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2020年2月 1日 (土)

生きる折々(32)

数値が価値を決めるわけではない


 前回の話の続きです。「明石日常生活語辞典」についての新聞記事の見出しのトップは「明石の日常語1万5463 辞典に」です。単位は付けられていませんが、本文には「1万5463語を掲載した」となっています。見出しの数という数え方と、語の数という数え方とは少し違うと思います。正確には、見出し数と言うべきです。けれども、訂正してほしいとは思いません。一般の方々から見れば、たいした違いではないでしょう。
 私がこの辞典を作ったとき、見出しの個数が幾つになっているのかはわかりませんでした。見出しは、例えば「きたな(汚)い」という言葉を、普段の日常生活では「きたない」の他に「きちゃない」とも言いますし、「き」の部分を省いて、「たない」とか「ちゃない」と言うこともあります。それらの「きたない」「きちゃない」「たない」「ちゃない」をすべて見出しにしました。見出しがなければ、それらの言葉の存在が忘れ去られてしまうからです。場合によれば、「ちゃない」という言葉が記録されているかどうかを調べるために、その見出しで引くこともあるでしょう。
 けれども、これらの言葉はもともとは同じ言葉から出発しています。4語というように数えてよいのかどうか、疑問が残ります。辞典を引きやすいように、似たような発音でもそれぞれ別の見出しを立てています。見出しの数を増やすためではなく、引きやすくするためです。見出しの数を増やすために、似たような発音を別見出しにしたと受け取られたら心外です。私は、数値は出すまいと考えていました。
 最終的に「明石日常生活語辞典」にはどれくらいの見出しができたのか、私はひとつひとつ数えるような時間の余裕はありませんでしたが、初校の刷り上がりを見たときに、平均すれば1ページに20ほどの見出しがあるだろうから、700ページとして1万4000ぐらいの見出しになるのだろうかと考えていました。その程度の認識でよいし、そんな数字を口にする必要はないと思っていました。
 出版社はいとも簡単に数えてくれました。そして教えられた数字が1万5463の見出しであるということでした。そして、その数字を案内リーフレットに書くことになってしまいました。そして新聞記事にも、その数字がとりあげられたというわけです。(ただし、本書にはどこにも、そんな数値は書いておりません。)
 私はブログにいろいろな文章を連載しておりますが、そんな文章の中にも、報道機関が、数値のことに執着して取り上げたり、その数値をランキングにしたりすることについて、批判的なことを書いてきました。新聞やテレビが、数値を大きくとりあげたりランキングを作ることを日常的に行っているという報道姿勢に同感できないのです。数字の多寡が価値を決めるというような、誤った認識を植えつけていると思うからです。スポーツ選手の報酬の数字が大きな見出しで報道されるのなどは、その一例です。
 「明石日常生活語辞典」についても、項目数を参考程度に報じることはかまいませんが、記事の見出しにするほどのものではないと思っています。数字が価値を決めるのではないのです。

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