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2020年2月13日 (木)

生きる折々(44)

見はるかす風景は、半世紀で変化してしまった

 『歌風土記 兵庫縣』は、巻頭に「およそ、想の赴く、脚がはこぶ随時随処、縣内の風物によせる感懐をうたひあげよう」という言葉があるように、歌人の富田砕花さんが終戦後に兵庫県の摂津・播磨・丹波・但馬・淡路を行脚して作られた396首が収められています。
 その中に「明石高等学校附近」という詞書きが添えられている一首があります。こんな歌です。
どこまでも起き伏しつづく低山を夕靄のむかうに見はるかす丘
 昭和33年(1958年)に高校生となった私は、まさにそんな風景だと思うようなところに位置する県立明石高等学校へ通いました。東の方に須磨の鉢伏山などが望めるところ、北にも低い山が見えますが、南は明石海峡が広がっています。学校のあるところは海岸よりは少し高くなった丘ですが、当時は幹線道路も舗装ができていなくて、小型のバスは砂煙を巻き上げて走りました。
 学校から東の方はゆるやかな谷のようになっていましたが、家は建っていませんでした。今から思うと、まさにこの歌のような風景が広がっていました。
 現在はと言うと、谷のように感じたところもぎっしりと家が建ち並び、明石・神戸市境のあたりは、大規模な明石舞子団地になっています。
 高等学校を卒業して50年経ったときに、私たちの回生の卒業生は、高校時代の思い出や、卒業後のこと、近年の様子などを思い思いに綴った文章を160ページ余りの書物に収めて刊行しました。私もその時、編集を担当しましたが、書名をどうしようかとなったときに、思わず提案したのが「見はるかす明高時代」というタイトルでした。
 見はるかすという言葉は、富田さんの歌は、ずっと遠くまで眺めやるという意味で使われています。まさに高校時代にそのような風景を目にしていたのです。
 それに加えて、遠くまで眺めるという意味を、時間的な経過の意味を込めて、50年前の高校時代を眺めて、さらに近景(その後の時間の推移)をも眺めるという意味を込めて提案しました。
 この本の表紙には、高校のあるあたりから淡路島を指呼の間に眺める風景のモノクロ写真が使われています。これも、見はるかす風景です。書名にふさわしい写真です。
 けれども、同じ場所に行っても、今ではこの風景は失われています。かつて田園風景が広がっていたところに、ぎっしりと高低でこぼこの建築物が並んでいます。
 生活の進展に沿って、私たちの住むところの風景が変わるのは仕方のないことでしょう。刻々の変化は小さなものですが、人生の初めの頃の風景と、人生が終わりに近づいたときの風景の違いは、かつてはこんなに大きなものではなかったでしょう。この大きな違いが人々の心に大きな傷を刻み続けていると言っても、それは決して誇大な言葉ではないだろうと思います。

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