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2020年2月28日 (金)

ことばと生活と新聞と(7)

同じ見出しや記事を2度も書いて恥ずかしくないのか


 夕刊は要らないということを新聞社が態度で示し始めている例を、具体的に記します。ただし、これは単なる一例に過ぎません。
 次のような見出しの記事が夕刊に載りました。

 籠池被告に懲役5年 / 森友補助金不正 / 妻は猶予付き懲役3年 一部無罪
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年2月19日・夕刊、3版、1ページ、見出し)

 そして、翌日の朝刊には、次のような見出しの記事が載りました。
 籠池被告に懲役5年 / 森友補助金不正 妻は執行猶予 / 大阪地裁判決
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年2月20日・朝刊、14版、1ページ、見出し)

 驚くべきことは、記事の書き出しが夕刊も朝刊も同じであるということです。200字程度はほぼそのままで、後に続く部分にも同じ表現があります。これは、朝刊の表現を変えるべきだとも思いますが、別の言い方をすれば、夕刊などは読まなくてよいということでもあります。
 1ページのトップ記事がこの有様ですから、他のページのニュースにも類することがしばしば現れます。先日の、熊本県のバス業者が連携した行動を取り始めたというニュースもそうですし、死亡記事などは何度も何度も、こういう書き方をしています。
 同じ記事を2度載せた場合、かつては大きなミスと感じてお詫び記事を出していたと思いますが、今は、ミスと感じていなくて、恥ずかしい気持ちのかけらもないようです。新聞社の心の持ち方が地に落ちてしまったと思います。これは一新聞社だけのことでしょうか。
 しかも、はっきりしていることは、大きなニュースのある日は別として、夕刊のニュースの数は驚くほど少ないのです。10本程度のニュースしか載っていない日があります。そんな日は1ページ目から「読み物」のパレードです。その「読み物」はその日に載せる必要がありません。いつ載せてもよいような記事(言い換えれば、載せなくてもよいような記事)が夕刊の1ページ目を闊歩しているのです。それを見ると、新聞が本来の役割を放棄しているように感じるのです。あるいは、夕刊なんて要らないということを新聞社自身が主張しているように思うのです。
 新聞は、政治・経済・社会のさまざまな問題について、遠慮のない批判をしています。しかし、自分のしていることについては批判の目が向けられていません。
 同じ日の夕刊「素粒子」欄には、厳しい批判の言葉が載っています。

 やっぱり口先だけだった。「政治家は自ら説明責任を果たすべきだ」の首相の決まり文句。ウソだというなら「説明するのはそちら側だ」と。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年2月19日・夕刊、3版、1ページ、「素粒子」)

 新聞は読者の意見に耳を傾けます、などという言葉は既に死語になったのでしょうか。他者に向けるのと同じ厳しさを、自社にも向けなくてはなりません。そうでなければ、読者はますます減っていくでしょう。
 これは大阪本社発行だけのことなのか、すべての本社が同じ有様なのかどうか、知りません。けれども、私たちは、選択の余地なく、大阪本社の新聞を読まされているのです。こんないい加減な夕刊は廃止すべきですし、廃止するなら急ぐべきだと思います。夕刊編集の信頼性だけでなく、新聞そのものの信頼性も失ってゆくでしょう。
 こういうことを新聞社に向かって言っても、姿勢が改まらないのなら、読者は確実に減っていくでしょう。子どものときから毎朝、毎晩親しんできた朝日新聞ですが、定期購読紙を変更するかどうか迷い始めています。もし、他紙も同様な傾向にあるのなら、新聞購読そのものを続けるかどうかの岐路に立っているということです。

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