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2020年1月31日 (金)

生きる折々(31)

ライフワークという言葉


 「明石日常生活語辞典」のことが、朝日新聞の「神戸」(版)のページの記事になりました。1月28日付けです。
 実は、取材は昨年の9月に始まりました。2回にわたって記者と会って話をしました。写真はその時の撮影です。その後、時間を置いて、何回も電話で質問を受けました。担当記者は新任であろうと思われる若い人です。大学は文学部の出身ではなく、方言について基本的な知識は持ち合わせていないように感じました。だからということでしょう、質問に質問を重ねて、自分で理解した上で記事にしようという姿勢がありました。記事になるまでに4か月以上かかったのは、そんなことも理由の一つでしょう。スペースをじゅうぶんにとった記事に仕上げてくれました。私もいっしょに成就感を持ちました。面白いのは写真です。寒中見舞い状をやりとりする時期ですが、半袖のワイシャツ姿です。時間の流れがそのまま紙面に現れていました。
 さて、その記事の見出しは、「明石の日常語1万5643 辞典に」「生涯かけ集めた言葉 後世へ」「元高校国語教諭・橘さん出版」の3本です。
 私が方言に取り組むきっかけは大学の卒業論文で方言文法を扱ったことです。その後は、語彙の収集に力を注いで、やっと辞典の刊行にたどり着きました。けれども、それは「生涯かけ」てきたと言えるのか、この表現には恥ずかしい思いを持ちました。50年以上にわたって方言を調べてきましたが、忙しい時期には、何か月も方言に取り組めなかったのです。あるいは、管理職を務めた時期は、その仕事に忙殺された期間もありました。ともかくも、かろうじて1冊の本ができあがったという状態です。この日常生活語辞典は、後世、詰まり私の死後、研究者や地元の方々に役立ってほしいと思いますから、「集めた言葉 後世へ」はその通りですが、「生涯かけ」は大げさだと思っています。
 さて、そんなことを考えていたら、自分の若い頃のことを思い出しました。若い教員仲間で話をしていると、ライフワークという言葉が出ることが、しばしばありました。これからの長い教員人生で何かのテーマを持ち続けられるだろうか、そのテーマを見つけ出さなければというのです。そのテーマは、教育や指導に関わることもありますし、自分の専門分野に関わることもあります。生涯にわたるテーマである必要はありませんが、長い間にわたって取り組もうとすることです。中堅の年齢になると、そんな話題で話をすることはなくなっていきましたが、若い頃は真剣にそんなことを考えていました。
 私は、若い頃から、方言がライフワークであるかどうかは別として、ゆっくり調べて記録していこうと思っていました。生まれたところを離れた生活などはしてみようと思いませんでしたから、生まれ育ったところを記録しておきたいという気持ちが強くなっていったのでした。結果としては、本当に長い間、方言というテーマと過ごしてきたように思います。
 「明石日常生活語辞典」を刊行したことで、半分が終わりました。あとの半分は、何年か後の方言研究者が、この本を利用して研究を深めてくれたら嬉しいということです。もちろんそれは、私の死後であってもよいのです。

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2020年1月30日 (木)

生きる折々(30)

東京ニー・ゼロ・ニー・ゼロ


 今年は「東京2020」の年です。東京オリンピックとパラリンピックが開かれる年ということです。この「東京2020」は文字で書けば問題があるわけではありませんが、それを発音すると、日本語を無視したものとなっています。正しくない発音が広がっていて、その発音を、日本社会のリーダーであると自負されているような方々も、何の疑いもなく口にされているのです。
 日本語の漢字には音読・訓読という区別があります。音訓を混じらせた発音は珍しいので、重箱読みとか、湯桶読みとか称して、特別扱いをしています。それとは同じではありませんが、「2020」を「ニー・ゼロ・ニー・ゼロ」と発音するのは異例です。
 言うまでもありませんが、「0・1・2・3……」を、日本語では「れい・いち・に・さん……」と発音します。「0」は「れい」です。
 「0」を「ゼロ」と読むのは英語の発音です。もちろん「ゼロ」は外来語の一つとして、日本語の中で使うことは問題はありません。けれども、「ニーゼロニーゼロ」という発音の「二(ー)」は漢字の音読であって、「ゼロ」は外来語の発音なのです。
 「二」という数字(漢数字)の発音は「ニ」ですが、それを「ニー」と延ばすことは許容の範囲です。NHKのニュースでも、「2.6」という数字を「ニー・テン・ロク」と発音しています。聞き易さを考えての発音だと思います。
 「2020」は日本語の本来の発音ならば「ニー・レイ・ニー・レイ」です。これまでにも、例えば小数の「0.205」という数字を、「レー・テン・ニー・ゼロ・ゴ」と発音することはあったかもしれません。面白いのは、このような数字の場合、最初の部分を「ゼロ・テン」とは発音しません。「レー・テン」と発音しておきながら、途中の「0」を「ゼロ」と言うことがあったのです。
 だからと言って、「東京ニー・ゼロ・ニー・ゼロ」を認めようとは、私は思いません。これはきちんとした言葉(固有名詞?)です。街にもあふれ、新聞・放送にものべつ幕無しに登場します。この文字の発音を見逃しておくことは、日本語の乱れそのものであると思います。
 私は、言葉は「変化」していくものであって、「乱れ」ていくものであるとは思っていません。けれども、この「ニー・ゼロ・ニー・ゼロ」については、「乱れ」であると思います。「零」という常用漢字には「レイ」という音読しか認めていません。将来、外来語の発音に引かれて「零」に「ゼロ」という音読を認めることは起こらないと考えています。そのような「変化」は考えられませんから、「ニー・ゼロ・ニー・ゼロ」の発音は止めるべきだと思います。

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2020年1月29日 (水)

生きる折々(29)

信頼できる言葉を発すること

 

 

 例えば万葉集に収められている歌の場合、相手の名前を尋ねるという行為は、単に名前を知りたいということではありません。相手に対する求婚を意味していました。そして、相手に名前を告げるのは、相手に心を許して求婚を受け入れるという意思の表明でした。言葉に宿っていると信じられていた神秘的な力を「言霊」と言います。大昔だけのことではありません。今も、言葉は大きな力を持っています。ひとたび口に出した言葉は、生きたまま、動き回る力を持っています。誰がどんな発言をしたのかということは、今では、映像や音声としてきちんと記録されています。
 選挙のたびごとに自分の名前を連呼して、国民ひとりひとりに力を捧げると誓って当選したはずの議員(特に国会議員)ですが、当選してしまってからの横暴さは目にあまるものがあります。何のために、自分の名前を国民に告げたのでしょうか。
 幼い子どもが、一年中、街角にあふれているポスター(名前と顔写真が載っているもの)を見て、なぜ、あんなものが張られているのかと尋ねました。それに対して親が、街角に名前と写真が張ってあるのは、よくない人であるからなのだと教えたという話があります。大きな名前を書いて顔つきを知らせる必要があるのは、指名手配の人物と議員だけでしょう。
 国会で長々と演説を続けても、何の実質も読みとれないような話をしたのでは、言葉を戦略に使っているだけです。深い思いが言葉に込められたりはしていません。言葉をもてあそんでいるだけです。現代の人々は、言霊という言葉は使いませんが、言葉に人間性が宿っていることはちゃんと理解しています。
 時々、国会のヤジが問題になります。相手の急所を突くようなヤジには、感心させられることがあります。けれども、発する人間の浅はかさを露呈するようなヤジには失望します。今国会でも、女性議員が発したとされるヤジが問題になっています。国会は、言葉を用いて深く議論する場です。浅はかな人間性を露呈してしまうような人物は、議員の資格がありません。
 わが国には、演説や会見での発言を何度も問題にされながら、そのたびにいい加減な弁解をする副総理もいます。総理の言葉も、国民の心にしっくりと届くものにはなっていません。総理がいつまでも自己弁解を語り続ける国の将来はどうなっていくのでしょうか。与野党を問わず、国会議員は、国民の代表であるという認識を持ち続けてほしいものです。国会は国家権力の最高機関です。国民にわかる言葉で議論をして、国の方向性を決めていかなければなりません。議員個人の利害にこだわっていては、国の方向が危ぶまれるのです。こんなことは高校生や大学生でもわかっています。わかっていないのは議員だけ、というような情けない国にはなってほしくないのです。

 

 

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2020年1月28日 (火)

生きる折々(28)

本は、売れればよいというものではない


 週刊誌をわざわざ買って読むことはありませんが、医院や理容店などで時間を待っているときに、ページを開くことがあります。新聞が報道しない政治・経済などの裏の世界に焦点を当てて切り裂くような読み物が載っているものもありますから、週刊誌の存在価値はあるのでしょう。週刊誌の記事が国会を動かすようなことも、時には起こっています
 一方で、有名選手やタレントの動向に焦点を当てて大げさに書いたり、彼らの収入の多寡をランキングにしたり、一般人とは無縁の高価なホテルや飲食物や美容術などを紹介するようようなことを目的にしている週刊誌もあります。読者にブルジョワ気分を味わわせようという目的かもしれませんが、その同じ週刊誌が、ごくわずかの節税の方法を紹介したり、一円刻みの安い買い物の方法を載せたりしています。高額なお金が飛び交う社会を紹介する一方で、たとえ一円でも節約しようとする方法を伝授する、その両方が入り乱れた一冊は、どんな編集方針で作られているのでしょうか。
 言えることは、はじめから終わりまでお金の話題に貫かれている感じで、ゆったりと心穏やかに生きる姿勢などはみじんもありません。
 そして、そんな無秩序な考えが入り乱れている週刊誌に、目を見張るような写真や大げさな言葉に惑わされて、引きこまれていってしまう読者がいるのではないでしょうか。
 都合が悪くなると「表現の自由」とか、「読者の求めに応じる」とか言って、自分を正当化するのが出版社の常です。
 専門的な刊行物も劣悪な本などもすべて、出版という世界に分類されます。出版界は不況だと言え、売れたらよいという姿勢で本を作って売り上げを伸ばしているところもあるでしょう。売れる本は「読者の求めに応じた本」であるという理屈です。こんな大義名分を作らせないようにするのが、読者の良識というものでしょう。
 出版物と教育とは無縁のものではありません。親たちが華やかな世界に関心を持ち、金銭だけを価値あるものに考える生き方をすれば、子どもたちもそれを真似ることになります。どんな出版物を作ろうと出版社の自由であるとするならば、大人たちは価値ある本とそうでないものとを識別する力をそなえなければなりません。読者の良識を発揮すべきだと思うのです。
教育に関していうと、日本の中学生や高校生は論理的な文章を理解する力に欠けるとか、自分の意見をまとめる力が足りないとか言われます。周りの大人が思考力や表現力をそなえていなければ、生徒たちにそれが育つはずがないでしょう。出版の関係者には、大なり小なり教育と関係のある仕事をしているのだという認識が必要だと思います。

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2020年1月27日 (月)

生きる折々(27)

夕刊廃止への流れ


 図書館などでいろいろな新聞を読んだり、駅で新聞を買ったりすることはありますが、自宅で取っているのは一紙だけです。その新聞は、子どもの頃からのおつきあいですが、最近、異変を感じています。
 全国紙の大阪本社発行のものを購読しているのですが、昨年あたりから、夕刊を作ることに熱意がないのではないかと思うようになりました。朝刊と違って、夕刊の1面に様々な話題が載るようになりました。いわゆるトップニュースというようなものではなく、町の話題とでもいうようなものが増えました。わざわざ新聞で読まなくてもよいような話です。読んでも何も残らない、軽い記事が1面トップ記事として広がっているのです。
 それに伴って、政治・経済・社会・文化などのニュースは、夕刊を避けて朝刊に載せようとする傾向が見られます。大きなニュースがあるときはそれが1面に来ますが、小さなニュースよりは、町の話題の方が優先です。例えば明治時代の新聞のように、そんな話題を優先しているのでしょう。けれども、私には、昔に還るというよりは、手抜き新聞であるように思えるのです。誤解のないように申しておきますが、ここで言う「町の話題」は、地域の細かなニュースではありません。単なる読み物です。記者が見つけた話題を、長々とした記事にしているだけなのです。
 そんな紙面構成によって、ニュースの速報性が後退しました。極論すれば、夕刊などは要らない、ニュースは朝刊を見ればよいという姿勢を、新聞社が示し始めたように思います。それと平行して、夕刊で報じた記事を、ほぼそのまま翌日の朝刊にも載せるということが増えました。同じ内容の記事を2度、読ませられるのです。例えば同じ人の死亡記事が2回、同じ人の記者会見の様子が2回です。しばらく前までは、そんなことはありませんでした。腹立たしい気持ちになります。
 産経新聞は、大阪本社での夕刊は発行していますが、東京本社では廃止しています。私は、いま購読している新聞の、このような夕刊を読ませられるのであれば、朝刊だけを購読したいと思いますが、朝夕刊セット販売の地域で、朝刊だけ(統合版)を購読することはできません。けれども、こんな夕刊などは不要だと思っています。
 そんな思いを購読者に植えつけて、夕刊廃止を企んでいるのではないかと、私は推測しています。何の予告もなく突然、値上げの社告を載せたりする新聞ですから、夕刊廃止も突然に行われるでしょう。けれども、新聞はテレビに比べて速報性は極度に落ちますから、朝刊だけでじゅうぶんでしょう。1日も早く決断してほしいと思います。
 全国紙は、県域紙に比べて、地域のニュースに大きな弱みがあります。県域のニュースを軽視して、地域のページ(わずか1ページ程度)で報道できるはずがありません。全国紙の弱腰が露呈しています。国内外の政治や経済を声高に論じても、人々の毎日の生活と離れたものになってしまっては、新聞などを読む価値がなくなってしまいます。「町の話題」は地域のニュースとは言えないでしょう。記者の姿勢が問われているのです。
 朝刊に力を入れるとともに、県域紙に近いような細やかな報道をしなければ、全国紙は忘れ去られるかもしれないと思います。私も、そろそろ全国紙の購読から離れていくかもしれません。私と同じような思いの人がたくさんおられるだろうと思っています。

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2020年1月26日 (日)

生きる折々(26)

最低にして最高を目指せ


 1月20日に第201回通常国会が召集されました。政治に携わる人たちのひとりひとりの姿勢が問われています。IRをめぐる汚職事件、昨年の2閣僚の辞任問題、桜を見る会のことは、国民に納得のいく説明がされていません。適切な時期にきちんと説明する、などという講釈がそのとおり実行されていません。
 国会は疑惑を追及することが最大の使命ではありません。けれども、こんなに次々と問題が明らかになったら、それを質すことも大切でしょう。
 日本の国の国会議員が、自分の利益だけを考える人間の集まりになってしまったのはいつからのことなのでしょうか。そんなに昔々のことではないように思います。
 政党政治というのはやむを得ないことかもしれませんが、政党は候補者を選ぶときに人格を審査しているとは思えません。当選しやすい人を優先しているのでしょう。だから、当選して後に、問題人間が次々と露呈してくるのでしょう。
 高村光太郎に「最低にして最高の道」という詩があります。やさしい言葉で書かれています。国会も都道府県議会も市町村議会も、議員を目指す人がこの詩の内容を理解すれば、問題は少なくなるはずです。内容を理解するというのは、言葉を理解するという意味ではありません。理解してその通りの生き方をするということです。けれども、こんな簡単なことが実行できない人は立候補を取りやめるべきでしょう。有権者は、このことを理解できていないと思われる立候補者に投票をしなければよいのです。
 その詩(全文)を引用します。


 もう止そう。
 ちひさな利慾とちひさな不平と、
 ちひさなぐちとちひさな怒りと、
 さういふうるさい けちなものは、
 ああ、きれいにもう止そう。
 わたくし事のいざこざに
 見にくい皺を縦によせて
 この世を地獄に住むのは止そう。
 こそこそと裏から裏へ
 うす汚い企みをやるのは止そう。
この世の抜駆けはもう止そう。
 さういう事はともかく忘れて
みんかと一緒に大きく生きよう。
 見えもかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと、
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑ふもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆかう。

 ここに書かれているような生き方をすることは、政治家にとっては難しいことかもしれませんが、ほとんどの人にとっては難しいことではないでしょう。それが「最低にして」という意味です。それを実行すれば、得られるものは「最高の道」だと言っているのです。
 もちろん、この詩は政治家向けに書かれたものではありません。けれども政治家は庶民の気持ちから遊離してはいけません。庶民なら実行できることを、政治家も実行してほしいと思います。

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2020年1月25日 (土)

生きる折々(25)

期待に応えず、立派すぎず


 吉野弘さんに「奈々子に」という詩があります。奈々子というのは吉野さんの長女の名前です。その詩の一節にこんな言葉があります。

 唐突だが
 奈々子
 お父さんは お前に
 多くを期待しないだろう。
 ひとが
 ほかからの期待に応えようとして
 どんなに
 自分をだめにしてしまうか
 お父さんは はっきり
 知ってしまったから。

 他者から期待され、それに応えようとして努力をすることによって、人は進歩します。けれども、それはすべての人に当てはまるわけではありません。かえって、その人によくない影響を及ぼしてしまうことがあります。
 それはわかっているのですが、それでもなお人は努力をします。あるいは、他者から努力を強要されます。
 肩の力を抜いて生きる、などという言葉を聞くことがありますが、現代人には無縁の言葉になってしまっているのかもしれません。
 吉野弘さんの詩で私が好きなものを、他に挙げれば「祝婚歌」があります。こんな言葉です。

 二人が睦まじくいるためには
 愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
 立派すぎることは
 長持ちしないことだと気付いているほうがいい
 完璧をめざさないほうがいい
 完璧なんて不自然なことだと
 うそぶいているほうがいい
 二人のうちどちらかが
 ふざけているほうがいい
 ずっこけているほうがいい
 互いに非難することがあっても
 非難できる資格が自分にあったかどうか
 あとで
 疑わしくなるほうがいい

 全体の半分ほどの長さで、冒頭部からの引用です。
 肩肘を張らずに生きていくのがよいという姿勢は、人生の終わりに近づいてきたと自覚している私には、よくわかります。他者を押し分けて進むような生き方とは無縁であった私ですが、やっぱり他者を意識して、取り繕った姿を見せようとしていたことは間違いありません。
 詩の世界の言葉ではなくて、社会の中でこんな生き方ができるようになってほしいと思います。こんな生き方をする人が敗者になってしまわないような社会でなければならないと思うのです。

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2020年1月24日 (金)

生きる折々(24)

「総私総I」の政治家たち


 「政治」という言葉を、子ども向けの国語辞典で見ると、国や都道府県・市町村などを治めることというような説明がしてあります。子どもに政治の定義を教えることは難しいことでしょう。
 大人向けの国語辞典には、主権者が立法・司法・行政の各機関を通じて国を治め、運営していくこと、というような説明になります。主語は「主権者」、すなわち国民ですが、実際には立法・司法・行政に携わる人たちに託して、国民の共同生活を守ることになるでしょう。広辞苑にはもう少し詳しい説明がしてあります。専門的な事典には、政治の理想がどのように記述されているのでしょうか。
 いずれにしても、政治家という言葉は、三権のうち、立法に携わる人のことを指すようになっていますが、それは正しい使い方なのでしょうか。
 仮に立法に携わる人たちに限って政治家と称すとして、その政治家は、国民(主権者)から委ねられている役割を果たすべきであることは当然です。ところが、実際の有様はずいぶんかけ離れたものになっています。IRに関する収賄事件で逮捕された政治家、選挙運動の資金運用に関して家宅捜索を受けた政治家、桜を見る会について隠し立てをして説明を拒否する政治家。これらは国民の利益と相反することです。国民のために働くべき政治家が、自分の利益だけを念頭に置いて行動しているのです。
 毎年の年末に、世相を四字熟語で表すという遊びが行われています。国民と政治家とは信頼関係で結ばれて「相思相愛」であるのが理想です。理想通りには行かないのが世の常だと言っても、自分の利益のためだけに行動する政治家は、お引き取り願いたいものです。「相思相愛」をその発音のまま、文字を入れ替えたら、政治家の現実は「総私総I」だと思います。すべてを「私」のため、「I」(=私)のために動いているのです。
 中学校や高等学校で、日本史や世界史を学びます。その歴史の中心には政治のことが据えられています。経済のことや、文化のことや、一般住民の生活のことなどよりも、政治に比重を置いて教えています。そして、それぞれの国の、それぞれの時代の政治家たちには、君子とは言えないような人物像であったりします。現代の政治家たちは、昔の暴君のような政治家よりはマシかもしれませんが、政治家にふさわしからぬ人物も多いように思われます。「総私総I」の政治家がいなくなるのは無理なことであるのでしょうか。
 選挙によって選ばれた政治家にこのような人物が居るということは、立候補者全体の中に、よからぬ候補者が混じっているわけです。もしかしたら、その選挙区の候補者がすべて問題人物ということもあるわけですから、選んだ国民が悪いのだという論理は通らないと思います。

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2020年1月23日 (木)

生きる折々(23)

温暖の地にも昔は雪が積もった


 昔も今も同じところに住んでいます。兵庫県明石市の海辺です。目の前に播磨灘が広がり、左手前方に淡路島、右手に小豆島と家島群島が眺められるところです。
 地球温暖化が進んでいると言います。今年の冬も暖かい日が続いています。
 小学生の頃というのはもう60年以上前のことですが、小学校6年間に何回か雪が降り積もったと記憶しています。小学校の運動場が真っ白になっている景色が浮かびます。自宅の庭にはしごを掛けて、瓦屋根に何センチの雪が積もったかと定規で測った記憶があります。ずいぶん積もったと言っても、せいぜい5センチ程度ですが、それだけ積もると嬉しくなったものです。
 小さい頃は昔ながらの日本建築の家でしたから、寒さがこたえたはずですが、寒くて困ったということはもうすっかり忘れてしまって、雪を懐かしんでいます。
昔に比べて日本の年平均気温が1度以上あがったというニュースを聞きました。1度の上下などは体感としては差を感じることはありませんが、地球全体としては大きな変化であるのでしょう。
 積雪を懐かしむということよりは、地球の将来のことを心配しなくてはいけないのでしょう。原発は早く全廃すべきですが、火力発電所も大きな問題を抱えています。世界から見て、日本の発電の姿勢などが問われているのですが、政府は重い腰を上げようとしません。温暖化をくいとめるために、個人で努力できることもありますが、政治の力でなければ体制を変更できないこともあります。
 ゆっくり考えている余裕はないように思います。20年先、30年先ではなく、100年先、200年先を見据えて、生き方を考えなければならないときが来ているということを忘れてはならないと思います。

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2020年1月22日 (水)

生きる折々(22)

「加古川・姫路・山陽電鉄・淡路島方面」


 昔の駅のアナウンスは大きな音声でした。駅前じゅうに響き渡るような音であったと思います。あるいは、駅の他には大きなアナウンスをするところがなかったから、大きく聞こえていたのかもしれません。
 私の高校生から大学生にかけての、1960年頃の話です。神戸方面からの国電(昔の省線電車)が国鉄明石駅に到着するたびに、「明石、明石です。加古川・姫路・山陽電鉄・淡路島方面はお乗り換えです。」というアナウンスを聞きました。
 国電はすべて西明石行きです。西明石駅は国電の発着駅ですが、姫路方面へ直通する列車は停まらなかったのです。西明石行きの国電に乗り続ける人は、西明石駅で降りる人だけで、それより西に向かう人は明石駅で乗り換えなければならなかったのです。西明石-姫路間が電化された後も、西明石は国電だけの終着駅という時代が続きました。
 その時代の明石駅のアナウンスが、前記の言葉で、ずっと同じ表現でしたから頭の中に残っています。「加古川・姫路・山陽電鉄・淡路島方面」という並べ方が気になっていたのかもしれません。〔駅名・駅名・私鉄名・地域名〕という並べ方です。
 「加古川・姫路」方面へ行く人は国鉄のまま、ここで乗り換えればよいのです。改札口を出る必要はありません。「山陽電鉄」方面へはいったん改札口を出て、(新たに切符を買って)乗り換えるのです。「淡路島方面」というのは交通手段は案内されていませんが、当時の状況では、10分ほど歩いて明石港に行って、岩屋港行きの連絡船に乗ります。たぶん、乗り換えの手間の少ない順にアナウンスしていたのだろうと思いますが、まんなかに私鉄名が入るのが気になっていました。
 現在は交通体系が変わりました。加古川・姫路方面の電車も多いですし、西明石駅にはすべての電車が停まります。明石駅で乗り換える必要のある人は少ないのです。連絡船は運航していますが、淡路島へは明石海峡大橋を通るバスの便が主流となり、その乗り場は明石駅ではなく舞子駅になりました。主たる乗り換えは山陽電鉄と、各方面に向かう中・短距離のバスだけになりました。もちろん、上記のようなアナウンスは、とっくの昔になくなっています。
 乗り換え案内は駅のアナウンスではなく、車内での案内が主流になっています。JRの支線が別れるところでは地名が知らされ、他の交通機関との連絡駅では乗り換え交通機関名が案内されています。「加古川・姫路・山陽電鉄・淡路島方面はお乗り換えです。」というようなアナウンスは、もはや珍しい部類に属するものになってしまったのかもしれません。

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2020年1月21日 (火)

生きる折々(21)

寒中見舞い状をもらって考える


 親しい方々との葉書などのやりとりは、一年間の中では年賀状、寒中見舞い状、暑中見舞い状などが主なものです。寒中見舞い状は、年賀状を出せなかった場合などの補助的な手段としては便利です。年賀状と寒中見舞い状を重ねて出す人は珍しいのではないでしょうか。
 ところで、今年の寒中見舞い状は、気候の様子から見ると不要のものであるかもしれません。暖かいのは嬉しいことですが、それが地球温暖化と結びついたことであるのなら、喜んではいられません。暑中見舞い状が切実感を持つような時代が、やがて訪れるのかもしれません。
 ところで、自分と同じような年齢の方から寒中見舞い状が届くとドキリとすることがあります。発信人が家族でなくご本人である場合は、ひとまず胸をなでおろします。けれども、忙しくて年賀状を出し遅れたというような事情の人は、これまでに皆無に近い状況でした。とりわけ仕事の第一線を退いた後の人には、それはありませんでした。寒中見舞い状をいただくと、体の様子(病気など)と結びついたものということを感じ取ってしまいます。
 今年、寒中見舞い状をいただいたのは、年末に入院をしたという方でした。退院をしてから葉書を書かれたのですから、良好な結果であったというわけです。病名などを知らせていただくと、しっかりとした気持ちで対応なさっている様子が伝わってきます。
 私自身の年賀状の書き方については、このブログにも書きました。ひとりひとり異なった内容を書く年賀状(返事)はひとまず終えることができました。
 ただ、私は正月三が日が終わってから、ちょっと体調不良が続いています。ブログを書くこともウオーキングに出かけることも、普通に行っていますが、前立腺の肥大が大きいという診断を受けて、薬が増えました。
 私も来年は、もしかしたら寒中見舞い状を出す人間になっているかもしれないと思います。そういうことを感じ始めると、互いの様子を知らせ合うという年賀状の効用も捨て去るわけにもいかないと感じるのです。

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2020年1月20日 (月)

生きる折々(20)

どうしてこれまでに出会わなかったのだろうと思う人


 これまでこの人にどうして出会わなかったのだろう、と思う人があります。実際に対面できるような人ではなく、本の世界で出会う人です。
 いろんな本を読んできたのに、その人の本に出会わなかったのが不思議なのです。「豊かなことば 現代日本の詩」というシリーズが岩崎書店から出ています。全10巻は、高村光太郎、八木重吉、金子みすゞ、黒田三郎など、よく知っている詩人ばかりです。その中に、みずかみかずよ、という名前があります。まったく知りませんでした。1935(昭和10)年生まれで、1988(昭和63)年に亡くなっています。
 『ねぎぼうず』というタイトルの、シリーズ9巻目を読むと、ひらがなの多い詩で、とてもわかりやすい表現に引き入れられました。小学校の国語教科書に掲載された詩が、いくつもあるそうです。
 そのうちのひとつ「金のストロー」はこんな言葉で表現されています。


  雨にうたれて
林はみどりのしずくにすきとおる

  雨がやむと
  まっていたように
  お日さまが
  金のストローで
  みどりのしずくをすいあげた

 これは、何かを比喩で表現しようとしたものではないと思いました。ここに表現されている言葉の通りに、作者はまっすぐに感じ取ったのではないかと思うのです。「ねぎぼうず」という詩は、たった一行、次にあげる言葉だけです。


  地底から打ち上げられたロケット

 ただこれだけの言葉で、表現尽くしているのに驚嘆します。感性は瞬間的に動くものでしょう。それに言葉を与えるときに人は苦労をするのですが、易しい言葉を選んで、見事であると思うのです。
 金子みすゞも八木重吉も易しい言葉を選んで詩を紡いでいます。けれども、それらの詩人とは違う世界が作り上げられているように思います。この選集だけでなく、他の作品も読んでみようという気持ちになりました。

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2020年1月19日 (日)

生きる折々(19)

やすやすと「一致」などするものか


 言葉の意味・用法はしだいに変化をしていくものですから、以前と異なる使い方になるのは当然のことでしょう。
 けれども、政治家などが、自分に都合のよいように使うのは賛成できません。印象を良くするために、きれいな言葉を使おうとするのです。しかも、それによって、本来の言葉の意味・用法をゆがめてしまうこともあるのです。
 「一致」という言葉の使い方が気になっています。誰がこんな意味・用法を始めたのでしょうか。現在の総理大臣の大好きな言葉のようです。そして、そんな言葉遣いを新聞や放送がそのまま使っているようです。
 「サウジアラビアを訪れている安倍総理大臣は、ムハンマド皇太子と会談し、地域の安定と緊張緩和に向けて、関係国が力を結集すべきだという認識で一致しました。」というような表現が、あふれています。たぶん記者会見で安倍総理大臣が述べた言葉をそのまま使っているのでしょう。見事に「一致」したなどということを自慢したいのでしょうが、どこまで、どういうことが「一致」したのかはよくわかりません。表向きのポーズであるのかもしれません。
 国と国との意見交換が、たった1時間や2時間で「一致」するなどということがあるのでしょうか。もちろん、前もって事務レベルなどの話し合いが行われていたのでしょうが、それならば会談は儀式に過ぎません。政治家は、見事に国際問題も国内問題も話し合いによって「一致」の段階に持っていく力を持っている、すばらしい力を発揮していると言いたいのでしょう。
 子どもたちの集まりでも、地元の自治会の会合でも、意見が一致するなどということは珍しいことです。10人や20人ぐらいの人たちの考えで、当初はバラバラであったような意見が、一つにまとまったら、「一致」という言葉を使いたいと思います。一致するまでには努力が重ねられているのです。
 「一致」というのは、いくつかのものの内容や形や数量がぴったり同じになることです。2人の意見が(あるいは2国の認識が)同じになることを「一致」と言うのなら、隅から隅まで同じになったのかと尋ねたくなります。大勢の意見が一致した、という言い方はしますが、意見の一致は簡単には成し遂げられるはずはありません。「地域の安定と緊張緩和に向けて、関係国が力を結集すべきだ」というような、誰もが考えているような内容(認識)を同じように持ったとして、それを「一致」と言うのでしょうか。
 「一致」という言葉を次々と口にして、そこまで成し遂げたという成果を宣伝するための言葉であるように思います。それを新聞・放送はそのまま使っているのです。
このような場合に、かつてはどういう言葉を使っていたかということを振り返ってみると、それは「合意」という言葉であったように思います。「合意」とは、お互いの意志や意見が歩み寄って、同じようになるという意味でしょう。国と国との関係で使う場合は、「合意」という言葉には温かみがありますが、「一致」には無機質の響きしかありません

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2020年1月18日 (土)

生きる折々(18)

自分たちが住む地域から、しだいに緑が減っていく


 私が中学生になった頃、1955(昭和30)年の国勢調査による明石市の人口は12万0180人でした。明石市は他の市と合併しなければやっていけないというような事情はありませんから、1951(昭和26)年から市域は同じです。一部で海の埋め立てをやりましたから、市の面積はわずかに増えました。その明石市は一昨年に中核市に移行し、現在の人口は30万人に手が届くような状態です。
 1969(昭和44)年に発行された『江井ヶ嶋酒造株式会社八十年史』は、地元の企業の立派な社史です。明治21年に株式会社組織になったという先進的な会社で、酒の世界では、知る人ぞ知るという歴史のある会社です。
 その社史に、「播磨灘より眺めた本社全景」という見開き2ページのカラー写真が載っています。これは会社のために貴重というだけでなく、地域にとっても大切な写真です。会社が大きく写っていますが、その背景には50年ほど前の地域全体が写っている航空写真です。
 山陽電鉄の線路より南側に住宅地が広がっており、線路から北側は田圃と、いくつものため池が見えます。山陽新幹線も明姫幹線道路も作られていない頃の写真です。北側の丘陵地域の手前に国鉄(当時)の山陽本線が見えます。
 人口が2倍以上に増えた市ですから、私たちの地域も変わっていきました。田圃と池だけであったところに住宅地が広がっていき、新幹線や幹線道路も引かれました。高層マンションが幾つも建ち、田圃が少しずつ少なくなっていきました。
 けれども、またまだ田園地域です。そこへ、最近、驚くようなニュースが報じられました。東西方向に帯状に残っている田圃・ため池の場所に、JR西日本が新幹線の大規模な車両基地を建設したいという意向を持っているというのです。山陽新幹線は大阪と岡山の間には車両基地がありません。将来の増発などに対処するという目的での建設です。昨年の長野の新幹線基地の水害を教訓にして、浸水被害の想定のないところを選んだというようです。自分たちの住むところが安全な場所であるというのは嬉しいことですが、緑の部分がますます削り取られていくのは寂しいことです。まだ大雑把な図が示されただけで、市としての態度は未定だと言います。
 全国的な観点に立って大切なことと、地域にとって望ましいこととは一致しないこともあります。市民はゆっくりと考えて、賛否を示さなくてはならなくなるでしょう。
 50年間で緑(田圃や池など)の面積は大幅に減りました。もう50年先には一面に市街地が広がっていることを想像すると、息苦しさも感じてしまいます。

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2020年1月17日 (金)

生きる折々(17)

一般人に真似できない競技内容


 世論というものはどのように作られるのでしょうか。東京誘致運動のときには反対論もあって、報道されていました。開催を目の前にした現在の時期には、そんな意見はまったく姿をひそめてしまっています。反対論の人が鞍替えをしたわけではありませんが、新聞や放送は、そんな意見には目をつぶって、まったく報道をしないのです。
 私は、今になって、オリンピックを取りやめろと言っているのではありません。しかし、オリンピックに疑問を投げかける意見を排除して、報道が成り立っていることに、怪しさや危なさを感じます。ジャーナリズムというものが、大衆を動員して、一定の方向に流していくという恐ろしさを持っているように感じます。
 何しろ、放送局は競技の中継をして金を稼がなければなりませんから、競技に興味を持たせるような番組を作って、本番の視聴率を上げなければなりません。新聞も記事を書いて新聞を売らなければなりません。
 有名人も一般人も、誰もオリンピック開催には疑問を持っていないような報道ぶりです。そんな中で、翻訳家でエッセイストの岸本佐知子さんの『なんらかの事情』(筑摩書房)に収められている文章の中に、こんな表現があります。


 くどいようだが、オリンピックが嫌いだ。
 これほど口を酸っぱくして言いつづけているにもかかわらず、今年もバンクーバーで普通に冬季オリンピックは開催された。
 オリンピックは嫌いだが、冬季オリンピックはもっと嫌いだ。
 ただでさえオリンピックは、肉体を異常に鍛えた人々が異常な競争心をむき出しにして、異常に高く跳んだり異常に速く泳いだり異常にくるくる回ったりする異常な祭典なのに、そこにもってきて冬季オリンピックはそれを冬にやるのだ。

 2012年発行の書物からの引用です。冬季オリンピックだけではなくて、酷暑の夏季オリンピックも同様でしょう。
 「異常」という言葉が繰り返し使われていますが、オリンピックでの選手の競技内容は、一般人に真似などできません。「異常」な世界の出来事です。ほとんど毎日、二六時中、競技のために練習を重ねるなどということは、普通の人にはできません。普通人ができない練習をしているから価値があるのだという論理は成り立ちます。けれども、職業に専念することを免除されて、全生活を競技にかけることを許されているのは、ごく限られた人たちだけでしょう。
 すばらしい競技を見たいという気持ちはあります。力強いもの、美しいものに私たちは憧れます。けれども、記録が0.01秒短縮されたとか、0.1センチ伸びたとかというのは、数字に踊らされて見ているということです。それを報道する人の口車に乗せられて興味を持たせられているのかもしれません。
 一握りの「異常な」才能の持ち主に興味を注いでも、一般人には真似のできないことです。かつてのように、アマチュアでその競技に取り組んでいる人が示した立派な成績を称えるというような、運動競技であってほしいと思います。運動競技は見せ物ではなく、体育の一環であるというようにはならないのでしょうか。

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2020年1月16日 (木)

生きる折々(16)

商業主義スポーツの台頭


 2020年はオリンピックの年です。日刊新聞の元旦号はどの新聞もそのための特集ページを設けていますし、毎日のようにいろいろな話題が報道されています。テレビやラジオでもその話題が出ない日はないでしょう。
 入場券の売り出しの様子なども報道されて、東京では盛り上がっているのでしょう。ところで、関西や他の地域でも盛り上がっているのでしょうか。盛り上がっていると判断すればよいのかどうか、私にはわかりません。ただ、私にはいっこうに興味がわかないということは事実です。
 前回の東京オリンピックとは、時代背景が違うと言えばそれまでですが、あまりにもオリンピックそのものが変わってしまったように感じるからです。
 1964年の東京オリンピックの時、私は絶大な(!)関心を持ってオリンピックを見ました。東京へ出かけたわけではありません。貧乏学生の大学4年生の秋でしたから、そんな余裕はありませんでした。けれども、テレビや新聞でしっかり頭に焼き付けたように思います。
 10月10日が開会式でした。テレビ受像機は白黒からカラーへの移行期でした。私は白黒で見ましたが、雲ひとつない青空でした。
 三波春夫さんの「東京五輪音頭」という歌が街にあふれていました。その歌詞には「ハアー ソレ きみがはやせば わたしはおどる ソレ トトントネ 菊の香りの 秋の空 ア チョイトネ 羽をそろえて 拍子の音に とんでくるくる 赤とんぼ」という言葉がありました。これ以上は望む必要のないような気候でした。のちに10月10日は国民の祝日として「体育の日」になりました。
 「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉が、話題になるような時代でした。勝つことだけに重点を置いたような体育観ではありませんでした。プロの選手もたぶんいなかった、体育の国際大会でした。
 今のオリンピックは商業主義に塗りつぶされ、アマ、プロの区別もなくなりました。国内では、体育の日が「スポーツの日」に改称されるという流れです。
 オリンピックだけが変わったのではないと思っています。体育だの運動競技だのと言われていたものが、「スポーツ」に変貌したのです。
 そして、スポーツは金儲けの手段になってしまったのです。
 「参加することに意義がある」などという言葉は消えてしまいました。それが「勝たなければ意味がない」というスローガンに変更されてしまったと思います。
 体育や運動競技は、上手な人も下手な人も混じり合ってするものというイメージですが、スポーツは限られた一流選手の催し物という印象です。
 もちろん一流の演技や記録に接することは快いものです。けれども、競技場にも選手の体にも、べたべたと企業や商品の名前が張り巡らされている、現在の姿は下品です。商業主義の中で選手が動いているのです。前回の東京オリンピックの時代は、そのような汚らしさとは無縁であったように思うのです。
 欧米の運動競技のテレビ中継が少ない時期に押しやられて、酷暑の時期に開催し、マラソンなどの会場が無理やり札幌に変更されるというのは一例です。酷暑の商業主義大会がうまく運営されるのか、心配事は山積しているでしょう。

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2020年1月15日 (水)

生きる折々(15)

経験していないことを考える


 新聞や放送では、様々な問題が論じられます。その世界を経験していようがいまいが、一刀両断に論じるような威勢のよい人も大勢います。例えば、大学入試改革について、大学や高校の関係者がその経験を生かして論じるのは違和感を持ちませんが、教育の世界とは無縁の人が言いたいことを言っても説得力に欠ける場合があります。
 テレビで、コメンテーターという名のもとに、いろんな方面のことにちょこまかと口出しをする人の言うことは信頼してよいのでしょうか。
 人が長い人生を生きていく間にはいろいろな問題が起こります。問題などが起こらなくても、どのように生きていけばよいのかということに疑問を抱くこともあります。幼い子どもの育て方などについては多くの人が経験しています。青春時代の過ごし方などについても同じです。いろんな人が意見を述べても、おかしくはありません。けれども、80歳代、90歳代を多くの人が生きていくというのは、歴史にとってはじめてのことですし、ひとりひとりの人にとってもその指針が得られにくいものであろうと思います。
 超高齢期を生きることについても、言いたいことをズバリと言うクセを持つ記者や評論家がいます。いかにも人生の先達のような顔をして述べている文章に出会うことがあります。超高齢期をこのように生きよ、という姿勢で書いている文章もあります。
 新聞社で記事を書いたり、放送局の仕事に関わったりしている人たちは50歳代、60歳代まででしょう。その人たちが高齢化社会のひとりひとりの生き方などについて論じるとき、果たしてその意見は信頼に足るのだろうかと思うことがあります。経験していないようなことを、えらそうに述べたら恥ずかしいのではありませんか。
 私たちは、人生を送ってきて、60歳代になって気付いたことや、70歳代になってはじめて理解できたようなことがあります。統計の数字に表れるようなことではなく、生きることを経験してはじめて体得できるようなことについてです。
 瀬戸内寂聴さんのように、90歳代後半になってもそのことをいろいろ教えてくださる人もおられますが、大多数の超高齢者はそのような発信はしていません。
 けれども、だから50歳代、60歳代の人が、高齢者の心の中を勝手に推し量って、勝手な意見を述べてよいとは思いません。人口減少に伴って経済活動がどう変化するなどということが、高齢期を生きている人の生き方に与える影響などは微かなものでしょう。経済論などは、それにふさわしい場所で勝手に論じたらよいでしょう。
 高齢となった人生を生きているひとりひとりは、どのような心のありようで過ごすべきかというようなことを、自分より20歳も30歳も若い人からあれこれ言われて、その意見を尊重しようと考える人などは少ないと思います。
 そういうことは、実際に高齢で生きておられる人の口から、考えることや感じることを述べてもらうのがよいと思います。それを聞いて、しっかりした文章にまとめるのが記者の役割だと思います。もちろん、話を聞かせていただく人は、著名な人である必要はまったくありません。人生の終わり頃になったら、金銭や地位や名誉などというような価値観は大きなものではなくなっているのですから。

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2020年1月14日 (火)

生きる折々(14)

売れるように作った本と、出版費用を負担する本


 新聞や放送の報道姿勢を見ると、スポーツや芸能はもちろんですが、政治や経済や科学なども、一握りの第一人者や有名人などにスポットを当てて報道して、平凡な生き方をしている大多数の人のことは眼中にありません。本について言うと、前々回に挙げた『私の大往生』に登場する人も、著名な人ばかりです。
 出版社には、売れない本などを作る気持ちはありませんから、名もない人の出版物を世に出そうということをするはずはありません。
 売れるとは思われない本を作る人に向けては、出版社は自費出版を勧めています。出版社が損をしないように、出版する人に費用を負担させるやり方です。一冊の本の値打ちは、売れるか否か(すなわち、大部数が出るかどうか)によって決まるものではありませんが、企業である出版社の姿勢は、売れるものしか出さないということです。
 売れっ子である作家とか漫画家とかの本を読んでいると、出版社が費用を負担して、作家や漫画家などを優遇していることが書かれています。飲み会が催されたり、取材に同行してもらったり、家族旅行に一緒に行ったりしている様子などが書かれていて、そのようなことをさも当然のように書いている文章があります。売れる本を書く人には出費を惜しまない、後で取り返せるというのでしょう。
 出版社にとって、その本が売れるかどうかは編集者の力によるところが大きいようです。編集者の意見によって、内容が変化することもあるようです。出版社にとっては、売れなければ困るのですから、売れる本を作ろうとすると、手の加え方が様々にあるのでしょう。
 本がそのようにして作られるものであるのなら、出版は、文化事業であるとは言いながら、企業活動そのものであるという性格を持ち合わせているということでしょう。
 自分で買ったり、図書館で借りたりして、私たちは多くの本を読みます。けれども、それらはベストセラーと言われるようなものばかりではありません。ひょっとしたら、著者が出版費用を負担して出版した本も、たくさん手にしているのです。私が昨年出版した本は費用を負担して出版にこぎつけたものでありますから、他の多くの本がそのようにして世に出たのかもしれないと想像するのです。

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2020年1月13日 (月)

生きる折々(13)

今年はこんな年に、などとは言えない


 「今年はどんな年にしたいですか」。新年のインタビューなどで、こんな質問をしているのを、目にします。たいていはスポーツ選手や芸能人に向かってであって、そうでなくても対象は著名な人です。それはそうでしょう。そんな質問を投げかけるのは新聞や放送の関係者ですから、平凡な生活を送っている人などには関心がありません。
 けれども日常会話の中では、身近な人からこんな質問を受けることもあります。若い頃には何かの抱負を述べたことがあると思いますが、今となっては、その答えは覚えておりません。こんな質問を受けたのは若い頃だけだったような気がします。著名人に質問するのなら意味のある答えを期待しているのでしょうが、平凡きわまりない私たちにとっては、日常会話の挨拶のようなものに過ぎなかったのかもしれません。
 70歳を超えた年齢になって、もしこんな質問を受けたら、笑ってごまかすしかないでしょう。人生の過半(あるいは大半)を経過した人間としては、今年というような単位が問題ではないように思います。
 私にとって、毎日の生活は、あたりまえのことが、あたりまえに続いています。それは極めて平凡なことですが、それこそが極めて幸せなことであると感じています。
 新年を迎えると新鮮な気持ちになります。今のところ、致命的な病もありませんが、あと何年の命であるのかはわかりません。わからないということが、嬉しいことなのです。余命何年という宣告だけは受けたくないと思っています。
 残りの人生については、何年か単位で考えることもないわけではありませんが、私の場合は、たいていは何か月間かのことであったり、何日間のことであったりします。この時期までにこんなことをしよう、というようなことを考えています。1年、5年、10年という単位で人生を考えることができなくなっているように思うのです。
 この1年も元気で過ごせたら嬉しいと思います。それは希望(期待)であって、抱負ではありません。毎日毎日を動かしているのは、自分の勝手な思いであるのかもしれませんが、自分の思いで毎日を過ごしていけるのも、ありがたいことであると思っています。

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2020年1月12日 (日)

生きる折々(12)

死のことを、身近に考える


 高齢化社会という言葉が、盛んに使われています。人々が長生きするようになったのを、それがたいへんな問題であるかのように評論する人たちがいるのです。そのような人たちの頭に中にあるのは、たぶん商売がらみ、お金がらみのことでしょう。経済がうまく回っていかないと心配しているのでしょう。言いたい人には言わせておいたらよいでしょうが、人が生きていくのは経済活動のためばかりではありません。
 かつて日本人の総人口が6千万人とか7千万人であった時代があったはずです。再びそのようになったら、何が不都合なのでしょう。年金制度などがない時代でも人々は生きてきましたし、医療が進歩していない時代にも人々は生きてきたのです。その状態に帰れと言うつもりはありませんが、21世紀の経済の仕組みにヒビが入ったとしても、人間は生きていけないわけではありません。
 私自身が年齢を重ねてきたせいでもあるのですが、近頃は、ひとりの人が死を迎えることについて書いた文章を読む機会が増えました。高齢の人が、生と死について書いている本が多く出版されるようになったというのも、その理由のひとつです。哲学としての文章ではなく、自分のドキュメントのような文章です。
 十数人が語ったものを集めた『私の大往生』(文春新書)を面白く読みました。2019年8月の発行ですが、死について語ったご本人で、既に逝去された方が4人も含まれています。十数人の考えはそれぞれ異なっているのは当然ですが、病魔に冒されつつ長生きするというような考えの人は少なく、ぽっくり亡くなることができれば、それが最高だという考えの人が多いのに、私も同感しました。人の最期がどのように訪れるかは予想できませんが、唐突な死を爽やかに受け入れるというには嬉しいことでしょう。ただし、私個人としては、事件や事故で命を落とすことだけはご免こうむりたいと思います。
 死んでしまえば、何も持っていけないのに、この世に生きている間は、財産だの地位だのに拘泥している人が何と多いことでしょう。生きていくことの価値観が、偏っていることを感じます。新聞や放送は、現世のことに価値を置いて報道を続けています。その報道に接する人たちは、知らず知らずのうちに、その考え方に引きずられていきます。
 死について考えるということは、自分の一生という単位について考えるということでもあります。『私の大往生』を語っている人たちの中には、子孫に遺産を残すことを一生懸命に考えている人がほとんどいないことに快さを感じました。そう考えるのなら、生きている間もそのような姿勢で歩んでいけるでしょう。地位や名誉にこだわらないで生きていけます。ただし、それを語っているのが著名人であるというのが残念なことです。無名の人などは、本に取り上げられることもないのです。
 現実世界に、金銭や地位などを重んじる人間があまりにも多いのはどういうわけなのでしょうか。経済優先を旗印にして国政に携わっている政治家が、犯罪と紙一重のことを犯しつつ、さまざまな腐敗現象を見せていて、それが国民に悪影響を及ぼしているようにも感じるのです。

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2020年1月11日 (土)

生きる折々(11)

同級生の2割が旅立っていった


 年齢を数え年で計算していた時代は、年が改まると1歳ずつ加えられたのですが、今はそうではありません。けれども、新年になるとやっぱり、年齢のことが頭をよぎります。
 昨年は、自分たちの中学校の同窓会と、高等学校の同窓会を開きました。5年ごとに開いていたのを、3年ごとぐらいにしようということになったのが高等学校の同窓会です。もう前回でお終いにしようと考えていたのに、また開いてほしいという希望が強くなって催したのが中学校の同窓会です。今年はたぶん小学校の同窓会を開くことになるのではないかと思っています。私は、開催する同窓会の世話役を引き受けることが多くなっています。
 何しろ、還暦が過ぎ、古稀が過ぎ、私たちは喜寿を迎えているのです。それにしても、この結束の強さは、自分たちで驚くほどのものです。年齢が近い人たちの学年でも、小学校・中学校・高等学校の同窓会をたびたび開催しているというのは珍しいようです。
 さて、中学校の同窓会について言いますと、400人余りの同窓生のうち、鬼籍に入っている人が70人ほどいます。亡くなっているけれども、それがわからなくて、「消息不明」「転居先不明」としている人もいるかもしれません。小学校は100人に満たない同級生でしたが、居住地域(あるいは親戚など)が限定されておりますから、消息は意外にわかりやすいのです。
 大雑把に言うと、同級生のほぼ2割が亡くなっています。4年ほど前に、小学校の同級生が、男性ばかり4人が続いて亡くなったのは衝撃でした。いずれも病気ですが、年齢を重ねていると、そういう時期があるのかと感じ入ったものでした。いつか再びそのような時期が来るかもしれませんし、自分がその中に含まれることになるかもしれません。
 江戸時代の支考の句に「やり羽子は風やはらかに下りけり」というのがあります。凧揚げを見ることはあっても、羽子つきの風景を見ることはなくなってしまったようです。打ち上げた羽子がくるくると回りながら、舞い下りてくるのどけさを詠んでいます。こんな句を見ても、年齢を重ねてきた身からすれば、人生のお終いも、やわらかに下ってゆきたいという思いにつながって感じ取ってしまうのです。

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2020年1月10日 (金)

生きる折々(10)

死は、医療と切り離して考えたい


 人の死ということを考えるとき、いつも頭に浮かぶのは次の歌です。斎藤茂吉の「死にたまふ母」という連作です。

 みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただに急げる
 はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば
 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはず天に聞ゆる
 母が目をしまし離れ来て目守りたりあな悲しもよ蚕のねむれ
 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
 灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろり

 高等学校の国語教科書に載っていた斎藤茂吉の歌です。この歌は、自分の高校時代の教科書に載っていたような気がしますが、そうであるかどうかは確かめられません。けれども、高校で国語を担当するようになってからは、何度もこの作品を扱いました。
 「死にたまふ母」にはたくさんの歌が並んでいて、上に挙げたのはその一部ですが、教科書にはそのうちの3~4首が並んでいました。
 斎藤茂吉の母・いくが逝去したのはもう100年以上前(大正2年)でした。斎藤茂吉は医科大学助手の31歳でした。医師を目指す者が自分の母の死に接するときの様子を詠んでいるのですが、現在の医療というものとはずいぶん異なった姿であったのです。
 これらの歌が私の頭に浮かんでくる理由は明白です。私が、たとえば祖母の死に対したときの様子はこれに近いようなものでした。もちろん斎藤茂吉のように東京から山形へ飛んで帰るようなことではなく、カエルの声が聞こえたりツバメを目にする状況ではありませんでしたが、死を自宅で迎え、肉親たちが取り巻くという様子は同じでした。50年ほど前のことです。
 今の死は、自宅で迎えることは少なくなり、病院で最後の最後まで医療活動が続けられます。最後まで続くのは「医」であって、「死」という最期ではないように思われます。肉親は、死にゆく者とかかわるというよりは、ゆっくりと眺めている感じになります。死は傍観するものではないと思いますが、現在は、医師や医療器具を見つめるという行為になっているのではないでしょうか。
 私の肉親のうち、病院で亡くなったのは、母がその最初でした。父は病院に何度も入院しましたが、それはその時の病気治療のためであり、すぐさま死と結びつくものではありませんでした。けれども、場合によったら、病院で死を迎えることになったかもしれないと思います。
 さて、私自身の死がどういう形のものとなるのかはわかりません。できれば自宅で、家族に囲まれてと希望しますが、それが実現するかどうかはわかりません。ただ、意識がなくなってしまってから後の延命治療だけはご免だと思っています。

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2020年1月 9日 (木)

生きる折々(9)

読書感想文を書くことを求めない


 子どもたちがどうして本を読まないのだろうかと考えたときに、読書感想文というものの姿が見えてきます。本を読んだら感想文を書くように言われる、だから本を読むのが好きになれない、ということです。
 読みっぱなしはもったいない、というのは理解できますが、必ず感想文を書けと言われると大きな負担になります。
 私はずっと昔、短い期間ですが、兵庫県学校図書館協議会の会長や副会長をしていたことがあります。小学校・中学校・高等学校などを含む、大きな組織です。その会は、いろいろな活動をしたのですが、そのひとつに毎年、読書感想文を募集して審査をし、優秀作品を校種別に小冊子にするということがありました。
 冊子に掲載されるのはとても優秀な作品です。そして、その冊子の巻頭に、児童・生徒向けに1ページの言葉を載せる習慣になっていました。私は高校生向けの巻頭言を書きましたが、こんなことを書いた記憶があります。
 私たちは、映画を見たり本を読んだりスポーツをしたりしたときに、大きな感動を得ることがあります。その感動を、どうしても他人に伝えたいと思うことがあります。話をしたり、文章に書いたりして他人に伝えたいと思うのです。その話を聞いたり、文章を読んだりした人に、大きな感動が伝わることがあります。読書感想文はそんな役割を果たしています。この冊子に載せられている感想文は、そのような文章ですが、どの本を読んでも大きな感動を得られるわけではありません。けれども、読書によって大きな感動が得られたときには、どうか感想文にまとめてほしいと思います。
 これが、その文章の趣旨です。かなり遠慮がちに書いたのですが、長い間、国語教育に携わってきた者が、その段階では、そのように思っていたのです。
 夏休みに本を読むこと、そして感想文を書いて提出すること、それを毎年のように課題とするのが国語教育の常であったような時代を経てきていました。
 若い人に向かって、たくさんの本を読んでほしい、読書の習慣を身に付けてほしい、と願う気持ちは今も変わりません。読みっぱなしはもったいないという気持ちもあります。けれども、感想文を書くことを課題にするのは逆効果も伴っていると思うのです。
 井上ひさしさんは、講演をまとめた『本の運命』(文藝春秋)の中で、次のように語っておられます。


 「僕は、いっそ『読書感想文』というのはやめて、読んだ本の要約を書かせるようにしたらどうだろうかと思っているのです。…(中略)…
 感想ではなくて『何が見えるのか』、『何が書いてあるのか』という、自分が観察したことをそのまま文章で表わす練習が大切でしょう。」

 この提案に、はっと思わせられました。課題として提出された感想文の中には、その物語のあらすじしか書かれていないものがあったり、感動した部分の文章を引用しただけのものもありました。そんな文章を教員は、きみの感想が書かれていない、と非難することがありました。けれども、読後すぐには、もやもやとした思いが混じり合って、そうとしか書けないこともあるのです。時間が経つにつれて、思い返したりしながら、強い意識が生まれることもあるのです。そんな読書法であってもよいのではないかと思います。
 ともかく、若い人は一冊でも多くの本を読んでほしいと思います。もちろん中高年の方々に対しても同じ思いを持っています。

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2020年1月 8日 (水)

生きる折々(8)

新聞が消えた、本が消えた


 私はクルマの運転をしません。移動はもっぱら電車です。今はもう、勤め先はありませんが、ほぼ毎日、電車に乗ります。
 健康法のひとつがウオーキングです。毎日、最低1万歩は歩くように心がけています。歩く距離が7~8㎞に達することもありますが、ほぼ似たように場所を(だいたい海岸線に沿うように)歩きます。たいていは東や西に向かいますが、ルートはいろいろに変化をさせます。けれども、同じような道を引き返すことだけは避けて、前へ前へと進んで、帰りは電車に乗って帰ります。駅から家までも1500歩以上あります。毎日、午後に出かけます。少々の雨でも平気です。
 買い物や展覧会見学などで神戸や姫路へ出かけるときも、電車は朝のラッシュは避けます。立ちっぱなしというのがたいへんだと感じるような年齢になりました。だから、朝の通勤電車の車内がどのような状況にあるのかは、今はほとんど体験していないのですが、だいたい想像ができます。ラッシュでない時間帯とあまり変わらない状況だろうと思います。
 私が関心を持っている、その状況というのは、乗客が手にしているものであり、乗客が目を注いでいるもののことです。
 かつての通勤時の乗客の多くは、新聞を手にしていました。かつてというのは大まかな言い方ですが、昭和の終わり頃までは、新聞でなければ本を読んでいる人が多かったと思います。もちろん睡眠不足を補っている人もいましたが…。
 あの乗客たちは、どこへ消えてしまったのでしょう。車内で新聞を読んでいる人は激減しました。本を読んでいる人も減りました。代わって現在は、スマートフォンが花盛りです。何をしているのかはわかりませんが、たぶん、メールを打っているか、ニュースを読んでいるか、ゲームをしているか、というあたりが主な使い方でしょう。
 学生時代に車内で本を読んでいた人も、何十年か経って、今はスマホを相手にしているのかもしれません。活字離れの推進者になってしまっています。
 その状況をもとに、言いたいことがあるのです。本が売れないとか、読書の習慣が育たないとか、批判する言葉を聞きます。自分たち大人のことではなくて、児童・生徒・学生たちのことを指して言うことが多いのです。
 けれども若者を批判することはできないと思います。大人が読書をする姿を見せないで、子どもたちに「本を読め」と言っても効果はありません。大人が本を楽しんでいるという姿を見せたら、子どもたちも興味を持つでしょう。それをしないで批判をしても、変化は現れません。スマホは面白いぞという宣伝にはなっても、読書の啓蒙には役立ちません。車内の大人は新聞や本を読んで、若者たちに動機付けをする必要があるのです。
 もうひとつ、大人にしてほしいことがあります。テレビを見る時間を少なくして、ラジオを聴きましょう。ラジオは災害時だけに役立つものではありません。言葉を聞いて想像をふくらませるという体験を子どもたちに教えるためにも、テレビの時間を少なくするようにしてほしいと思います。もっとも、ラジオには、騒ぎ立てるだけのような番組が多いことは否定できませんから、民放には良質な番組を期待したいと思います。

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2020年1月 7日 (火)

生きる折々(7)

レモンとねずみと、作者の死と


 今年はねずみ年ですが、石垣りんさんに「レモンとねずみ」という詩があります。
 「きのう買っておいた / サンキストレモンの一個がみつからない / どうやらねずみがひいて行ったらしい」という言葉で始まります。
 黒い毛並みのチビねずみが黄色い果実をかかえていることを想像すると天井裏が宮殿のようだと歌って、侘びしい自分の暮らしの中で、いじらしい同居人が美しいものを盗んでいったことを、「私も身にあまるものを抱えこんでみたい」と言い、「今宵 頭上の / 暗い、ほこりまみれの場所に / 星のような灯がさんぜんとともるのを / 私は見た。」という言葉で閉じられています。
 たった一個のレモンがなくなったということから、こんな想像をめぐらせることができて、それを燦然とともる灯と感じる心を、私も持ちたいと思います。
 石垣さんの詩には憤然とした内容のものがあって心を強く引かれます。一方で、何げないものの価値をとらえて指し示してくれる詩があって気持ちが洗われる思いになります。
 この詩を冒頭に置いた、石垣さん5冊目の詩集『レモンとねずみ』(童話屋)は死後に刊行されました。巻末に谷川俊太郎さんと茨木のり子さんの弔辞の詩が収められていますが、茨木さんの「ひとつのピリオドが打たれた今、改めて / あなたの生涯がくっきりと浮かびあがってくるのを / 感じています。」という言葉に同感します。
 ひとりひとりは生きている過程で、生き方や考え方を示しながら動いているのですが、その人が生涯を終えたときに、その人の真の姿が見えるように感じられるのです。
 人生の終わりが少しずつ近づいている自分を振り返ったとき、自分の場合は生涯が浮かび上がるようなものはないでしょうが、でもやっぱり、死によって人生が完結したものになるというのは本当だろうと思います。
 同じ詩人の同じ詩であっても、それを存命の時に読むのと、死後に読むのとでは迫り来るものが違うように思うのです。人生途上で書かれたものを、死後に読むと胸に迫るというのは、読む人の真剣さの違いなのでしょうか。それとも、人生にピリオドが打たれた後にその人の生涯が浮かび上がるという真理によるのでしょうか。
 もはや故人となった茨木のり子さんの詩にも、私は同じような思いを持ちます。

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2020年1月 6日 (月)

生きる折々(6)

学校郵便の思い出


 年賀状を出す人が減っているとか、メールなどで新年の挨拶を交わす人が増えているとか言われます。今年のお年玉付き年賀状の発行枚数は、国民一人あたり平均にすると10枚になるようです。年賀状は郵便制度が発達して後に盛んになったものでしょうが、新年の風物詩には違いがありません。
 学校郵便だったのか、校内葉書だったのか、どういう名で呼んだのかは記憶にありませんが、以下に書くのは小学校時代の思い出です。年賀状を出したり貰ったりする季節になると思い出します。
 昭和24年4月に入学して昭和30年3月に卒業したのが、私の小学校の時期です。たぶん4年生ぐらいから後のことだろうと思いますが、年末が近づくと、年賀状を書きました。
 その年賀状は、葉書の大きさに作られて、左上の部分には、切手より少し大きなスペースで小学校の校章が印刷されていました。つまり年賀葉書の形式になっているのですが、用紙は本物の葉書よりはやや粗悪な紙でした。ただし、校章部分の印刷はガリ版ではなく、きちんとした印刷になっていました。
 それを使って年賀状を書くのです。授業時間中にそれを書くための指導がありました。宛名は友達の誰でもよいのです。表の面には、住所は書かずに、何年何組、何とか様、と書いたように思います。裏の面は、年賀状としての言葉を書いたり、絵を描いたり、イモ版などを押したりしたように思います。ただし、やや粗悪な紙ですから、イモ版などをぺたりと押し付けると、他の面に透き通ってしまいそうであったと思います。
 年末に作って集めておいて、新年の学級で配られたように思います。たぶん先生方が、整理して区分されたりでしょう。他の学年あてに書いてもよいという決まりであったと思いますが、たいていは自分の学級の友達あてであったでしょう。現物は残っておりませんが、たぶん、ひとりが5~10枚程度、書いたように思います。
 大人の世界に一歩だけでも踏み込んだような気持ちになりました。今どき、こんなことをしたら、多くもらう子どもと少ない子どもがあるから問題だというようなことが言われるかもしれません。けれども、そんなことを言う子どもも親もいなかったように思います。田舎の子どもたちは、生まれたときからの友達づきあいです。もらうのが少なくなりそうな子どもに宛てて、そっと1枚書き送ってやるというような気持ちの持ち主もいたはずです。
 元旦に、小学校へ行って校長先生の話を聞いて、ミカンをもらって、学校からの帰りに、地域の消防の出初めの放水を見て帰った、というような記憶もあります。個人本位、各家庭本位というようなものではなかった時代の、のどかな正月風景です。

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2020年1月 5日 (日)

生きる折々(5)

政治や経済は、哲学・倫理と無縁なのか


 年末から年始にかけて、瀬戸内寂聴さんの『死に支度』と『いのち』(ともに講談社)を読みました。どちらも、90歳を過ぎてから雑誌「群像」に連載されたものです。体の痛みや、介助を受けての行動しなければならなかったことも述べられていますが、その年齢でかつての出来事などを思い出して構成して、長い文章にまとめておられるのは驚きです。私は寂聴さんより20歳も年下ですが、こんなことはできそうにもありません。驚くしかありません。
 続いて、『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)を読みました。これは語り下ろし作品だと書かれていますから、新聞記者がインタビューしたものがもとになっているようです。わかりやすく述べられていて、法話を聞いているような印象です。生きることの指針を示された思いで読みました。
 その中で強く印象に残った言葉を2つ、引用します。
 ひとつは、51歳で出家をしたときに師僧の今東光さんから言われたという「ひとりを慎みなさい」という言葉です。寂聴さんは、それを易しく、こう説明します。
 「そばに誰もいないからといって悪いことをする。こっちを向いて人のものを食べたりお金とったり。たとえ人に見つからなくても、仏さまは全部見ている。そして、いいことをしてもね、仏は全部見てくれている。」
 こういう考えは、私が幼い頃は、誰もが持っていた考え方です。私は母から言われて、胸にしみついています。今もゆるぎません。
 もうひとつは、最澄の思想をあらわす「忘己利他」という言葉です。寂聴さんは、それを易しく、こう説明します。
 「我欲、つまり自分の欲というのはきりがありません。自分の幸せだけを追い求めていても、我欲に一生かき回されて苦しむだけです。それよりも、自分のすることが人のためになっているということがほんとの幸せではないでしょうか。」
 戦後の貧しい時代に育った私には、自分たちが生きることを優先するような考えがありましたから、このような考えは強くは育たなかったのです。けれども、今では、この考えが生きることの指針になっているように思います。
 平凡な人間が、平凡に生きていても、心の中の判断基準として持っているような考え方であるのです。
 さて、社会に目を向けると、IR事業をめぐる汚職事件、桜を見る会の問題、そしてレバノンに逃亡した被告……と最近のニュースは、目を覆いたくなるような事柄が連続しています。
 政治や経済のトップにいる人たちは、「ひとりを慎む」や「忘己利他」という考え方をしていたのでは、任務が果たせないのでしょうか。誰も見ていないから悪いことをしても隠し通せるという考え、自分の欲望を満たすことが自分の幸せになるという考えが蔓延しているようです。
 政治や経済のトップに立つ人は、倫理や哲学に心を傾ける必要がないのでしょうか。法律の網の目をくぐれたら、何も追及されることがないというように考えている人が、世にはびこっています。政治・経済と哲学・倫理の関係や、哲学・倫理と法律の関係を、しっかりと考えなければならない時代になっていると思います。
 なによりも、ひとりひとりの人間が、心の中の判断の拠り所をしっかりとさせなければなりません。

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2020年1月 4日 (土)

生きる折々(4)

生き方を考えることを面倒がっている新聞


 正月(元日)の新聞は分厚いのですが、読み応えがなくなりました。今年の日刊紙の付録部分は、どの新聞も(と言ってよいように思います)、スポーツと芸能が大部分(あるいは、すべて)を占めています。読んで面白いと感じることはあります。けれども、深く物事を考えようとする糸口を提供してくれるような記事は皆無に近いのです。
 スポーツと芸能には有名人だけが登場すると言ってよいでしょう。無名の新人などはほとんど新聞では取り上げられません。特別なスポーツ成績の持ち主や、すばらしい芸を身に付けた人が掲載されているのですから、一般読者は真似しようにも不可能です。
 スポーツで言えば、オリンピックやパラリンピックの日程表や、結果の予想や、記録の更新とかの話題が多いのです。今年活躍しそうな人にスポットを当てています。芸能も同様です。今年活躍すると思われる人、人気の出そうな番組、視聴率を上げるための取り組み、といった話題です。要するに、目先のこと(来年になったら、話題でなくなるようなこと)が多く書かれているのです。明日になったら忘れるようなテレビ番組紹介記事も盛り沢山です。
 かつての正月の特集には、これからの政治や経済や文化のあり方について、展望したり考えたりする特集があったと思います。大阪本社発行の新聞には、関西の今後の姿や開発のあり方を問うような特集も多かったのです。今年は皆無です。環境やエネルギーの問題が国際的に高い関心を集めていても、スポーツや芸能が優先なのです。正月に「一年の計」などが見られない、なさけない新聞に変わってしまったように思われるのです。
 どうしてこのようになってしまったのでしょうか。今年がオリンピックやパラリンピックの年であるからという理由だけではないように思います。新聞社が、あるいは新聞記者が、ものごとを深く考えようとする姿勢を放棄し始めているように感じられます。今日・明日のことに振り回されて、ゆっくり考えることをやめてしまっているのかもしれません。
 ひとことで言うと「生き方」を提案することが後退してしまっているのです。哲学が存在しない記事が多くなっているのです。もっと極端な言い方をすれば、商業主義(金儲け)という観点から物事を眺める姿勢に慣らされてしまっているのです。スポーツや芸能はその典型的な対象物であるのです。あるいは、記者たちは批判精神だけが旺盛で、自分の考えを持たないという生き方になってしまっているのかもしれません。
 新聞の読者は老若男女です。難しい内容を易しく書く努力をしなければなりません。そして、明日の世界をどう生きるかということを考えさせる記事を書かなければなりません。
 大げさな写真や、大きな文字や、下品な言葉で読者をびっくりさせることは、スポーツ新聞や週刊誌にまかせておけばよいのです。
 上に述べたことは正月の新聞をもとに考えたことです。ふだんの紙面はそうではないという反論が出るかもしれません。けれども、私にはそのようには思われません。テレビはもちろんですが、新聞までもが刹那的な話題に終始しはじめているように思われるのです。
 哲学(生き方)は、すべての人が考えることです。論壇のページで、難しい言葉を駆使するような人にまかせておいてよいのではありません。新聞記者が、読者に向かって易しく問いかけるためには、すべての記者が日頃から、哲学(生き方)のことを頭の片隅に置いておかなければなりません。このままでは、読者の新聞離れは加速度を増していくでしょう。新聞を読むことに魅力を感じなくなったら、読者で居続ける必要はなくなるのですから。

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2020年1月 3日 (金)

生きる折々(3)

いただいてから書く年賀状


 私は、数年前に年賀状を減らしました。翌年から年賀状のやりとりを終えたいのだが、という意向を伝えたところ、一定数の減少がありました。
 けれども、同じように年賀状をいただいた方もありましたので、その方々とは交換を続けています。
 なぜ年賀状を減らそうと考えたのか、というのは次のような理由です。年賀状をいただくことは嬉しいのですが、自分の出す年賀状がすべての人に同じ文面であって、しかも一斉に発送するということを嫌だと思うようになりました。年賀状に、ひとりひとり異なった文面を書くこともしましたが、年末にたいへんな時間がかかりました。
 現在は、同一文面の年賀状を極端に減らしました。ほんとうは全廃しても良いのではないかとも考えたのですが、決断できませんでした。親戚や、目上の方などに限って、同一文面の年賀状を出しています。この場合は年賀葉書を使います。この方々へは、元日に届くように投函しています。
 ひとりひとり違った文面の年賀状は、いただいてから書きます。年賀状をいただいてから返信するというのは、ちょっとエラそうな感じがして申し訳がないことです。けれども、相手の方との旧年中のことを振り返ったり、いただいた年賀状に書かれていることについての感想を添えたりします。正月7日間に書き終えることを目標にしていますが、遅れる場合もあります。
 正月という機会に、消息をやりとりするという考えです。金額は同じですが、普通葉書を使います。いただくのはクジ付きの年賀葉書ですから、ちょっと失礼だろうと考えたこともありました。何年か繰り返してきましたから、あの人は普通葉書でゆっくりと返信してくる、ということを理解していただくようになったかもしれません。
 そんなやり方で年賀状の交換を続けています。もはや交際相手が拡大して年賀状の枚数が増えるという年齢ではなくなりました。けれども減ることもないのです。ここ10年ほどは同じような枚数で推移しています。
 ゆっくり拝見して、落ち着いて返事をしたためるということを、今年もしています。

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2020年1月 2日 (木)

生きる折々(2)

年月の隔たり


 元日の新聞にゆっくりと目を通します。正月の新聞はページ数も多く、今年の展望のような記事も多いので、全国紙・地方紙ともに買い集める習慣になっています。
 毎日新聞(大阪本社発行)の1面、コラム「余録」は、3年前に亡くなった作家・杉本苑子さんの文章を引用しています。1944年10月に、女学生だった杉本さんは、出征する学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送りました。その20年後の1964年10月、同じ競技場でオリンピックの開会式を見たのです。出陣学徒壮行会と東京オリンピック開会式の場所は、同じ競技場で、その間に20年という時間が流れているのです。コラムは「あの日がきょうになるなら、輝くきょうも明日はどうなるか分からない。それを『恐ろしい』と感じた杉本さんの気持ちが分かる。」と書いています。
 コラムの隣りに「近藤流健康川柳」という欄があって、「五十年変わらぬ文字で来る賀状」という、貝塚市に住む方の作品が紹介されています。最近は年賀状の宛先も印刷されて、手書きの文字が珍しい世の中です。手書きの文字の書き癖が50年経っても変わらないことへの親しみが詠まれています。
 同じ面の下方に、「岩波国語辞典・第八版」の広告があって、「10年ぶりの大改訂!」と書いてあります。言葉は急激に変わったりはしませんが、意味・用法がかすかな変化を続けて、10年も経つと改訂が必要になるのです。
 10年、20年、50年という時の隔たりは、長い・短いという言葉で言い表すものではないように思います。10年前と10年後、50年前と50年後という比較ではありません。
 10年間の言葉の変化は、時々刻々が連なって、10年間の中身がぎっしりと詰まったものであるのです。年賀状の句は50年前の文字と今の文字だけを比較しているのではありません。毎年毎年の賀状の文字の印象が積み重なっているのです。
学徒出陣とオリンピック。その20年の隔たりの中の1日1日が社会を変えてきたのです。その1日1日に参加しているのが、ひとりひとりの人間であるのです。
 10年、20年、50年という年月を、単に時の隔たりと考えるべきではないでしょう。他人事のように時は流れたのではないのです。時の流れの中で、生きているのは私たちひとりひとりです。社会とどう関わっていくか、他の人とどういう結びつきを育んでいくか、ということを、忘れないようにして生きていこうと思うのです。

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2020年1月 1日 (水)

生きる折々(1)

もらうと嬉しい手紙・葉書


 年が改まって2020年になりました。新年と言えば、年賀状です。高浜虚子に「草の戸に賀状ちらほら目出度さよ」という句がありますが、年賀状が届くのはほんとうに嬉しいものです。
 私は手紙や葉書を書くのが好きです。単なる連絡や広報で受け取るものは別ですが、多少とも私信の性格をそなえているものを受け取ったときには必ず返事を書きます。連絡・広報の書類やリーフレットなどが大半の郵便物の中で、私信があると嬉しいものです。もちろん、自分の方から手紙や葉書を書いて送ることもします。
 私信と言っても、現在では手書きは少なくなりました。パソコン印字の私信も多いですし、私も手紙や葉書は基本的にパソコンを使います。パソコンを使うと、すべての発信物の内容が手元に残るという利点があります。仕上げるまでに何度も読み返して修正できるのもありがたいことです。
 私の場合、手紙は自分の名前だけを手書きにしています。それとともに、封筒などの宛名は必ず手書きにしています。いただく年賀状の大半は、宛名も印字されていますが、私は宛名を印字するつもりはありません。必ず手書きです。
 メールも使っています。ただしスマートフォンのメールではありません。インターネットのメールです。メールアドレスは、インターネットのものを知らせておりますから、そちらで受信します。この年齢になりますと、緊急のメールなどはほとんどありません。文面をゆっくりとパソコンに打ち込んで、それから送ります。
 したがって、手紙、葉書、メールの文体は基本的に同じです。葉書であっても400字以上のものが書けますから、です・ます体で文章をゆったりと綴ることができます。
 昔々の記憶では、葉書が2円、封書が8円という時代がありました。5円と10円という時もありました。葉書と封書の料金がしだいに接近して、今では84円と63円です。狭いスペースの葉書に押し込める必要もなくなって、今は封書を使う機会が増えてきました。
 ひとつの手紙や葉書を書くためには相応の時間が必要です。電話で連絡を受けることも多くなっています。けれども、私は時間がかかっても、やっぱり手紙や葉書、あるいはメールを大事にしたいと思っています。

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