしょう。けれども同学年には2つの干支があるわけで、私たちの同学年のグループのひとつは「駿祥会」と名付けています。ウマとヒツジの年に生まれた集まりという意味です。駿馬の「駿」と吉祥の「祥」。漢字の偏や旁の中にウマとヒツジがあり、喜ばしい意味を持つ漢字があったのは嬉しいことでした。

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2019年10月16日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(38)

もとい、こおっと


 小学生の頃、朝礼台などに立って訓話などを述べる人が、ときどき、「もとい」という言葉を発すことがあるのを、不思議に思っていたことがあります。何度も聞くうちに、それは言い間違えたことを訂正するときに発する言葉であることに気づきましたが、それがなぜ「もとい」なのかはわかりませんでした。
 私たちの地域では、格助詞の「へ」が、「え」という発音よりも「い」に近く発音することがあります。「こーべ(神戸)・へ・ い(行)く。」が、「こーべ・い・ いく。」になるのです。
 「もとい」が、「もと(元)・へ」であることに気づいたのは、だいぶ後になってからのことでした。「もとい」は、間違ったことを言ったので、元に戻って正しく言い直す、という意味であったのです。
 「もとい」のような感動詞は、人が言っているのを真似て自分も言うということが多いのです。子どもたちも、言い間違いの訂正に「もとい」を使うことがありました。
 「明石日常生活語辞典」では、「もとい」について次のように記しています。


 《感動詞》 しまった、間違えた、という気持ちを表して、発言を取り消して言い改めようとするときに言う言葉。「もとい・ い(言)ーなおし・ます。」◆間違ったことを言ったすぐ後でなければ、この言葉を発する意味が失せる。

 何かの発言をしようとして、ふと言葉を失うことがあります。何かを質問されて、しばらく考え込むことがあります。そのようなときに、口をついて出る言葉が「こおっと」です。「こおっと」という言葉は、どのような広さの地域で使われている言葉かは知りません。この言葉も感動詞ですから、そのような場面では他の人が口にしていたら、自分も使ってみることになるのでしょう。理屈ではなく、感覚で発する言葉であるからです。
 「明石日常生活語辞典」では、「こおっと」について次のように記しています。

 《感動詞》 ふと、しばらく考え込むようなときに、口をついて出る言葉。はて。さあ。どうであったか。「こーっと・ きのー(昨日)・は・ どんな・ はなし(話)・を・ し・まし・た・かいなー。」

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2019年10月15日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(37)

おしぴん


 何事によらず、これはこうだと思い込んでしまうと、それが正しいとか、それが通常のことだと判断してしまうことがあります。言葉については、その度合いが強いかもしれません。
 小学生の頃は、絵などを掲示板に止めるときに、その四隅などに使うものを「おしぴん(押しピン)」と呼んでおり、それが正式の名称だと思っていました。後になって、「がびょう(画鋲)」という言葉があることを知りましたが、子どもたちはもっぱら「おしぴん」と言っていましたから、「がびょう」は大人の言葉か、ちょっとむずかしく言うときの言葉であるかのように思っていました。
 こんな文章を読みましたが、これは私の感覚とまったく同じです。


 大阪で生まれ育った私。東京に住んで5年ですが、語尾や発音だけでなく何げなく使う日用品の呼び方が実は関西特有と知り、驚くことがあります。
 最近驚いたのは、私が「画びょう」を指して使っている「押しピン」という言葉を「東京では使わない」と言われたこと。もちろん画びょうという言葉は知っていますが「押しピンの正式名称」と思っていたのです。辞書を見ると押しピンは「西日本方言」「関西での表現形」とされていることが多く、掲載していないものも。「平らな金属が付いているのが画びょう、プラスチックが押しピンじゃないの?」と話す同僚もいました。
 (朝日新聞校閲センター、「いつも日本語で悩んでいます -日常語・新語・難語・使い方」、さくら舎、2018年3月10日発行、174ページ、筆者は梶田育代)

 「明石日常生活語辞典」では、「おしピン」について次のように記しています。

 《名詞》 板や壁などに紙片などを張るときに使う、頭に笠形のものがついた釘。「おしぴん・を・ ふ(踏)ん・だら・ あむ(危)ない・ぞ。」〔⇒びょう【鋲】、がびょう【画鋲】、ピン【英語=pin】〕

 「おしぴん」のことを短く「ぴん」と言うことはありましたが、それは、言葉を短く言う癖の現れと思っていました。「びょう」は「がびょう」を短く言ったものでしょうが、子どもたちが使うことは少なく、父母や祖父母の世代の言葉であるかのように思っていました。
 言葉は習慣によって使われていますし、それが正式の名称だと思い込んだら、いついつまでもその言い方を続けることになると思います。

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2019年10月14日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(36)

ぴりぴり


 明石の人たちは、「ぴりぴりし・てき・た・ぞ」というような言葉を聞くと、空を見上げて、その様子をうかがうことをします。他の人より一瞬早く、空が「ぴりぴりと」する様子に気づいた人が、声を上げて、他の人に知らせたりすることがあるのです。
 「ぴりぴり」は、痛みや辛みを表したり、神経が張りつめている様子を表したり、紙や布などが裂けたり震えたりする様子も表しますが、微かに雨が降り始める様子を表すことについては、その用法を知らない人には意味が通じないでしょう。
 「ぴりぴり」は微かな雨の降り始めの様子ですが、その「ぴりぴり」がしばらく続くことはあります。けれども、傘をさしたくなるような降り方になってきたら、もう「ぴりぴり」ではありません。
 「ぴりぴり」は、「ぴりぴり・ ふ(降)りはじめ・た。」のように「ぴりぴり」だけで使うことがありますが、「ぴりぴりと・ かお(顔)・に・ あ(当)たっ・た。」のように「ぴりぴりと」の形になることもあります。どちらも副詞です。
 「する」と結びついて、動詞の用法もあります。「ぴりぴりし・とる・さかい・ せんだくもん(洗濯物)・を・ い(入)れる。」というような使い方です。


 「明石日常生活語辞典」では、「ぴりぴり」を次のように説明しています。

 《副詞と、動詞する》 ①微かな雨が降り始める様子。「ぴりぴりし・てき・た・さかい・ せんたくもん(洗濯物)・を・ しまい・ましょ・ー。」②刺されるように痛く感じる様子。しびれるような痛みや辛みを感じる様子。「くち(口)・の・ なか・が・ ぴりぴり・ から(辛)い。」③神経が高ぶって張りつめている様子。「みんな(皆)・ ぴりぴりと・ きんちょー(緊張)し・とる。」④紙や布などが続けざまに裂ける様子。紙などが小刻みに震え動く様子。また、その音。「かみ(紙)・を・ ぴりぴりと・ やぶ(破)る。」

 雨の降り方については、明石では、この言葉以外に珍しい表現は見当たりません。けれども、「ぴりぴり」だけは、他の地域ではあまり使わないことを知っていて、「ぴりぴり」という言葉を自慢のように言うことがあります。
 「ぴりぴり」は播磨地域の他に、丹波篠山などの地域でも使っているようです。

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2019年10月13日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(35)

すいな


 川崎洋さんの著書に紹介していただいている明石の言葉として、最後に「すいな」について書きます。漢字で書けば「粋な」ということになるでしょうが、選りすぐったものというような意味では使いません。貶し言葉ではありませんが、褒め言葉に徹しているわけでもありません。川崎洋さんの文章を引用します。


 私が生まれてはじめてコカ・コーラを飲んだのは、今からもう二五年ほど前のことになります。
 それまで、日本には、ラムネ、サイダー、それにカルピスというような飲みものがありましたが、コカ・コーラはありませんでした。コカコロニゼーションという新語があります。コカ・コーラと、「植民地化」を表わすコロニゼーションとの合成語で、コーラの進出ぶりをアメリカの経済進出とあわせて諷刺した国際語ですが、日本にも、駐留軍と共にコカ・コーラがどっとやってきました。生まれてはじめて飲んで、いっぷう変った、薬くさい味だな--と思いました。
 このように、ちょっとふつうとちがった、いっぷう変った、という意味で、「すいな」ということばが兵庫のほうで使われています。
 つまり、私にとって、コカ・コーラは「すいな味」だったわけです。
 味ばかりではありません。「すいなやり方をする」というふうにも使います。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、128ページ)

 「すいな」は、「すいやっ・た」というような使い方もしないわけでもありませんが、活用のない言葉(連体詞)として扱いました。「すいやっ・た」は形容動詞連用形+助動詞という扱いになりますが、そのような使い方は極端に少ないと思います。
 「明石日常生活語辞典」では、「すいな」を次のように説明しています。

 《連体詞》 ①一風、変わった。「こーら(コーラ)・と・ ゆー・の・は・ すいな・ あじ(味)・が・ する・ のみもん(飲物)・や・なー。」②地味で渋い感じがする。「あんた・ きょー(今日)・は・ すいな・ きもの(着物)・を・ き(着)・とる・なー。」

 ①の場合は褒め言葉の要素は弱いのですが、②の場合は褒め言葉の度合いが大きいように思います。

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2019年10月12日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(34)

ぶてこい


「明石日常生活語辞典」が出来上がって届けられたときには、自分でもびっくりしました。この出版物を紹介してくださった新聞は「厚さ6センチ」と書いています。分厚いのです。
 厚い、分厚いという言葉を明石では使いますが、他に「ぶてこい」という言葉もあります。ただし分厚い本のことを「ぶてこい」と言わないと思います。
 この「ぶてこい」という言葉を川崎洋さんにお話ししたところ、次のような文章にまとめられました。


 考えてみると、「厚い」も「太い」も「大きい」も、ずいぶん守備範囲の広いことばです。
 「厚い」にしても、厚い紙、厚着、厚い胸、分厚い唇、厚い情、手厚い看護、厚い札束、更には厚かましい--などという意味を負わされています。
 これに比べて、兵庫県の明石のある限られた地域ですが、そこに、守備範囲は狭いながら、その代り、他と交錯しようのない、きちっとした形容詞が使われています。
 それは、布や紙などの、厚みのあるもの、厚手のものをいう「ぶてこい」ということばです。
 それも更に限定されていて、紙の場合はたとえば段ボールのように、まとめようとすれば折れてしまう材質のものには、「ぶてこい」は使いません。ラシャ地や、フェルトなど、そのボリューム感を指で感じとることができるものに対して使われます。
 なお、この「ぶてこい」のほかに、「ぶあつい」ということばもちゃんとあって、分厚い辞書--の場合は「ぶあつい」であって、「ぶてこい」辞書とはいいません。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、190ページ~191ページ)

 「明石日常生活語辞典」では、「ぶてこい」を次のように説明しています。

 《形容詞・オイ型》 やや弾力性があって、それなりの厚みがある。「ぶてこい・ きれ(布)・や・さかい・ はさみ(鋏)・で・ き(切)ら・れ・へん。」「ぶてこい・ ぼーるがみ(ボール紙)・や・さかい・ お(折)りまげ・られ・へん。」

 一つ一つの言葉には、どのような意味・用法を持つかという守備範囲があります。「ぶてこい」の守備範囲は狭いのですが、それがかえって、独特の意味や感じを伝えてくれます。
 広い守備範囲を持つ言葉は必要ですが、一方で、狭い守備範囲を持つ言葉も重要な働きをします。その言葉を使うことで、意味合いが如実に伝わることになるからです。

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2019年10月11日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(33)

へっともない


 明石の言葉に「へっともない」があります。「へらへっともない」とも言います。「へらへっと」とも言いますが、短く「へっと」と言うことはありません。
 共通語で言うと、「やたら」「めったやたら」「むやみに」「むやみやたら」にあたります。「めちゃめちゃ」「めちゃくちゃ」「めちゃんこ」「めっちゃくちゃ」「めっちゃくっちゃ」と言っても、ほぼ同じような意味です。
 けれども、「へっともない」「へらへっともない」「へらへっと」という言い方には方言色が出ていると思います。川崎洋さんの文章を引用します。


 学校から帰ったらすぐに塾に行って、帰ってからまた夜おそくまで勉強して、夏休みなのに夏勉強で、地球の子どもなのにどこか他の星の中年のような、そんな子がいます。
 なかには、三度のごはんより勉強が好きという子もいるのでしょうが、ともあれこのように、むやみやたらとガリ勉するのを、兵庫の方で、「へっともないに勉強しよる」といいます。
 「へっともない」は、「むやみに」「やたらに」「とてつもなく」「もう馬鹿みたいに」というような意味で、さまざまな場合に広く使われることばです。「へらへっと」とか、「へらへっともない」ともいいます。
 「全力投球」というと、これは誉めことばですが、「へらへっともない」には、称賛の気味合いはありません。といって、軽蔑の感じもこめられてはおらず、「そうまでしなくてもいいのに」という、ややあきれた、ユーモラスなニュアンスがあります。
 「もうちょっと力を抜いたらどんなものだろう」「もう少し我々の一般の生理のリズムに近づいてくれないものかな」「どうも度が過ぎて、見ていられない」といった感じです。
 また、いわれた側として、そう、ぐさりと突き刺さる、罵りを感じることばではありません。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、196ページ~197ページ)

 「明石日常生活語辞典」では、「へっともない」を次のように説明しています。

 あまりにも度を過ごしている様子。ものごとに秩序や根拠が乏しい様子。「へっともないに・ はし(走)っ・たら・ こける・ぞ。」〔⇒やたら【矢鱈】、めったやたら【滅多矢鱈】、むやみに【無闇に】、むやみやたら【無闇矢鱈】、めちゃめちゃ【目茶目茶】、めちゃくちゃ【目茶苦茶】、めちゃんこ【目茶んこ】、めっちゃくちゃ【目茶苦茶】、めっちゃくっちゃ【目茶苦茶】、へらへっと、へらへっともない〕

 一つ一つの言葉の用例は「明石日常生活語辞典」をご覧いただきたいと思いますが、この本の副題を「-俚言と共通語の橋渡し-」としているように、俚言でも表現できますし共通語でも表現できます。近所の人同士なら「へっともない」の系列の言葉を使い、関西人同士なら「めちゃめちゃ」の系列の言葉を使い、関西人以外と話をするときは「むやみ」「やたら」の系列の言葉を使うというような、使い分けが行われても不思議ではありません。

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2019年10月10日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(32)

ばあてがする


 共通語でいろいろな表現をしてみるけれども、どうもぴったりしたものに感じられないということがあります。それを一言で言い表す地域語があったら、共通語の文脈であっても、その地域語を使ってみたいと思うことがあります。そんな例として、川崎洋さんに話をしたら、見事な文章にまとめてくださいました。


 きょうが引っ越しという日、家の中の荷物の片付けに、てんてこまいをしている--とします。まもなく頼んでおいたトラックがくる、時はどんどん過ぎていく、さっさと事を運ばねば、と気持をせかされている。と、それが嵩じて、ふと自分はいったい今何をやっているんだ、とわけがわからなくなり、次はどうしたらいいのかという手筈を考えていたはずなのに、それが頭の中からすーっと抜けてしまっている、というような状態があるものですが、それを表現するとしたら、共通語ではどういえばいいでしょう? …(中略)…
 「あたまがぼーっとなる」
 「一瞬自分がわからなくなる空白状態」
 「カーッと頭へ血がのぼって、なにがなんだかわからなくなる」
 「すっかりあがってしまう」
 「自分が自分でないような、のぼせてぽーっとなった状態」
というようなふうに表わすしかありません。
 それをぴたりといい表わすことばが兵庫県の明石にあります。
 「ばあてがする」がそれです。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、164ページ~165ページ)

 「明石日常生活語辞典」では、その「ばあてがする」を次のように説明しています。

 《動詞・サ行変格活用》 のぼせてしまって、しっかりとした振る舞いができずに、あわてたり、うろたえたりする。どうしてよいかわからず立ち往生したり、ぼんやりしたりしてしまう。「ばーてがし・て・ じゅんばん(順番)・を・ まちが(間違)え・た。」「ばーてし・て・ おちゃ(茶)・を・ ひっくりかえし・ても・た。」◆その場の状況や雰囲気になじめず「場に当たった」ということに由来するのか、それとも、その場で平静さを失って「場に慌てる」ということに由来するのか。ともかく、人から見ると尋常でないように見える様子であり、滑稽さも伴うのである。〔⇒うろがくる【うろが来る】〕

 「ばあてがする」はもともとは3語から成り立っています。その「ばあて・が・する」を熟した言葉にしているのです。「が」を省いて、「ばあて・する」という言い方もします。
 「ばあてがする」とほほ同じような意味の言葉として、明石では「うろがくる」も使います。「うろ・が・くる」の3語が熟したものです。
 「明石日常生活語辞典」では、「うろがくる」を次のように説明しています。

 《動詞・カ行変格活用》 のぼせてしまって、しっかりとした振る舞いができずに、あわてたり、うろたえたりする。どうしてよいかわからず立ち往生したり、ぼんやりしたりしてしまう。「いそが(忙)しすぎ・て・ うろがき・ても・た。」「さんのみや(三宮)・の・ まち(街)・へ・ い(行)っ・たら・ うろがき・て・ ほーがく(方角)・が・ わから・ん・よーに・ なっ・た。」〔⇒ばあて(が)する【場当て(が)する】〕

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2019年10月 9日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(31)

どっしゃげる


 面白くて、こんな言葉は他の地域にはないだろうと思うような言葉があります。「どっしゃげる」です。川崎洋さんにお話をしたら、きちんと書き留めてくださいました。


 自転車に乗れるように練習したのは小学生のときでした。路地で、はじめはうしろを友人に持ってもらい、どうやらいけそうになってから、友人に手を離してもらうのですが、「あああ」と思っているうちに自転車はこちらの意向など全然うけつけずに、ドブにはまったり、電柱にぶつかったりして、泥だらけになったりコブをこさえたりしながら、やっと自転車を乗りこなせるようになっていったものです。
 自転車に乗っていて電柱にぶつかり、ひっくり返ることを、兵庫県の明石で、「電信柱にどっしゃげて、ひっくり返った」といいます。ふつうに使われていることばです。
 衝突する、乗り上げる--という意味ですが、ユーモラスで、その上「!」をつけたくなるような派手な色合いを感じさせることばです。一人相撲--といったひびきがあるからです。衝突とはいえ深刻さがありません。衝突のリアルな写真でなしに、漫画ふうに描いたイラストというところでしょうか。
 「電車と自動車が、どっしゃげた」というふうにも使います。しかし、多くは「電信柱にどっしゃげる」「他人にどっしゃげていく」というような、「どっしゃげる」行為をした側の不注意で、彼のほうから一方的に衝突していくような場合に使われます。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、150ページ)

 川崎さんの文章に付け加えることはありません。この言葉の意味・用法を見事に説明してくださいました。
 「明石日常生活語辞典」では、「どっしゃげる」を次のように説明しています。

 《動詞・ガ行下一段活用》 進んで行って、立ちはだかるものにぶつかる。「じてんしゃ(自転車)・に・ の(乗)っ・て・ よそみ(余所見)し・とっ・て・ でんしんばしら(電信柱)・に・ どっしゃげ・た。」「はし(走)っ・とる・ ひと(人)・が・ ぎょーさん(仰山)で・ どっしゃげ・そーに・ なる。」〔⇒つきあたる【突き当たる】、つっきゃたる【(突き当たる)】、つきゃたる【(突き当たる)】、しょうとつ【衝突】(する)〕

 共通語で言うと「しょうとつする」や「つきあたる」になりますが、「しょうとつ」ほどの重大さや深刻さが少ない場合に使います。「つきあたる」は共通語を使っている感じがして、「つっきゃたる」や「つきゃたる」が地域の言葉という感覚になります。

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2019年10月 8日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(30)

そばえる


 生まれてから今に至るまで同じ所に住んでいますが、「そばえる」という言葉には、郷愁を感じます。にわかに降り出す雨のことを、こんなにぴったり表現する言葉は、他に見当たらないと思うからです。空を雨雲が通過していく、そのダイナミックな動きを表現している言葉です。この言葉を川崎洋さんに告げたら、こんな文章をお書きになりました。


 天気予報が、「午後ところによりより一時雨となるでしょう」と告げた日、海で釣り舟に揺られながら、ひょいと水平線をみると、はるかなそのあたりに、黒雲がひろがっていて、水面に近く、空間が溶けているようなぐあいになっているのをみて、あそこは今雨が降っているのだな--とわかる。そんな情景を遠望することがあります。と同時にあの雨雲がまもなく、われわれの舟の上の空へやってきて、ここも、ざーっと降ってくるぞ、とわかり、雨合羽を着込んだりします。
 そんなとき、兵庫県の方で、「むこうのほうがそばえとる、そばえがもうじきくるぞ」というふうにいいます。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、132ページ)

 「明石日常生活語辞典」では、「そばえる」を次のように説明しています。

 《動詞・ア行下一段活用》 急に雨が降り出す。雨がひとしきり降って止む。「さっき・まで・ え(良)ー・ てんき(天気)・やっ・た・のに・ きゅー(急)に・ そばえ・てき・た。」■名詞化=そばえ

 また、名詞の「そばえ」も項目を設けて、説明しています。

 《名詞》 急に降り出す雨。ひとしきり降って止み、すぐに晴れる雨。「そら(空)・が・ くろ(暗)ー・ なっ・てき・た・さかい・ もーじき・ そばえ・が・ く(来)る・ぞー。」〔⇒とおりあめ【通り雨】、にわかあめ【俄雨】〕

 「そばえ」と同じものを、共通語を使って「とおりあめ」とか「にわかあめ」と言うこともありますが、それは「そばえ」と言っても通じないような人に向かって使う言葉であると言ってもよいでしょう。

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2019年10月 7日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(29)

しおとろしい


 恐ろしいということを、明石の言葉では「おとろしい」と言うことが多いのですが、似たような言葉で「しおとろしい」というのがあります。この言葉も川崎洋さんにお話をしたのですが、それが次のような文章になりました。


 主婦が魚屋でサンマを買い、次に八百屋に寄って大根を買おうとしたら、一本一五〇円の値がついているのを見て、「一本一五〇円もするの、しおとろしいなァ」と--。
 大根一本、どんなに高くても、せいぜい一二〇円くらいと踏んでいたのに、一五〇円とは空恐ろしい、という気持ちです。「しおとろしい」には「恐ろしい」という語感が含まれています。
 兵庫県の明石で耳にすることばです。
 しかし、その主婦としては、今夜はサンマの塩焼きと決めて、サンマを既に買ったことでもあるし、一五〇円の高値でも、大根おろしはジャガイモでは作れないし、仕方なくその大根を買わざるをえません。
 この場合、「大根が一本一五〇円もするの、高いわね」といったら、八百屋が高く売っている、というひびきがあるので、右のようにいわれたら店先に立っている八百屋のおやじさんにも、そのうらみがましいひびきはまっすぐ当たります。
 しかし、「一本一五〇円もするの、しおとろしいなァ」という場合は、八百屋のおやじさんに向かってよりも、むしろ大根に向かって、「お前が一本一五〇円とは空恐ろしい」というニュアンスなのです。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、112ページ~113ページ)

 今年2019年は、大根ではなくサンマが「しおとろしい」値段になりました。「しおとろしい」は食べ物だけでなく、「しょーひぜー(消費税)・が・ あ(上)がっ・て・ おーさか(大阪)・まで・の・ でんしゃちん(電車賃)・が・ せんえん(千円)・を・ こ(超)え・て・ しおとろしー・ よ(世)のなか・に・ なっ・た・なー。」というようにも使います。
 「明石日常生活語辞典」では、「しおとろしい」を次のように説明しています。

 《形容詞・イイ型》 びっくりするほど値が張っていて、驚く。お金を出すのが恐いような気持ちである。「あめ(雨)・が・ つづ(続)い・て・ やさい(野菜)・が・ しおとろしー・ ねだん(値段)・に・ なっ・とる。」◆金額が高いという意味よりも、予期していた価格や常識的な価格から並はずれていることに驚く場合などに使う。けれども、買わないわけにはいかず、愚痴を言いながら、しぶしぶ買うようなときの気持ちである。

 私個人の気持ちの中には「しおとろしい」という言葉は生きています。けれども、多くの人が口にする言葉ではなくなったように思いますから、胸の中の言葉に押しとどめて、「しおとろしい」と口にすることは少なくなりました。

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2019年10月 6日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(28)

ここっちょい

 「ここっちょい」は「心地良い」の発音が変化した言葉です。川崎洋さんは、私が話したことをもとに、文章を綴っておられます。

 私は魚釣りをはじめて一五年になりますが、ひと頃に比べて、めっきり魚がいなくなりました。  だいぶ前に、夜のボート釣りで、あっというような大きなメバルをあげたことがあって、それは今魚拓にしてとってありますが、あのときの、身体中の臓物が踊り出すような悦びを今でも忘れることができません。  そんなとき、兵庫県の明石で、 「ここっちょいほどおおけなメバルが釣れた」  といいます。  明石ですから鯛を例に引きたいところですが、まだそんなここっちょいほど大きな鯛を釣ったことがないので残念です。  それから小さな魚でもたくさん釣れる、いわゆる入れ食いのときも、「よお釣れて釣れて、ここっちょおて、やめられへん」というふうにいいます。  「ここっちょい」は、「心地良い」ではありますが、「涼しい風が頬に心地良い」などと使う場合の「心地良い」とは、感覚的にまるで違います。豊漁などで快哉を叫ばずにはいられない気持を表すことばなのです。  (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、98ページ~99ページ)

 実際には、豊漁の場合だけに使う言葉ではありません。農作物の収穫にも使いますし、例えば「たからくじ(宝籤)・の・ いっとー(一等)・に・ あ(当)たっ・て・ ここっちょかっ・てん。」と言っても、おかしくはないのです。  「明石日常生活語辞典」では、「ここっちょい」を次のように説明しています。

 《形容詞・特殊型》 自分の得たものの量や質などに手応えに感じて、痛快に感じる。「さかな(魚)・が・ ぎょーさん・ つ(釣)れ・て・ ここっちょい。」「こないに・ おー(大)きな・ だいこん(大根)・は・ ここっちょい・なー。」「ここっちょい・ほど・ よー・ もー(儲)かっ・た。」

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2019年10月 5日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(27)

こうと


 高等学校の国語教科書『新版現代国語・三訂版』に載せられている「母の国・父の国のことば」には「こうと」という項目があります。川崎さんは、京・大阪の言葉だと書いていますが、明石でも使います。次のように書かれています。


 「こうと」を、一口で言わなければならぬとすれば、地味のことです。
 「あの人こうとな着物着てはるなあ」というふうに使います。京・大阪のことばです。しかし、「地味な人がら」とはいいますが、「こうとな人がら」とはいいません。主として、着物の縞柄、色、服装を対象にした形容詞です。
 「こうとなふうしてはるなあ」といえば、年令の割りには老けたよそおいをしているという意味になります。
 京都の店で、反物を手に取って女性同士話をしています。
A「これ私にはこうとどつしゃろ?」
B「そうどすな、ちょっとこうとどすね、もうちょっと派手なものがよろしおまっせ」
 この場合、反物が年相応と思えても、
B「いや、そんなことおへんえ」などとは、口が裂けてもいわないでしょう。ことに京都の女性ならば。
 ところで、「こうと」を、単純に地味といいかえて事が済むかというと、そうはいかないのです。「こうと」から「地味」を引き算すると、そこにどうしても残るニュアンスがあります。それをことばでいうとすれば、高尚、上品、垢抜け、洗練、渋い、すっきり、嫌味がない--でしょうか。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、96ページ~97ページ)

 この項目は、私への取材を元にしたものではありませんが、明石でも同じような意味で使います。
 「こうと」の品詞は形容詞ではなく、形容動詞です。それは、京、大阪も、明石も同じです。
 「明石日常生活語辞典」では、「こうと〔こーと〕」という見出しで、次のように説明しています。

 《形容動詞や(ナ)》 着物などが、落ち着いていて地味である様子。質素で上品な感じがする様子。「その・ きもの(着物)・は・ え(良)ー・けど・ あんた・に・は・ ちょっと(一寸)・ こーとと・ ちゃ(違)う・やろ・か。」

 川崎さんのように微に入り細を穿った説明にはなっていませんが、これで一応、最低線の説明はついているのではないでしょうか。

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2019年10月 4日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(26)

えがおよし


 もうずいぶん前に鬼籍に入ってしまわれましたが、詩人の川崎洋さんは方言に強い関心をお持ちでした。方言について書かれた本を何冊も残されました。
 そのうちの一冊に『母の国・父の国のことば』という本があります。この本をお書きになるときに、私は川崎さんの取材を受けました。長い時間、お話をしました。川崎さんは録音テープをお取りになりましたから、私も同じようにテープを回させていただきました。私の部屋のどこかに、そのテープ(120分テープで3本にわたったように記憶しています)が隠れているはずです。
 全国各地の方々に取材されて一冊の本ができあがったのですが、一つの項目が2ページ程度で書かれています。うれしいことに、私が話した明石の言葉が、「えがおよし」「がみつい」「ここっちょい」「しおとろしい」「すいな」「そばえる」「どっしゃげる」「ばあてがする」「ぶてこい」「へっともない」のタイトルで載せられています。ただし、その項目の内容すべてが明石の言葉であるとは限りません。
 「えがおよし」の項目は、次のように書かれています。


 私はこれまでに、女の人をほめる三つのすてきな地域語に出会いました。
 「えがおよし」--営業笑いのそれでなく、人柄からにじみ出たにこやかさを感じさせる女の人を形容することばです。兵庫県の明石で使われています。
 「妹の方は勝気やけど、姉の方はえがおよしで落着いとる」などと評されます。漢字で書けば「笑顔佳し」です。
対象は赤ん坊から娘さんまで、広い範囲にわたっていますが、赤ん坊に限っては、「おせらしい」ということばがあって、手足を動かしたり、表情を変えたりする、あどけないかわいらしさを指しますが、「えがおよし」は、じっとしていても、そこからにじみ出てくる雰囲気のほうに重点がおかれていることばだ、ということができます。
 私は、友人、特にこれまでに知り合ったいろんな女の人の顔を思い浮かべてみるとき、つんと澄ましている顔あり、なにか一生懸命しゃべつている顔あり、うつむいている顔あり、うす笑いをうかべている顔あり、生真面そのものの顔ありで、千差万別ですが、「えがおよし」というのは、誰もがその人をその人の笑顔で自分の脳裏に思い浮かべるような、そんな女の人です。
 そういう女の人を友人に持っている男は幸せであり、恋人に持っている男はもうそれだけで他に何も望まなくていいのであり、妻に持っている男は神さまにさえ嫉妬される果報者といえましょう。ああ(!)
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、56ページ~57ページ)

 この項目には、他に「うるわしか」(熊本県天草)と、「えどびんなはれ」(富山)とが短く書かれています。それが「女の人をほめる三つのすてきな地域語」だというわけです。
 ところで、この「えがおよし」の文章は、高等学校の国語教科書『新版現代国語・三訂版』(1978年3月31日改訂検定済)、三省堂発行に、「ざっく」の項目、「こうと」の項目とともに掲載されました。私も、関係者の一人として、この教科書の教師用資料に文章を書きました。
 さて、「明石日常生活語辞典」では、「えがおよし」を次のように説明しています。

 《形容動詞や(ノ)、名詞》 いつもにこにこと笑顔を振りまいている様子。また、そのような人。「おたく(宅)・の・ むすめ(娘)さん・は・ えがおよしで・ かい(可愛)らしー・なー。」◆幼児や子どもはもちろん、若い女性などにも使う。成人男子に使ってもおかしくはない。

 ちょっと素っ気ない説明になりましたが、辞書としてはこの程度にせざるをえませんでした。川崎洋さんの文章に脱帽です。

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2019年10月 3日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(25)

どんま


 「どんま」という遊びがありました。今の子どもたちがその遊びをしている姿を見たことはありません。画面を見ながらゲームに夢中になっても、子どもたちが道端や広場に集まって遊ぶことはしなくなりました。大人がその状況を見て嘆くことをしますが、自分たちに原因があることには無頓着です。
 道端や広場を使いにくくしているのはクルマです。けれども、クルマは増えるばかりで、子どもたちを道端や広場から追いやっています。ゲームを作る会社は銭儲けに一生懸命で、そんな生産をやめなさいと声高に言うのは聞いたことがありません。大人の身勝手が子どもたちの生活を変えているのです。
 さて、「どんま」という遊びの経験者も減ってしまっていることでしょう。「明石日常生活語辞典」では「どんま」のことを、このように説明しています。


 《名詞》 馬乗り遊び。◆電柱・壁・塀などを背にして一人が立ち、その股の間に次の者が首を入れて腰を低くする。その後ろに次々と同じ姿勢の者が続いて、「馬」を作る。別のチームの者がその馬に次々と飛び乗って、馬が崩れたら何度でも繰り返す。馬が崩れなかった場合は、立っている一人と、先頭で飛び乗った一人とがじゃんけんをして、飛び乗った者が負けると馬になる。

 この遊びを「どんま」と呼んだのは、どの地域の人たちでしょうか。明石市内ではすべての地域で「どんま」と言っていたのでしょうか。別の言い方をしていた地域もあるかもしれません。逆に、明石市内でなくても、隣接の地域で「どんま」と呼んでいた地域はあるのでしょうか。それは、あると思います。
 方言というと、ある一定の地域に広がって、離れるていくとその言葉は使われなくなる、と考えがちです。その考えは間違っていないでしょうが、すべてがそのようになっているわけではありません。
 「どんま」について書かれた、次のような文章を読みました。竜の子プロダクションの社長(出版当時)の久里一平さんの本の中にあります。


 放課後、みんなで「どんま」で遊ぶ。 / 馬乗りのことだ。 / 飛び乗ってくる相手を振り落とすように馬は暴れる。 / 頭がぶつかって、身体がふれあって / すぐに汗ばんでくる。 / 交代で、乗ったり、乗られたり。 / つぶしたり、つぶされたり。 / 時にはケンカが始まったり。 /そんなぶつかりあいのなかで / 友だちができる。 / 子どもたちは、おおぜいで育つのがいい。 / 人は、誰かとともに生きているのだ。
 (九里一平、「京の夢、明日の思い出」、講談社、2004年11月12日発行、ページ数表示なし)

 京都での子どもの頃のことを思い出して、躍動的な絵とともに、文章で表現されているのです。明石と京都にこの言葉があるから、その間のすべての地域にこの言葉が広がっていたとは言えなくても、同じ言葉で表現される同じ遊びをしていた人の表現に出会うと、嬉しい気持ちになります。

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2019年10月 2日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(24)

補遺の言葉① たどん


 「明石日常生活語辞典」はまったくの一人仕事でした。見落としやミスがあるだろうということを覚悟しての出版でした。この本を作るまでの仕事量は膨大でした。何か一つでも記述の仕方を変えると、それが即座に全項目に跳ね返ります。それによって、数十項目を点検しなければならないことも起こりますし、数千の項目に影響することもあります。1万5000余の全項目に影響したのは、用例の書き方に関することでした。用例の書き方の修正には、それだけで1年以上の時間が必要でした。
 記載している見出し語の点検も、折りに触れて行いました。気が付いた段階で補充を続けました。校正段階で補ったこともあります。けれども、後になってから、見出し語として抜けていた言葉に気づくこともあります。「追記」の22回の「やぐさい」を書いていて、気づいた言葉があります。これからも、そういうことがあるだろうということは、覚悟をしています。
 気づいたものは、潔く書き加えるしかありません。いずれかの段階で、補充した言葉や、正誤表などをまとめなければならないと思います。それが、いつの段階にできるのかは予測がつきません。そういうものを作れたら嬉しいと思いますが、作ることができなくて最期を迎えてしまうかもしれません。
 さて、補遺の言葉の一つめは「たどん【炭団】」です。珍しい言葉ではありませんが、見落としていました。ただ、若い人たちにとっては「たどん」はもはや死語になってしまっているかもしれませんから、書き加えておかなければなりません。


たどん【炭団】《名詞》 木炭や石炭の粉末などを練り固めて、乾燥させて球状に作り上げた燃料。「たどん・が・ しめ(湿)っ・とる・みたいで・ なかなか・ ひ(火)ー・が・ つい・てくれ・へん。」◆かつては、炬燵、行火などに入れて、夜具の布団の足元に入れて使った。(たどんを入れて使う炬燵の写真は、「こたつ」の項を参照。)

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2019年10月 1日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(23)

終助詞の「さ」


 大阪市西成区のあいりん地区で、高齢者や障害者らの介護をするヘルパーをしている方が、CDを自主制作したというニュースを読みました。その記事に、曲の歌詞が書かれていました。


 生きてりゃいいさ つらくても 生きてりゃいいさ げんきでよ いつかいい日も 来るだろう 親にもらった この生命 むだにはせんで 生きていく
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年9月7日・夕刊、3版、9ページ)

 記事の中で、歌詞は3カ所にわたって引用されていますが、ここでは最初のものだけを引用しました。
 これから述べることは、その歌詞をきっかけに考えたのですが、その歌詞を批判する意図はまったくありません。考えたことの出発点が、記事であったというに過ぎません。

 「生きてりゃいいさ」の、「さ」という言葉について考えました。実は、「明石日常生活語辞典」では、「さ」という終助詞を載せていません。
 「いいさ」の「いい」は形容詞です。関西では「えー」と言うことが多いのですが、形容詞の終止形に終助詞の「さ」が付いたものと考えるべきでしょう。
 また、「元気さ」という言い方をする場合の「さ」は、形容動詞の活用語尾と考えるべきでしょう。「きれいな写真さ」と言う場合は、名詞に続けて使っています。首都圏の人たちは「……さ」という言い方を多用しているように思います。
 それに対して、関西の方言では「……さ」という言い方が現れることが少ないように思います。「あした(明日)・ あんた(貴方)とこ・へ・ い(行)き・まっ・さ。」とか、「それ・は・ わい(私)・の・ おも(思)いちが(違)い・やっ・た・ん・でっ・さ。」とか、言うことがあります。この「まっ・さ」は、丁寧語の「ます」が促音便になって、強意の終助詞「あ」と結びついて、「ますあmasua」の二重母音部分が「まっさmassa」になったと考えられます。「でっ・さ」は、丁寧語の「です」が促音便になって、強意の終助詞「あ」と結びついて、「ですあdesua」の二重母音部分が「でっさdessa」になったと考えられます。とは言え、「あ」という終助詞は、他の語と発音が融合することなく、単独で使われることはないように思います。
 「生きてりゃいいさ」という表現を、より関西の表現らしく言うならば、「生き・とっ・たら・ えー・ねん」になるのではないかと思うのですが、首都圏で使う「……さ」は、関西の言葉では「ねん」に近いのではないかと思います。終助詞「ねん」は、相手に念を押したり、強調したりするときに使う言葉です。

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