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2020年2月 3日 (月)

生きる折々(34)

便利な言葉を使う人


 新聞のコラム「天声人語」の筆者は言葉の専門家だけあって、なかなか表現が鋭いと思います。こんな文章がありました。(1月24日付け)


 おととい、きのうと国会の代表質問を聞き、安倍首相の相変わらずの答弁にげんなりした。桜を見る会も、カジノ疑惑も、答えるべきところを答えない。煙幕を張るための決まり文句だけは色々あって「真摯に反省」「誠実に対応」などが繰り出される
 「可能な限り説明してきた」というのもある。可能な範囲が狭すぎないか。一方で憲法改正については饒舌だ。首相の立場で答えるのは控えたいと言ってから「その上で」とつなげて、持論を展開する
 なるほどこれは便利な言葉で「君を叱るつもりは全くない。その上で」と叱ったり、「私は自慢などしない。その上で」と自慢したりと応用がききそうだ。そんなことをつらつら考えるくらい退屈な答弁が続く

 言葉は修飾語と被修飾語とで成り立つ部分があります。追及する側は、反省や対応や説明を求めているのですが、「反省する」「対応する」「説明する」を修飾する言葉が抽象語の「真摯に」「誠実に」「可能な限り」であって、イメージをまったく作り上げることができないのです。すなわち、反省や対応や説明が行われたという納得は得られないのです。質問した側は、こんな答弁で納得してはいけないのですが、それ以上の追及をあきらめてしまうのが政治の世界の常のようです。言葉が相互に行き来をしていないのです。
 こんな議論でおしまいになるのなら、国会という場は、形だけの議論をしているということになります。「誠実に対応」していないからこんな答弁になるのですし、「真摯に反省」などはしていないことは明白です。「可能な限り説明してきた」という弁解は、言葉として成り立ちません。説明が足りない、もっと詳しく説明せよ、と求められたら、求めに応じて説明すべきです。「可能な限り説明してきた、(これ以上の説明は要らない)」というのは、説明を求められた側が口にする台詞ではありません。これも、言葉が相互に行き来をしていないということの現れです。
 いくら長い時間をかけて議論をしても、これでは不毛の議論です。日本語の使い方、日本語の論理がわかっていない人が答弁をしているからです。もちろん、そんな馬鹿げた言葉遣いができるのは、議員数で圧倒している安心感が後ろにあるからです。どんな答弁をしても自分たちが倒れることはないとないと思っているからです。危機感を持って答弁しなければならないような情勢になってこない限りは、人を馬鹿にした答弁は続くことでしょう。
 馬鹿正直に発言やヤジを飛ばして失敗をするのは副総理とか、一部の議員です。首相が差別発言などをしないのは、なかなか心得て発言をしているからであると、その点は褒めてあげてもよいだろうと思います。

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