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2020年2月14日 (金)

生きる折々(45)

倫理観が欠如している


 「経済を発展させるのは『弱い人』、あるいは私たちの中にある『弱さ』である。」
 これは経済学史家の堂目卓生さんの著書の中にある言葉だそうです。新聞で紹介されていましたが、細かな意味合いはわかりません。学者の言葉ですから深い意味合いが込められているのかもしれません。
 新型コロナウイルスの感染に関わる問題で、世界中でマスクが不足しているそうです。商売をする人はたくさん貯め込んで、高値で売りさばいているかもしれないという懸念もあるようです。人の弱みにつけ込んで利益を得ようとする人間は昔もいたでしょうが、現在は露骨になっているのでしょう。法律に触れなければどんなことをしても咎められないというのは、住みやすい社会と言えるでしょうか。
 新聞や放送には倫理観が大きく不足していると感じます。法律違反のようなことは大きく報道します。それは当然でしょう。けれども、倫理的に問題があるというようなことは、法律的に違反であるということが明らかにならなければ咎め立てをしないのが、今の報道機関の姿勢です。あくどい金儲けをしても、法律が見逃しているようなことには、報道機関も同調して見逃しているように思います。個人についてのことだけではありません。国が行っていることについても同様だと感じています。
 オリンピックを開催すればどれだけの経済効果があるとか言われ、IRのことも経済的見地から議論をされます。経済という言葉は、もともとの経国済民などという考え方を離れてしまい、金儲けをしたい人にどれほどの効果があるかという観点が重視されているようです。選挙資金を特定の人に1億5000万円も与えても、それ以上の効果があると考えるから、そういうことをするのでしょう。明らかに法律違反だという結論が出ると、大きな声で報道しますが、法網を微妙にかいくぐったことになる場合は、報道機関は声を出しません。仕方がないと諦めているのでしょうか。
 考えなければならないことは、私たちが生きる上で、何を規範にしているかということです。報道機関の基準は法律のようです。法律で咎められない限りは、間違っていないという考えのようです。倫理という基準などかなぐり捨ててしまっているように感じるのです。
 はじめに挙げた堂目さんの言葉の深い意味はわかりません。けれども、経済は「弱い人」に寄り添うものでなければなりませんし、人間の弱さを補うものとして科学技術も発展してきたでしょう。
 政治も経済も科学技術も、政治家や商売人や技術者の個人の利益のために使われては困りますが、今の社会はそのような様相を強めているのではないでしょうか。悲しいことです。
 間違いを認める謙虚さが、人間には必要です。言葉をもてあそんで相手を言い負かしたりしても、いつかは間違いであったことが露呈します。人間として正しいことは何か、ということは幼い子どもにもわかっています。大の大人が言葉を上手に使っても、正しいこととそうでないことの違いはわかります。
 新聞や放送は、子どもにでもわかるような言葉で意見を述べてみましょう。政治家も商売人も技術者も同様に、です。法律などを正面に出さなくても、正しく生きることは論じられるのです。

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