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2020年2月12日 (水)

生きる折々(43)

手紙・葉書は人柄を伝える


 私は、多くの人に読まれる文章も書きますし、多くの人の前で話をすることもあります。多くの人を相手にして書いたり話したりする場合は、みんなにわかるようにしなければならないと考えますから、内容に抽象度が増したり、一般化したようなことになる場合があります。それからもうひとつ、自分の立場などを考えて、いわば格好をつけたような話になることがあります。今は職業がありませんが、かつての仕事のことを考えたら言わない方がよいというような場合があります。意識する、しないにかかわらず、そういう内容は避けているでしょう。
 一方、日常生活では、手紙や葉書を書く場合がありますし、一人の人に向かって話す場合もあります。その場合は、特定の一人の人が相手ですから、その人にわかるような内容でよいということになるとともに、話に出してもよいと判断したら、多くの人向けの話では出していないようなことも表現します。多くの人に向かっては書いたり話したりできないような内容を、書いたり話したりすることがあるというのは、二重人格のようにも見えますが、そこまで大げさなことではないようにも思います。相手との関係で話題を選んだり、相手との人間関係に基づいた話し方をしていることになります。
 ほんとうは、多くの人向けの場合も、特定の一人向けの場合も、同じように表現できればよいのでしょうが、そうはいかない部分があるように思います。
 この度、『樹木希林さんからの手紙』(主婦の友社)という本を読みました。何通もの手紙の実物が公開されています。手紙は個人的なものだと言っても、公開されるとなると、多くの人向けに書いたものに等しいようになってしまいます。個人あてに書かれたものを公開するとなると、慎重な検討がなされたのちに、公開を判断したのでしょう。書いた本人も、公開されることを意識して書いたわけではないと思います。
 公開された樹木希林さんの手紙(私信)は、生のままの本人の気持ちが表現されたもので、読む人(一般読者)の心を打ちます。樹木さんが多くの人向けに書いた文章と、個人あてに書いたものとが、等質の文章として伝わってくるのです。多くの人向けの文章と個人あての手紙とを、意識して分けて書いているようには思えないのです。これはなかなか、できることではないと思います。
 樹木さんの手紙からは、自分が有名人だという意識が感じられませんし、市井の一人である相手の人に向かって、身構えるようなところがありません。この本はNHKテレビで放送された番組をもとに作られています。樹木さんの逝去後、本人の文章が載っている何冊かの本を読みましたが、この本は樹木さんの人柄をきちんと伝える本だと思います。
 私も手紙や葉書を何日かに1通は出しています。私の私信が公開されることはありえませんが、相手の心を打つものになっているだろうかということをふりかえる気持ちにさせられます。

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