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2020年4月17日 (金)

ことばと生活と新聞と(56)

社会は無名の人が支えている


 新型コロナウイルスの感染拡大のニュースに毎日のように登場するのは首相、担当大臣、都道府県知事などです。ニュースにしばしば出てくるのは当然のことで、しっかり対応していただきたいと願わずにはおれません。それとともに、このような大きな出来事になると、医療・介護や教育や行政などの立場で尽力しておられる方々もニュースにあらわれてきます。行政のリーダーたちには間違いのない指揮をしてほしいと思いますが、それぞれの現場で力を尽くしておられる方々には感謝したいと思います。自分の任務をまっとうして頑張っておられる方々のことをもっと報道してほしいと思いますが、そのような方々を取材すると、かえって迷惑をかけることになるのかもしれません。
 コロナ禍とは関係はありませんが、こんな文章を目にしました。

 「無名の運命のなかで、自分の筋を貫き通して、歴史にものこらないで死んでいった者の生き方に、ぼくは加担したいんだよ。」
               岡本太郎
 「尊敬する人」といえばなぜみなすぐに権勢を誇った人を挙げるのだろうと、芸術家は言う。成功者といっても、彼を取り巻く「いろいろな状況が押しあげた」だけ。歴史には、成功しないと知りつつ「命を賭けて筋を通した」無名の人が埋もれているはずで、そこをしっかり見ようと。『太郎に訊け! 岡本太郎流爆発人生相談』から。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年4月9日・朝刊、14版、1ページ、「折々のことば」、鷲田清一)

 社会のトップに立つ人たちのことは、新聞・放送では大きく取り上げられます。政治・経済・文化・スポーツなど、すべての分野にわたって、いわば一握り(僅か)の人たちのことは詳しく詳しく報道されます。そして、それらの人たちから漏れた人たちのことは報道の対象から外されていきます。素晴らしい手腕を発揮している人たちであっても、トップの範囲に入らない人たちに対しては、報道は冷淡です。まして、ごくごく普通に生活している人たち(人口の大部分)は、自分に与えられた任務に注力した生活をして、それなりの業績を上げていたとしても、報道で取り上げられることはありません。報道というのはそういう冷淡さを持っているでしょう。
 政治や経済はもちろん、スポーツでも芸術でも、同じ有名人だけがしばしば取り上げられます。報道する側に立てば、予備知識があって取り上げやすい人であれば、インタビューをしたり記事に書いたりしやすいのでしょう。また、無名の人を取り上げても面白い記事は書けないという先入観があるのかもしれません。
 ニュース記事を見ていると、この問題ならば、あの人に聞いてみようという予備知識(予断)があるのかもしれないと思います。またあの人のコメントを載せていると思うようなことが、しばしばあります。そうすることによって、記事の色合いに新鮮さがなくなるということも生じています。
 社会は無名の人たちが支えています。ひとつの新聞に載る人名は、1年間に、どれくらいの人数になるのでしょうか。仮に延べ人数が数万人であるとしても、この世に生きている人たちのうちの1%にも足りないでしょう。逆に何度も(場合によっては、毎日)取り上げられる人もいることでしょう。報道に携わる人は、しかたがないと諦めないで、無名の人をひとりでも多く取り上げて、その人の生きてきた道筋を読者に知らせてほしいと思います。
 私たちも、有名人を見る目を変える必要があります。「尊敬する人」は、本当は有名人でなく、身近な無名の人を思い浮かべることが多いのではないでしょうか。ところが質問されたら、とっさに有名人をあげてしまうというような心の持ち方をしているのかもしれません。新聞やテレビに引き寄せられてしまうような心の動きを私たちはしているのでしょう。

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