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2020年2月29日 (土)

ことばと生活と新聞と(8)

新聞は校閲に力を注いでほしい


 小さなヘッドホンステレオが発売された1979年のことを書いた記事があります。

 僕が知っているステレオのラジカセは、百科辞典並みのごつさだった。技術の進歩が、音楽を外に持ち出せるようにしたのだ。 …(中略)…
 とはいえ、貧乏学生には高嶺の花。手にしたのは就職して数年後、ひとつのテレビコマーシャルがきっかけだった。湖のほとりで瞑想するように目をつぶり、ヘッドホンステレオから流れる曲に聴き入る一匹の猿。ナレーションが入る。
 「音が進化した。人はどうですか」
 「音は」ではなく「音が」。この違いをうまく言い表せないのだけれど、技術が文化や生活を変えうるという「希望」が、「が」という助詞に込められていたような気がしたのだ。
 猿は途中うっすらと目を開け、また閉じる。物言わぬ猿が、静かに未来を語り始めた。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年1月25日・夕刊、3版、5ページ、「1987 瞑想する猿」、前田安正)

 この文章を読むと、いくつもの疑問が湧いてきます。
 ①この記事の欄外に「1987」という年号が書いてありますが、その年号は何を意味しているのでしょう。②粗っぽい表現を思わせる「百科辞典並みのごつさ」という言葉は、「大きさ」という言葉とどう違うのでしょうか。なぜこんな言葉を使ったのでしょうか。③「『音は』ではなく『音が』。この違い」を筆者はきちんと考えたのでしょうか。(「希望」という言葉で誤魔化してはいけないでしょう。)④「物言わぬ猿」はどんな未来を語り始めたというのでしょう。(それを書かないで、文章を終わりにするのは無責任です。)この文章の表題が「瞑想する猿」となっているのですが、何を目的にして、この文章は書かれたのでしょうか。
 こういうことを指摘して、わかりやすい文章に書き換えさせる役割を果たすのが、校閲の仕事でしょう。私はこのブログでも何回も指摘しましたが、最近の新聞はきちんとした校閲が行われていないように思います。
 この筆者が書いた夕刊コラムの致命的な間違いは、このブログでも指摘しました。そのコラムは後に、誤りを認めて書き換えられた文章が紙面に掲載されました。

 さて、このほど、「文章書くコツ伝授 / 元本社校閲センター長 神戸市職員研修」という見出しの記事が載りました。こんな内容です。

 神戸市職員研修所は19日、「わかりやすい文章の書き方」をテーマに、市職員対象の研修を市内で実施した。元朝日新聞東京本社校閲センター長の前田安正・朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長(64)が、参加した約80人に文章の構成の仕方や直し方などを教えた。
 同研修所が職員の文章力を向上させようと、「マジ文章書けないんだけど」(大和書房)の著書がある前田部長を講師に招いた。
 前田部長は講義の中で「言葉を記号として捉えるのではなく、『何のために書いているのか』を理解して文章を書いてほしい」と話した。 …(以下、略)…
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年2月20日・朝刊、「神戸」版、14版、24ページ、足立優心)

 市職員を対象にした、いわば内輪の催しを記事にするのは、自社の宣伝に過ぎないと思います。ただ、この記事でも書かれていますが、「『何のために書いているのか』を理解して文章を書いてほしい」ということこそ文章を書くときの基本です。新聞記事もまったく同様であるはずです。

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