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2020年2月22日 (土)

ことばと生活と新聞と(1)

新聞への信頼感と、新聞離れ


 いかに時代が変化しようと、新聞と放送を比べると、私は報道機関としては新聞の方を信頼しています。放送とりわけテレビは、中学生の頃から見るようになり、大学生の頃からドラマやニュースなどに親しむ度合いが少しずつ増えていきました。
 今でも記憶しているのですが、勤め始めた頃は、朝のテレビ放送が始まるのは、せいぜい6時頃からだったように思います。6時30分頃に家を出るという生活の中では、朝のニュースを見ようとしても放送されていませんでした。
 東京のホテルニュージャパンで火災があった時は、テレビスイッチを入れた時に、早い時間帯にその実況がされていて、びっくりした記憶があります。特別の放送でした。
 ニュースの放送時間が増え、ワイドショーでニュース関連の話題を、まるで垂れ流しているような時代になっても、私は新聞の方を信頼しています。テレビは新参者で、新聞(社)に育てられたものという認識が抜けないからかもしれません。
 もちろん災害の時などのテレビやラジオの力は大きいということは理解しています。けれども、放送に接するだけで済ませることはできず、新聞で確かめたいと思うのです。まして、テレビやラジオでの論評は一時的、表面的に終わることが多く、新聞の方に大きな信頼を置いています。
 そうではありますが、次のようなことが起こっています。
私の友人に、新聞を読まなくなったという人がいます。私たちの世代には、新聞を定期購読しない人はいませんが、新聞が来ても読まなくなったというのです。奥さんはよく読むのだそうですが、彼は読まないのだそうです。彼はテレビ漬けの生活をしているわけではありません。テレビも見ないが、新聞も読まないという生活なのです。
 私も新聞をあまり熱心に読まなくなったように思います。新聞を読む時間が少なくなりました。テレビはせいぜいニュースを見る程度で、それ以外に見る番組は多くはありません。
 なぜ新聞を読む時間が少なくなったのかを考えてみると、ぜひ読まなければならない内容が少なくなったからです。世の中に、どうしても読んでおかなければならないほどの記事はあまりありません。首相という立場の人がヤジを飛ばして問題になったとしても、その経緯や問題の結末がどうなるのか、与野党議員の小さな戦いであるに過ぎません。公文書破棄の問題は、腐った政治家や官僚の問題でありますが、詳しく知ったとて一個人が施す手だてはありません。言葉の重みを理解していないような政治家が国会で論戦を繰り広げても、逐一的に経過を読んでみようとは思わなくなりつつあります。
 現段階では新型コロナウイルスがどう感染していくのかという大問題がありますが、せいぜいそれぐらいが、新聞を読むときの関心事です。
 新聞記事の量は増えても、昔に比べると、熱中して読む記事は減ってしまいました。私が年齢を重ねてきたということも理由の一つでしょうが、そればかりではありません。軽薄な記事が増加していることは厳然とした事実です。「ことば」が軽くなっているのです。
 私は「ことば」には強い関心を持っています。生活と言葉との関係については、これまでのブログにも書いてきましたが、タイトルを改めて書き続けることにします。

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