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2020年4月22日 (水)

ことばと生活と新聞と(61)

短い言葉を作りたがる人


 忙しい時代を生きているという意識からでしょうか、言葉をとかく短くしようとする人がいます。私が初めて聞いたとき何のことかわからなかった言葉があります。「へーろく」「へーしち」という言葉です。わかれば何でもない言葉です。平成6年、平成7年を短く、平6、平7と言ったのですが、昭和生まれの私は、「しょーはち」などと言ったことはなく、聞いたこともないように思います。ちょっとした驚きでした。
 新聞に関わる人は、とにかく短く言いたがるようです。コラム欄で、そのような提案をしているのがあって、驚きました。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って広がっているテレワークについて書かれた文章です。

 むろん仕事の性質上、テレワークに適さない職種はあまたある。それでもこの先、テレワークの世界的潮流が元に戻ることはあるまい。将来、会議の定義が変わり、遠く隔たった場所からそれぞれが議論に加わるのが当たり前の時代になるだろう。そのときは「遠議」または「隔議」とでも呼ばれるのだろうか。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年4月9日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 「呼ばれるのだろうか」と言っていますが、それに先がけて「遠議」や「隔議」という言葉を言いふらしているのは、コラムの筆者です。人々が使ってもいない言葉を先がけて言おうとするのは報道に携わる人の癖のようです。
 「えんぎ」も「かくぎ」も同音異義語があって、望ましい言葉ではありません。新聞は放送と違って、文字さえ異なっておれば新しい言葉を使ってもよいと考えているのかもしれません。放送では発音が同じ言葉を紛らわしく使うことはないでしょう。
 さて、こんな文章を読みました。「出入り禁止の言葉たち」という項目で「就活」という言葉を取り上げて述べている箇所です。

 この略語には抵抗があり、「就職活動」と書いています。「就活」から派生した「婚活」や「終活」という言葉を新聞紙面で見かける昨今、わが抵抗も〝蟷螂の斧〟かも知れません。 …(中略)…
 国文学者の池田彌三郎さんは「卒論」という言い方を嫌いました。〈いやなことばだ。そつろんとは、なんだかそそっかしい論文みたいな感じがする〉と、『暮らしの中の日本語』(ちくま文庫)に書いています。急に意識を失って倒れることを「卒倒」というように、漢字の「卒」には「にわかに」の意味があります。にわか造りの、急ごしらえの論文のように感じたのでしょう …(中略)…
 文章を書くとは、誇り高き独裁君主の仕事です。気心の知れた腹心の言葉たちだけを召し出し、気心の知れない言葉たちには所払いを言い渡し、一から十まで自分の気に入ったように組み立てて書く。「就活」や「卒論」が世間でいかに幅を利かせていようとも、気心の知れないうちは大事な仕事を手伝わせるわけにはいきません。
 (竹内政明『「編集手帳」の文章術』、文春新書、2013年1月20日発行、85ページ~86ページ)

 同じようなコラムの筆者でありながら、ずいぶんと違う意見だと思います。筆者の世代が違うのかも知れませんが、それよりも言葉に対する姿勢が異なっています。私が朝ごとに読むのは「天声人語」です。「編集手帳」は時々しか読みません。
 「天声人語」は大学入試に使われることが多いということを自慢する前に、文章に対するきちんとした方向性を持ってほしいと願っています。

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